『バガヴァッド・ギーター』聖仙ヴィヤーサ 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
紀元前後に編纂された壮大な叙事詩『マハーバーラタ』は、バラタ王族に起こった同族戦争を描いたもので、世界最古の戦記とも言われています。このなかの一章を抜粋したものが本作『バガヴァッド・ギーター』です。「神の詩」という意味が込められ、神クリシュナと王子アルジュナの対話によって綴られます。稀代の武人であったアルジュナは両軍が全面的に激突する直前、なぜ親族と争わなければならないのか、なぜ同族を滅さなけれぼならないのか、同族と争うことは正しいことなのか、といった疑念に捉われ、その場に立ち尽くし、馬車の手綱を持つ御者に問い掛け始めます。この御者に扮していた者が、実は神クリシュナでした。アルジュナの心身が極限にまで緊張と興奮と不安が高まっているとき、神の言葉が染み渡っていきます。
クリシュナは、世界の真理を知識という形で伝えます。苦難をどのように受け止め、行動をどのように自己が理解し、欲望から身を守り、自身の義務は何かということを問いに答えながら諭していきます。そして辿り着くべき、輪廻転生からの解放を意味する「解脱」(モークシャ)を目指すために、誰もが教えを守りながら歩んでいく必要があるとしています。
古代インドでは「ヴァルナ」と呼ばれるカースト規制の考え方が根付いていました。資本主義的な思考ではなく神が与えた「自身の役割」というもので、職に就いているから業務を全うするという考えではなく「いま神が与えた役割を全うしている」という思考を持つものです。この役割を神に対して全うしようと続けることで、魂が肉体を離れるときにより良いヴァルナを神から与えられるという希望となり、現在の生を前向きに進むことができるようになります。これは現代インドでも根強く持たれている考え方で、善行は来世を幸福にすると言われています。本書は、「知識」を蓄えて自分の「義務」を全うし、神の教えを守りながら「善行」を続けて(欲望からの、打算からの、欺瞞からの、固執からの)「解放」を目指す、希望の書として読み継がれています。
クリシュナは、思考、行為、義務が、プラクリティ(根本原質)から生ずる三つの諸要素に分類されると説きます。汚れのない「純質」、激情を本性とする「激質」、無知から生じる「暗質」、という要素があり、純質は知識を生み、激質は貪欲を、暗質は怠慢と迷妄を生み出すとされます。そしてこれら三つの要素を超越することで、主体(個我)は生老死苦から解放されて不死に達すると言います。
アルジュナが抱いた苦悩は、親族と戦うことに対する抵抗でした。そして、その目的は王族の諸問題を武力的に解決することであり、それを成すことによる犠牲と、犠牲の上の勝利は王族の存続として正しいことなのであろうか、という疑問と不安に包まれていました。それに対してクリシュナはダルマ(義務)について説きます。神から王族というヴァルナを与えられたのであれば、王族の義務を果たすべきである、王族の義務は王族を存続させることである、存続させるためには戦う必要がある、ならば戦うべきである、という考え方です。戦いの後の結果や、それに伴う犠牲、その後の王族の向かう先、或いは得られる報酬など、「行為による結果」を考え求めるのではなく、「成すべきであるから成す」という「欲望と乖離した行為」が必要だと強く諭します。
魂は永遠であり、最高位の魂へと導くために純質の心と行為を保つことが必要です。肉体の死後、魂は生前の行為によって様々な魂の種に変化します。神から与えられた役割と義務を、純質に則って遂行し続けることで魂の性質をより良いものへと変化させることができます。その為には、激質や暗質に呑み込まれない意思が必要です。「解放」へと向かうためには、知識が必要です。知識を持てなければ、神への献身という信仰が必要です。神への献身は、純質に則った行為にあたり、必然的に「解放」へと向かうからです。必要なことは、魂の純質性を追求することにあります。
この純質性を追求するために、自身の役割と義務を考え、自分の行為と思考に結び付ける行為を「ヨーガ」という瞑想で行います。智慧のヨーガ、(神への)親愛のヨーガ、行為のヨーガ、これら様々を行い、最終的な「魂の不死」を目的として魂を純質に導こうとすることが重要です。この「魂の不死」は輪廻転生からの解放を意味する「解脱」と言われるもので、純質性を追求した輪廻転生によって浄化された魂は最高位へと登り、自己をこの上ない充足へと辿り着かせます。この境地へとアルジュナを導こうとするクリシュナの問答が本作『バガヴァッド・ギーター』の本質と言えます。
自己の魂を、自身の善の行為で救済するという考えは、現在の人生を前向きに捉えさせる力を持っています。そして、それを明確な言葉で語る「神の詩」は、誰もが感銘を受け、誰もが自分に向けて説いていると感じられるものとなっています。現代社会において抱く苦悩は、その発端や動機が三つの要素のいずれから来ているものなのか、そして、純質的な思考に切り替えるとどのように苦悩が変化するのか、或いは解決に向けて行為が見出せるのか、という考えを持つことができるようになります。
苦悩の質と役割による行為を、自身に当てはめて考える切っ掛けとなる本作『バガヴァッド・ギーター』。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。