見出し画像

『あしながおじさん』ジーン・ウェブスター 感想

こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。

お茶目で愛すべき孤児ジルーシャに突然すてきな幸福が訪れた。月に一回、学生生活を書き送る約束で、彼女を大学に入れてくれるという親切な紳士が現われたのだ。彼女はその好意にこたえて、名を明かさないその紳士を“あしながおじさん"と名づけ、日常の出来事をユーモアあふれる挿絵入りの手紙にして送りつづけるが……このあしながおじさんの正体は?楽しい長編小説。


アメリカ南北戦争の終結後、1866年に合衆国憲法修正第十四条が制定されたことで黒人を含む全アメリカ人に公民権が与えられました。プランテーション奴隷制度によって苦しめられていた黒人たちは、その後も選挙権などを獲得してようやく憲法上での立場の改善が進み始めました。ところが、この選挙権の条文で明らかになった「男性限定」の推進実態に、女性参政権運動の熱が高まり、各地で集会を催す全国組織が結成されました。ヨーロッパでの帝国主義推進の波がアメリカで広がっているなか、この女性参政権運動は進展が困難であり、各地での集会が実を結ぶことはありませんでした。しかしながら暫くして、帝国主義熱が沈静化を見せ始めたことで女性参政権運動に耳を貸す国民が増加し、1904年3月8日に行ったニューヨークでのデモ行進は、世に訴える大きな転機となりました。(ちなみにこの日を「国際女性デー」として、現在でも運動は継続されています。)当時のアメリカでは南北戦争を終えたとは言え、争いの原因となった州権主義が広く根付いていました。以前、黒人の公民権問題が北側の連邦議員選挙に影響したことを受け、立候補者は盛り上がりを見せる女性参政権運動に関心を寄せ、州独自の女性参政権を認める公約やその実現が徐々に進められていきます。1910年のワシントン州を皮切りに、カリフォルニア州、オレゴン州と次々に州による女性参政権が認められていきました。このようなアメリカ国内での動きは第一次世界大戦争が近づくにつれて強くなっていきます。戦争での女性による貢献を求めていたアメリカ大統領ウッドロウ・ウィルソンは、女性参政権に根本では反対していたものの、戦争協力を円滑に進めるため、女性による政府の支持を目的として、この参政権に賛同するようになります。そして1920年にアメリカ合衆国憲法修正十九条にて「投票権における性差別禁止」が認められました。


ジーン・ウェブスター(1876-1916)は、アメリカ現代文学に大きな影響を与えた作家マーク・トウェインの姪を母に持ち、トウェインの出版を担っていた父とのあいだに生まれました。父自身もまた、小説家としての活動も行っていました。文才を培うのに凡そ必要なものは全て揃えられていた土壌にあったウェブスターは、古典や近代の作品を早くから読み始めて、その才能を成長するとともに磨き上げていきます。ニューヨークにあるヴァッサー大学へ進学すると、彼女は経済学の一環で障害者福祉施設や孤児院へと訪問し、その置かれた環境や実態、また当事者の人々とも意見を交わすことで新たな価値観を構築させていきます。そして、生い立ちに恵まれなかった人々も機会があれば大成できる可能性は充分にあるという考えに至りました。当時の女性は前述のように公民としても認められず、参政権も与えられていない状況にあったことから、社会的な地位は低く、当然ながら貧富の差は大きく開き、生活が困難なことによる理由で子供を手放す母親が多くありました。孤児院や一部の教会はそのような受け皿となっていましたが、子が多く集まることでその福祉施設では人手が足りなくなり、成長期に必要な多くの愛情や細かな配慮を与えられていないという孤児が多く存在していました。また障害者福祉施設も同様な状況にありました。このような環境下にある子供たちや障害者たちに触れたウェブスターは、彼らは生い立ちこそ不幸であれど、社会に出て活躍する資質が無いわけではなく、ただそこから抜け出す機会が無いだけで、成功する可能性はあるのだと考えました。そして、その考えをもとに若年層でも伝わりやすく読みやすい筆致と構成で書き上げたものが、本作『あしながおじさん』です。


ジョン・グリア孤児院で育てられたジルーシャ・アボットは、孤児院で過ごすことができる年齢を超え始めていました。孤児院を支援する評議員たちで彼女の今後を会議で話しましたが、そこで驚くべき結論が導かれました。彼女が書いた作文のなかに詩性と文才を認めた一人の評議員が、彼自身の援助で大学へと進学させ、彼女が社会に出る環境を整えて、彼女に作家を目指させようというものです。条件は二つあり、この評議員の名前は明かされないこと、そして月に一度は必ず評議員の仮名ジョン・スミスに宛てて手紙を書くこと、というものでした。ジルーシャは驚きと感謝のなか、女子大学の寄宿に入り、周囲との社交に必要な小遣いを与えられて、新しい世界を過ごしていきます。彼女は評議員の仮名を嫌い、「あしながおじさん」と命名して、約束を果たすべく手紙を書いていきますが、それは一方的でありながら近況と所感を交え、ユーモアと機知に富んだ愉快な手紙でした。本作は冒頭の経緯を除いて、全てジュディ(ジルーシャ自身で付けたあだ名)による手紙で構成されています。ジュディの綴る手紙には、新しい世界に対する興味や驚きが溢れています。それは、平均的な家庭環境で過ごしてきた人々には、むしろ当然のような文化のことであり、ジュディの観察や所感は、独自の俯瞰的な目線での発見として、興奮を帯びながら書かれます。


「マザー・グース」も「デビッド・コッパーフィールド」も「アイバンホー」も「シンデレラ」「青ひげ」「ロビンソン・クルーソー」「ジェーン・エア」も「不思議の国のアリス」も知らなければ、ルドヤード・キプリングの作品一つ読んでいませんし、ヘンリー八世が一度以上結婚したことも、シェレーが詩人であることも知りませんでした。人間が大昔は猿だったこともエデンの園というのは美しい神話だということも知りませんでした。それから、R・L・Sがロバート・ルイス・スティーブンソンの略字だということも、ジョージ・エリオットが女性だということも知りませんでした。


このような新たな経験や教養、そして学問などを得られる感謝が綴られるだけでなく、その文章からは今まで得たことのなかった「家庭的な愛情」をジョン・スミスに感じ、大きな感謝を抱いていることを何度も窺わせます。このような愛情の繋がりは、ジュディ自身の精神的な成長を促し、心を豊かにしていきます。謙虚さは失うことなく、それでも「家族」であるからこそ意思を伝えることができるという関係性が、孤児院では得られなかった貴重な感情を生んだのだと理解できます。


またウェブスターは、世間を知らない無垢な心のジュディを通して、自身が抱く思想の片鱗を語らせています。ブルジョワジーたちの資本主義的態度と言動に違和感を覚え、自分なりに考えた思考をジョン・スミスへと投げ掛けます。キリスト教が成功していたならば、世はすでに幸福な社会主義世界になっていたのではないか。無政府主義ではなく、即座の社会革命を目指すわけでもなく、教育や福祉から着手して徐々に世界を幸福な社会主義へと導くべきではないか。このようなウェブスターが実際に経験して構築した思想を、無知なジュディを通すことで読者へと届けようと試みています。繰り返しになりますが、公民権も選挙権も与えられないという扱いを受けていた女性でありながら、世に思想を問おうとする姿勢は非常に勇敢なもので、当時の常識を大きく覆す行為でした。このような行動を可能にしたという意味合いでも、本作の構成は見事であり、世間が大きく受け入れたという事実からもその試みは成功したのではないかと思われます。


家族の愛を受けることなく困難な環境で育ったジュディは、卑屈になることなく自尊心を保ち、自己を評価して自信のある言動を見せて生きてきました。孤児院の外の世界に出るまでは、自分に厳しい扱いを与えた社会そのものを否定的な目線で見ていました。しかし、ジョン・スミスによって与えられた機会は冷えきった目線を温め、ジュディは寛大に情熱を持って世界を受け止め直し、「現在ある自分の幸福」を認めて、感謝をもって人生の喜びを得ました。自分が持ち得ていないものを欲するのではなく、「現在あるもの」を喜び、それに感謝するという決意は、ジュディから得られる我々への教訓であると受け止めることができます。恵まれた文化、恵まれた環境に、我々はなかなか気付きませんが、このような「当たり前の大切さ」を意識して感謝とともに生きていくことは、幸福のために非常に重要なことであると思います。


私は一秒一秒を楽しみ、しかも自分がそれを楽しんでいることを自覚しているのです。たいていの人は生活をしているのではなく競走しているのです。地平線の遙か彼方の決勝点に一刻も早く着くことにばかり熱中して、息を切らせてあえぎながら走っていて自分の通っている美しい静かな田園風景など眼にも入らないでいるのです。そのあげくにまず気がつくことは自分がもう老年になり、疲れ果ててしまい決勝点に入ろうが入るまいが、どうでもいいことになっているのです。


また、最後の場面では、ジュディの幸福を賛美するように物語が終わります。孤児院から大学への進学、自分を苦しめた世界との和解、見識の広がるさまざまな出会いなど、多くのものへ感謝と情熱で接してきたジュディには、受けてきたその苦難を充分に覆す幸福が最後に与えられました。

読後感も清々しく、現代に生きる我々に多くの気づきを与えてくれる作品です。ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』、未読の方はぜひ、読んでみてください。では。


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集