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良いことをするって

勇気がいるよね。

ってなんだか、当たり前のように使われている言葉。

ふと疑問に思いました。

なんで ”良いことをするのに勇気がいる” んだろう。

小さな親切にはリスクも「失敗」もないのに。

誰かに咎められたり、罰せられたりするわけでもない。

なんで「勇気がいる」んだろう。

余ってしまった夜ご飯を、ホームレスの人にあげた帰り道、

ぼんやりそんなことを考えていました。

そんなこととっくに忘れてしまったかのように、

別の他愛のない話で盛り上がっている友達をみながら、

もしも私が今いるのが日本だったら、

この 小さな親切ができたかなぁって。

勇気” を出せたかなぁって。

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でも、友達をみてみれば、勇気を出していた様子なんて全くなくて。

そうするのが当たり前だとでもいうように、

自然に話かけて、手渡して。

ふざけるとか、いいことしようとかじゃなくて、

ただ、余っているから、私たちはもういらないから、必要としている人にあげるだけ。

だれも褒めないし、だれも変に思ったり笑ったりしない。

私たち自身の誰も、今しがた自分たちがやったことに関して言及しないし、

道行く人もまた、そんなことには気を留めない。

なーんだ、良いことをするのに「勇気」なんていらないじゃん

って感じた瞬間。

それでも、ボランティア部の炊き出し以外で、ホームレスの方とまともにお話したことがない私は少し緊張。

東京でも、ニューヨークでも、サンフランシスコでも、ホームレスの方はたっくさん見てきたけど、

なんとなく目を背けてしまいがちで、

自分から話しかけるのは初めてでした。

そのせいか、ホームレスの女の人の「Thank you!!」って大きな声と、

歯の抜けた満面の笑顔が、

やけに心にぐっときて。

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嬉しかったなーって思うのと同時に、

今こうしてブログなんてものにつらつら書いている自分を見つめると、

「偽善」
「自己満足」
「ナルシシズム」

なんて言葉が頭のなかに浮かんできて。

「勇気」が必要だったのはこのせいか、と思い当たったわけなのです。

「良いこと」をした自分に酔っているんじゃないか、

「可哀そう」なんて傲慢な感想が頭をかすめたんじゃないか、

と考えては苦しくなり、

”人からもそう思われるのかな?”

と思えばこわくなり、

もっと言えば、

”こうしてわざわざ書くなんて、承認欲求がとてつもなく強いんじゃないか、”

とちょっとした自己嫌悪に陥り、、

の悪循環。

俗にいう「良いこと」をする度、こんなに心が疲れるのなら、

なるほど勇気が必要なわけだよね

と妙に納得。

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「良いこと」だと思うから、こんなことになるわけで、

「当たり前」って思っていれば何でもないことのはずなのに。

こんな小さな変化なんて取るに足らない、とでもいうように

街が人が動き続けているのをみていたら、

「自意識過剰」という言葉が

今の私にはぴったりだなぁと思って

苦笑い。

でも意識してしまったものは仕方がないから、

こうやって書くことで整理してみる。

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なんだかすごくネガティブなものになってきたけど、

一方で「それがなに?」

って強気になる自分もいて。

「当たり前」を装うポーカーフェイスの下のが

笑顔がみれて嬉しいという気持ちだろうが、

私はなんて良い人なんだって酔いしれているナルシストだろうが、

「与える」立場であることへの優越感に浸っていようが、

”みて”という願望が潜んでいようが、

それは私自身の問題で。

まわりの人の目にどう映るかなんてのは、気にしたって仕方がない。

おなかを空かせた一人のひとが、インドカレーとナンを手に入れたという事実自体に、

大きな問題は見当たらない。

「いる?」
「いる」
「はい」
「ありがとう!」

っていう短い会話で、これだけ心が動いたのは、

たぶんいつかのバレンタイン以来。笑

好きな人にチョコを渡す勇気にくらべたら、

良いことをする勇気なんてちっぽけなものだと思いました。


▼ とがり チヨコ

Today’s Happiness

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#コンテスト
#磨け感情解像度

#つぶやき


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ほそい りさ
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