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ワーママとして試行錯誤した轍

先駆者として奮闘したといえば…記憶がふと蘇った。

産休育休取得時、復帰時のことだ。

2014 年当時、私の周りには育休明けのモデルケースが極端に少なかった。
睡眠を3時間くらいしかとらずに働いている人や(夫や実家のサポートも多そうだった)、チームの理解が得られず退職する事例などばかり見聞きし、戦慄していた。

悪阻が酷く、パフォーマンスを出せず、産休に入る時も、申し訳ない気持ちが先行して、「不在時のフォローを埋めていただいた分は復帰後に取り返します」的な心持ちで実際にそんなことも言っていたかもしれない。

今ならわかる。

そんなことは無理だ。
※そしてそれに理解を示してもらえないようなら転職せよと過去の私に言いたい。

育休時も会社のメールをちょこちょこ見ていたし、育休明けも明らかに無理して仕事していた。

今ならわかる。仕事は数年後に取り返せても、産後のガタガタの自分の身体のケアや乳児期の子供との生活は不可逆で、取り返せないんだ。

独身時、誰よりも遅くまで残って仕事にリソースを全振りしていた私は(何も誇れるものではないが)、人に頼ることに慣れてなかったし、自分の持ちリソースの変化に頭が対応しきれていなかった。

我が子は夜泣きが幼児まで続いた。
睡眠不足というのが何より辛く、毎晩、ノンレム睡眠に入った直後に強制的に起こされるしんどさを知った。

時短勤務だったのに、それで給料も減っていたのに、仕事が終わらなくて帰れない私を、「大丈夫?」とだけ声掛けてくれる人はいても、実務としてのフォロー体制はなかった。

結局残業して、タクシーで保育園に向かい、延長保育料をその場で払いながら、保育士さんに怒られ、機嫌が悪くて泣く子供を抱っこして片手でベビーカーを押していたあの日、「もうなんもかんもうまくできない、辞めるしかないのかな」と涙を溢したあの瞬間を、鮮明に覚えている。

あの年、仕事の評価も低く、本当にしんどかった。

今でも後悔していることがある。
育休明け、私は産休分を取り返そうと躍起になって無理をしていた。自身の身体も体力も産前とは異なるし、乳児を抱えて、以前と同様のパフォーマンスなんて土台無理なのに。
「残ってください」と言われたわけでもないのに時短の就業時間以降まで自ら働いて (相手のある仕事だったので切り上げられなかった)、人に頼ることが不得手だった。そしてタクシーを飛ばして高い保育延長料金を払い、「遅い」と泣く子供を抱っこして帰り、夜に夫に「そこまでして仕事する必要あるの」と言われる。「そこまでして」やった仕事を、私が当時キャパオーバーで仕事をしていたことを、当時の同僚は覚えてないだろうし、当時も特段感謝の言葉をかけられたわけではない。自分自身と子は自分でしか守れない。優先度を履き違えるのは良くない。私の屍を乗り越えて欲しい。

「育休明けの人へ、私なりのエール」より抜粋

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結局辞める勇気もなく、とはいえ拾う神ありで、他部署に拾ってもらい(信頼残高で声掛けてもらった)、小1の壁を前に職場異動(ジョブチェンジ)をした。

ワーキングマザーとして、転職サイトから取材の依頼がきているから受けてほしいと人事経由で依頼された時、複雑な思いが湧き上がったのを覚えている。

あの頃から数年経ち、状況は劇的とも言っていいほど変わってきた。
行政の補助も厚くなってきたし、保活状況も改善されてきたようだ。
私が公立学童に申し込んだここ数年でも、申し込み方法がオンラインになったりして変わりつつある。

そして職場にも働く母は増えた。
産後両立できないから退職する…という話はここ数年ほとんど聞かなくなった。

コロナ禍でリモートワークが推進されたことも後押しになったように思う。

私は先駆者として、後進の役に立てただろうか。
私の苦しんで試行錯誤した轍が、誰かの為になっていればと、願っている。

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