📚2024.2 本読みは人を安心させる #9
"読まないくせにというけれど"
言葉によって世界を切り分ける。語彙の豊富な人には、世界が色彩豊かに、美しく見えている。言葉の豊かな者は、人を安心させる。言葉は命に直結するからだ。また、本を読むのは分かりたいからだ。世界を、人間を、分かりたい。他者の気持ち、感情に、接近したい。そういう意思を顕現させているのが、本のページを操るという動作だ。そういう意思に対して、人は気をゆるめる。安心する。一緒に話したい、働きたい。あるいは一緒に暮らしたい。
"読む本を選ぶということ"
つまり、読書そのものは、人格を育てない。劇薬だ。興味の赴くままただ読むのは、有害でさえある。ヒトラーのように、人類の災厄とすらなる。生涯を濫読で終わってはいけない。人生のある時期だけでもいい。リストに沿ってカノン(正典)を読む。リスト読書を通過したのちには、あとはなにを読んだって構わない。劇薬であろうとなんであろうと、咀嚼するあごの力が備わっているのだから。
"百冊で耕す"
本読みは、人を安心させる。本を読む人間が、あたりまえだが、識字能力がある。ましてや大部の本を読むような人間には、忍耐力があるはずだ。集中力がある。想像力があって、共感する力もある。もっといえば、本を読むとは、孤独に耐えられるということも意味する。世界で一人きりになっても、本の世界に遊ぶことができる。それはつまり人を愛せる、ということだ。愛されることを渇望する人は、孤独の重さに耐えられない。ひるがえって、本があればなんとか生きられる人は必ずしも愛されることを必要としていない。ただ人を愛することができるのみだ。そして、逆説めくが、人を愛せる人が、人から愛される人だ。人から愛されるには、まず自分から愛さなければならない。
世界を、見る。平明な言葉に移す。作家がそれによって生き延びた文章により、読者もまた、救われることがある。この世界には、必ず<外>がある。なぜ、本など読むのか。勉強するのか。幸せになるためだ。幸せな人とは、本を読む人のことだ。
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いろんな本屋さんを巡って、売り切ればかりで、
やっっとgetできたこちらの1冊。
”百冊で耕す”
百冊で耕すとは、
厳選した百冊の本棚を作ること。中身は入れ替え制。
私も、漫然と本を増やしてしまっていたけれど、今後は、百冊とは行かなくても、(百冊に絞るのが難しくてそれに時間がかかりそう)
厳選した本をあつめた本棚作りに集中しようと思う。
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この本を読んで色々と、とにかく目からウロコだった。
電子書籍論と、紙の本論、どちらがどういいのか、
というあるあるテーマから、
積読について、速読について、
本を読み終えたあとの活かし方について、
そして何より、私の中で大きくうなずけた項目は、
"本読みは人を安心させる"
ということ。
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話が少しずれるが、私は看護師をしている。
急性期の病棟看護師や、手術室看護師も経験して、
今は、少し特殊な、訪問看護師をしている。
いわば、在宅にいる患者さんの元へ訪問し、
必要な医療や看護を提供するお仕事。
訪問するということは、人の城に立ち入る、ということ。
その分患者さんも、病院にいるときより、リラックスした状態だし、
悪く言えば態度が大きい。
看護師へのクレームなど、圧倒的に病棟のときより多い。
そんな中で、私は、他のスタッフに比べて、クレームがかなり少ない、
(もはやほとんどない)と自負している。
そればかりか、患者さんとの関係性がかなり良好なケースが多い。
これは、自慢や自惚れでは全くなくて、
なぜ自分は、他者よりうまく患者さんと関係性が築けるんだろう、と、
自分でも疑問に思っていた。
その答えがまさかのこの本の中に書かれていた。
そう、
"本読みは人を安心させる”
これが答えだと思う。
語彙の豊富な人には、世界が色彩豊かに、美しく見えている。
言葉の豊かな者は、人を安心させる。言葉は命に直結するから。
世界を、人間を、分かりたい。他者の気持ち、感情に、接近したい。
識字能力がある。
忍耐力がある。
本を読むとは、孤独に耐えられるということも意味する。
つまり人を愛せる。
幸せになれる。
私は本を読むことで知らず知らずのうちに、
患者さんと良好なコミュニケーションを取ることができ、
愛を持って看護をすることができ、
忍耐がありどんな困難事例にも対応し、
患者さんの気持ちを人よりわかろうと努力し、そして分かることができる。
自分が幸せだから、患者さんにも幸せを与えることができる。
これが答えだったんだ ....
私の中で衝撃が走った瞬間だった。
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”読書自体は、人格を育てずむしろ”劇薬”だということ。
リストに沿って、正典(カノン)を読み進めること。”
私は、私の好きなフィールド内の書籍を読んでいるだけだと思い知らされた。
最近少し脱して、教育や子育てについての本をよおんだりするけれど ...
百冊で耕すの中には、どんな本が正典か、何冊も紹介されているので、
少しずつ読み進め、いずれ制覇したいと考えている。
心のどこかでは、そういう(正典に載るような)本を読んだ方がよりためになると思ってはいても、
話がわからないと、読みたくなくなる。投げ出したくなる。
そんなときはどうしたらいいかも、書かれている。
”あらすじを言えるのが、なにほどのことだろう。そんなこと、少しもだいじではない。むしろ、作品の<空気>を感じることが重要だ。本を読んでいたとき、どういう<空気>に包まれていたか。挑んで、はね返される。その体験じたいが必要だ。”
あらすじさえもわからない、
登場人物も頭の中でごちゃごちゃ、になるような、
難しい本に出会ったとき、私は、
自分の理解力・読解力の低さに絶望し、読むことをやめる。
その体験こそが、
自分の能力をより伸ばすことに繋がっていたかもしれないのに、
なんともったいないことをしていたんだろう ...
改めて、
読書がいかにすばらしく、自分にとってよいものか、
本読みであることがいかに幸せなことか、
考えさせられる、本当に素晴らしい1冊だった。
本は好きだけど、色々と自分の中で間違えて考えていたこともあって、
この本に出会えて、より読書が好きになった。
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