見出し画像

『永遠平和のために』イマヌエル・カント 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

十八世紀の啓蒙時代を代表する哲学者イマヌエル・カント(1724-1804)はプロイセン王国ケーニヒスベルクで生まれ、生涯のほとんどをその地で過ごしました。ルター派の敬虔主義的な家庭で育ち、その教えを基盤とした寄宿学校へと通います。ラテン語、宗教学、哲学などが基本の授業に組み込まれ、人生の早い段階で思想というものに触れることになりました。当時の西洋では「哲学」に関して現代ほどの理解が及んでおらず、政治や軍略を重視する国の姿勢が反映され、立場もさほど重要視されていませんでした。しかし、ヨハネス・ケプラーやガリレオ・ガリレイによる研究、ルネ・デカルトやトマス・ホッブズ、ジョン・ロックなどの理論から、西洋における啓蒙時代が隆盛していきます。絶対君主制と宗教的権威の狭間で、人間は何を成し、何を思うべきかといった思考から、人間個人の自由の理解を促す時代が到来します。これは、本書に収められているカントの『啓蒙とはなにか』という作品に、詳細に述べられています。


カントは『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』という「三批判書」を著しました。この「批判」とは「徹底的に追究する」という意味合いを持っているもので、彼の道徳観をもとに、人間は「何を知り」、「何をすべきか」、「何を望むか」をそれぞれ考究しています。この「三批判書」に通底する重要な考え方として「二律背反(アンチノミー)」が挙げられます。これは「同一の事柄について二つの矛盾・対立する命題が同時に成立する事態」のことを言い、あり得ないという事実を提示しています。しかし、人間の生む理論にはこのような事態が生じるため、「それは何故か」を、カントは四組の二律背反事例をもとに二律背反論として考えを述べています。

例えば第一の二律背反を見てみます。

世界は時間的に端緒を持ち、空間的に限界を持つ、即ち有限である(定立命題)

世界は時間的に端緒を持たず、空間的に限界を持たない、すなわち無限である(反定立命題)

これまでの論理学において、互いに矛盾する命題が同時に真であることはなく、いずれかが偽でなければなりません。しかし、双方を論理的に否定と証明を繰り返しても、命題が崩れません。矛盾に対当するこの事態を、カントは「誤謬」に起因すると見出します。互いに真であることは不可能であるため、「双方を偽」とする「反対対当」という形で問題を解消します。そして、この「誤謬」を生むものは「理性」であると定義し、双方の命題が「成り得る」と経験や理念から「推測」してしまうことに原因があると考えます。


カントはこの「三批判書」を発表し、多くの論争に巻き込まれながらもそれに対抗して、やがて宗教論や汎神論などへと派生して道徳をもとにした啓蒙思想へと力を注ぎます。この熱量を後押ししたのがジャン=ジャック・ルソーの哲学でした。カントは奴隷制を否定していましたが、人種としての優劣は肌の色で明確に判断し、白人を絶対的な優等人種と認識していました。また、下層階級の人々に対しては無知による劣等性を携えていると考え、その存在を思想の外へと追いやっていました。そのような彼の思考に強烈な一撃を加えた著作がルソーの『エミール』でした。カントの無知な下層階級の人々に対しての認識が大きく是正され、各個人の「人間性を敬う」という道徳の根源的な認識を改めて与えられます。身の回りにある階級、財産、名声などに眩まされた「人間としての本質」を、彼はようやく取り戻します。


カントにこのような思考と認識の変化が行われたころ、フランス革命による周辺諸国への戦争が激しくなっていきます。(これはフランス革命初期の戦争で、1799年のナポレオン・ボナパルト第一統領就任後は一般に「ナポレオン戦争」と呼ばれます。)彼の住むプロイセンとオーストリアが革命中のフランスへ干渉するため、宣戦布告を出して突進していきました。フランスは国内で革命に対する反乱も起こっており、戦力としても危機的な状況にありましたが、革命という熱量の爆発によって強制的な国家総動員を行い、結果的に侵攻国を押し返し、反対に相手国への侵略を進めるまでに至りました。これにより、プロイセンとオーストリアはそれぞれ領土を犠牲にしてフランスと和平を図ります。この1795年に結ばれた講和が「バーゼルの和約」です。しかしこれは、領土を犠牲にして侵略を食い止めるという「戦を止める」ための和約に過ぎず、「決してこれは平和条約ではない」とカントは考えました。そして、本来持ち得た三批判書に見られる「追究された道徳観」と、ルソーの著作により発露された「人間を尊重する道徳観」をもとに、「永遠の平和を確立することは可能か」という問いに向き合いました。そして書き上げた作品が、本作『永遠平和のために』です。


本書の構成から鑑みると、バーゼルの和約を批判的に捉えていることは明らかです。予備条項、確定条項から成るこの内容は、一見すると「理想的な机上の空論」と読むこともでき、実際に発表当時には夥しい批判が投げ掛けられました。しかしながら、激動の戦争に塗れた二十世紀のなかで二つの大戦争を経て、国際連盟から国際連合、そして欧州連合(EU)が構築されたいま、ようやく本書は注目を浴び、カントの世界に対する先見の明を評価されるようになりました。その思想を本書に則って要所を控えていきます。


永遠平和を目指すためにはまず、「戦争原因の廃止」を成すことが必要です。平和条約とは「交戦の種を孕んだもの」であるため、他国侵略や領土拡大といった君主の思考そのものを放棄させる必要があり、それには平和条約に述べる必要など当然無く、むしろ平和条約そのものの存在など意味がないという考えです。他国を訪問することは両国の文化文明の繁栄に必要な刺激であり、人間としての発展が望まれますが、他国を侵害して自国を潤わせるという思考は無意味な争いしか生みません。

そしてカントは各国の「常備軍の廃止」を提唱します。自警の意味合いから軍隊を据えたいと君主は考えますが、隣接する国にとってはその常備軍は軍事的脅威でしかなく、その不安を払拭するために自国でも常備軍を固め、隣国よりもより強大なものを目指します。そして君主は自国の方が強大であると認識した場合、「勝つことができる戦」を仕掛けたくなる欲求を持ちます。このことにより、「本来勃発する必要の無かった戦争」が起こってしまうため、常備軍そのものを廃止することをカントは訴えています。

国家の体制としては、前述のことを含めて君主制政治は選択できません。貴族制政治は自らが戦地に向かうこともなく、優雅な暮らしを維持したまま下層民へ危険を押し付ける形で「自身が傷付くことなく戦争を起こすことができる」ため、これも選択できません。よって、国家としては共和政国家を目指す必要があります。国民が主権者となることによって、自らを危険に晒さなければならない不要な戦争を望むことは無くなり、平和を乱す行為そのものを避けることができるという考えです。そしてこのような共和政国家が増加して自由な諸国による連合を構築し、互いに尊重し合いながら友好的に関わり合うことこそが「平和的な環境」であり、その維持に尽力できると明示しています。この状況は「自然」による人間の在るべき姿への誘導であり、言語や宗教の相違を越えて、争いではなく和平による人間の繋がりが、自然と同様に人間そのものも永遠の平和を望むようになると著しています。


カントが辿り着いた二律背反に至る思考は理性の限界点とも言え、そこで巡らせる思考は人間の理性の頂点であると説かれています。「誤謬」と「推測」を取り除き、双方を偽と捉える反対対当を、結果の憶測に捉われず「いま・ここ」で考えうる最善を模索することが理性の最良手段です。道義的に言い換えるならば、目に見える結果のために手段を講じるのではなく、目指すべき目標に対して全力をもって実行する必要があります。つまり、このカントの唱える「永遠平和」とは、一見した理想論ではなく、「実行する必要のある理性的な行為」であり、努力して必ず叶えるという性質のものではなく、「人間が目指すべき絶対的な目標」であると、強い意志を持って提示されています。そして、「永遠」とは「いま・ここ」での努力を指すのであり、いわば「現在」であると読み替えることができます。


オランダのある宿屋には、墓地を描いた看板の上に、「永遠の平和のために」という皮肉な銘が書かれていたという。さてこの言葉は、すべての人間にあてはまるものなのか、それとも戦争に飽きることがない国の政治家たちにとくにあてはまるのか、あるいは死という甘い夢をみる哲学者だけにあてはまるのか


現代でも繰り広げられる戦争は、誰が起こしているのか、なぜ起こしているのか、どのように起こしているのかと問うていくと、世界が「永遠平和」と如何に乖離した状態にあるかを痛感させられます。それぞれの人間が真摯に「永遠平和」を問題として受け止め、「目指すべき絶対的な目標」に向かって努力をすることがどれほど必要か、そしてカントが著してどれほどの月日が流れてしまっているのか、といったことを改めて考え直す必要があるのだと実感します。イマヌエル・カント『永遠平和のために』、未読の方はぜひ読んで、何かを感じ取ってください。
では。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集