『現代日本の開化』夏目漱石 感想
こんにちは。RIYOです。
今回はこちらの作品です。
明治の文学思潮において西洋発祥の自然主義が日本で隆盛するなか、反自然主義として理知的思想と広い視野を誇り真っ向から対峙した「余裕派」の代表的な作家である夏目漱石。本書は彼の広い視野で見た知見を、日露戦争後に各地へ赴き語り通した講演の数々を収めた文明論集です。
日露戦争は1904年に勃発しました。ロシア帝国の経済的、領土的利権確保を目的とした満州と朝鮮半島への進軍により、それらを守らんとする大日本帝国が迎え撃ちました。同等の戦力により総力戦となった激しい攻防は、両国民の生活を脅かしながら規模を拡大して、日本海での海戦にまで及ぶものでした。この戦場には両国の同盟国から世界各地より観戦武官が派遣され、戦況を各国へ報告されていました。1902年に結ばれた日英同盟により、イギリスは日本側として30名以上が派遣され、逐一報告を本国へ行っていました。この戦争は世界各国へ戦闘の質の変化を伝達していきます。近代西洋兵器を多用した戦術は既存の白兵戦術を凌駕し、その後の戦争被害を莫大にすることを知らしめました。結果的にロシアの騎兵に対抗する銃器が猛威を振るい、双方変わらぬ多大な被害を生みながらも、最終的に日本に軍配が上がりました。
日本の文明西洋化は日露戦争の僅か三十年ほど前に本格化しました。江戸幕府が大政奉還をして明治天皇が即位した1868年より明治が始まりました。他国との交流が徐々に頻繁になり、先進的な新たな文明が日本に流入を始めます。政府は「殖産興業」「富国強兵」なる標語を掲げ、先進技術や新制度(学制や徴兵制)を取り入れて「日本の近代化」を図ります。新橋・横浜間の鉄道が開通し、煉瓦造りの洋風建築が建ち並び、肉食が大衆に広まり、ランタンのような形をしたアーク灯が街路に立ち並んで夜の街を明るくしました。1875年に福沢諭吉が世に出した『文明論之概略』にて「文明開化」(civilization)と訳出された言葉が、この時代における社会の西洋化を指す言葉として現代でも使用されています。
格段に利便性が向上して近代的な生活を得た大衆は、衣食住のあらゆる点で西洋化されていきます。そして思考も「西洋讃美」化する人々が多く見られるようになりました。しかしながら、実態的な苦悩は解消されていないのではないか、本当に心まで豊かになっているのか、否、そうではないと強く提言したのが作家の夏目漱石です。教師を経て朝日新聞社へ入社すると、世に警鐘を鳴らす講演を各地で行っていきます。その中の幾つかの講演を纏めたものが本作『漱石文明論集』です。そして「文明開化」に対して直截的に意見を述べているものが「現代日本の開化」です。
確かに日々の生活において利便性は向上しました。これを豊かさと捉えて良いものか、漠然とした違和感を細かく論理的に紐解いていきます。人々は、電信や郵便が発達して遠く離れた人々へ簡単に連絡を取ることができるようになり、西洋の伝統的な衣服を纏って街灯の輝く路を闊歩します。一等国(先進国)となった日本を誇りに思い、肉食文化を楽しみ、洋酒を煽って笑います。この開化によって得た恩恵は、本質的なものであるのか。否、これは上滑りした外層的なものであると断言します。
文明開化、つまり文明の発展による社会や習慣の変化は、その文明を生きる人々が内発的に起こす変化でなければならないと訴えています。より良い利便性を、より良い手軽さを、元来存在していた文明の中で、その人々が変化を望み、試行錯誤をして辿り着く文明の改善こそが、内発的な変化としています。しかし、政府の掲げた標語からは真逆の意図があり、他国の優れた文明を倣い、取り入れ、吸収して、新たな文明を作ろうとする外発的なものでした。この違いにより、人間の感情は違和感が存在するものだと論じます。文明開化が進む以前、既に進められていた内発的変化は一蹴され、外発的に流入した文明が世に幅を利かせます。排除された内発的変化を起こそうとしていた感情の中には「虚無感」が存在すべきであり、誇りに思い高らかに笑うなどは考え難い行為であると断じています。また言い換えるなら、西洋の文明は内発的に生じて発展したものであり、歴史も長く深く推敲された上での進歩であるのに対して、日本の文明開化は外発的に取って付けられた西洋文明の上澄みを塗りたくっただけの皮層的なものであると言えます。
このような状況でありながらも、日本はイギリスを中心に外交を無くすことは困難であり、他国へ礼節を尽くすことは免れません。1902年に締結された日英同盟により、その外交はより顕著となります。和装から洋装へ、箸からフォークへ、文明の吸収は迎合へと変わり、内発的な誇りは埋もれていきます。西洋の皮を被った日本の社会で過ごすことは、食客(いそうろう)も同然のような感情を生み、日本人として胸を張って生活をすることは大変困難であると感じています。しかし頭で理解はしていても、人間の欲というものは資本主義的な側面を持っていることが多分であり、本性的にも西洋の先進文明を受け入れようとする感情が働きます。
この心情を認めながらも誇りを守ろうとするが故に、これまでの文明社会を否定して、資本主義的な思考へと変化させます。そして社会としての誇りを捨て、自我を尊重しようとする考えを持って自己正当化を図ります。
文明開化は利便性の側面では多分に豊かさを与えましたが、日本人の心には潜在的に不満と不安を多く生み出させました。そして、各個人が日本の誇り、日本人としての誇りを失い、自分勝手な資本主義へ目覚めようとしていると断じています。講演では明確な答えは無いと悲嘆に暮れながら締めくくりますが、作家としての活動、そして作家としての誇りから、文学の位置付けをひとつ見出します。
このペシミズム(厭世主義)は実際に夏目漱石が抱き続けていた感情表現でもあり、一貫して背負い続けた社会への眼差しとも言えます。社会を中心に文明開化を眺めていた漱石は、人々の変化する自我に対して憂うとともに、そのような世になってしまい、そしてその変化を止められることのできない無力さが前述の虚無感と混じり合い、形而上へ救いを求めたのかもしれません。彼の長篇処女作『吾輩は猫である』では上記の開化に対する憂いや、西洋文化による人間の資本主義化に対する厭世的感情が多く織り込まれています。そして、厭世主義が顕著に見られる終幕では見事な結末を見せています。
この講演の後、つまり数年後に勃発する第一次世界大戦争を、一等国となったと浮かれた世間感情と膨張した自我尊重の意識が引き起こしたと、そして彼がそれを予言していたというように感じられてなりません。如何にして内発的変革意識を保つか、故人の築いた社会に誇りと尊重を保てるか、それらを活かす形で真の社会変化を目指すことができるか。このようなことを考えさせられた論集でした。未読の方はぜひ、読んでみてください。
では。
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