いつだったかの温泉旅行で、とある女友だちが酒を煽りながら、そんな熱弁をふるった。 明らかに酔っ払ってスイッチの入った彼女の発言に、私たちはひとしきり笑ったあと、 「「「わかる!!!」」」 と何度も何度も頷いて、ワイングラス...もとい紙コップを揺らし、枕をかかえ、布団の上を転げまわって、いかに男の「かわいい」がキケンかを話し合ったものである。 酔がすっかり醒め、時間が経った今でも時折、この言葉を思い出す。 これほど真実の詰まった格言があるだろうか。 男の「かわいい
- Back Story- 彼女との出会いはカウチサーフィン。 プロフィールのレビューを読むと 「優しくて最高の夫婦」「料理上手であたたかい二人」 などの言葉が並んでいて、 夫婦で暮らす家のお世話になるのだと思いこんでいました。 いざ家につくと、彼女はひとり。 パートナーの方はどこかに出かけているのだろうか、と考えていると、 冒頭に書いたとおり、旦那さんが3年前に亡くなったということを教えてもらったのです。 詳しい経緯は聞いていないですが、 きっと突然のことだったん
世界は信じられないほど美しく、 神様は時に残酷だ。 すべてを与え、 すべてを奪うー 否、奪われたように感じさせる。 「3年前に夫を亡くして、 私の人生は変わったの。」 落ち着いて話す彼女の声に 全神経を傾けながら、 私はなんとも情けない顔をしていた。 世界を共に旅した相棒を、 永久の愛を誓った恋人を、 すべてを共にした魂の片割れを、 急に喪うことの哀しみは、 到底想像のつくものではなく。 ちょうど私と彼が世界を旅するように、 彼女は彼と、人生そのものを冒険していて
勇気がいるよね。 ってなんだか、当たり前のように使われている言葉。 ふと疑問に思いました。 なんで ”良いことをするのに勇気がいる” んだろう。 小さな親切にはリスクも「失敗」もないのに。 誰かに咎められたり、罰せられたりするわけでもない。 なんで「勇気がいる」んだろう。 余ってしまった夜ご飯を、ホームレスの人にあげた帰り道、 ぼんやりそんなことを考えていました。 そんなこととっくに忘れてしまったかのように、 別の他愛のない話で盛り上がっている友達をみなが
祖父の名は、「豊」(ゆたか)という。 . 豊じいちゃんは、すごい。 御年・82歳。 朝は 5 時に起き、 2時間の散歩と体操へ出向く。 朝のごはんは茶碗 2 杯、ペロリとたいらげる。 毎日の軽い筋トレも欠かさない。 世界中の人の中で、控えめに言っても健康レベル 上位 20%くらいには食い込みそうなほどの健康体だ。 頭だって、良い。 豊じいちゃんは毎日図書館へ行く。* さまざまなジャンルの、新しい本を読み続ける。 英語を勉強する。 娘から譲り受けたタブレ
「ゴール」 競技スポーツをやっていたら、きっと誰もが意識することがあるものだ。 勝つこと。自己ベストを出すこと。金メダルを獲ること。新記録をつくること。ノーミスで演技を終えること。シュートを決めること。感動を与えること。楽しむこと。楽しませること。 人によって、時によって、そのゴールはさまざまだ。 何を目指してもいいし、何が目的だっていい。 なんなら、ゴールなんてなくてもいいのかもしれない。 スポーツをやるのに、目的なんて、理由なんて、ない。 それでいい、それが
工藤直子さんの《「し」をかくひ》という詩が好きだ。 小学生2年生のとき、ひと音読惚れをしてから、ずっと好きだ。 オリジナルメロディーにのせて歌ってみたり、 みつるくん と みのむしくん を絵に描いてみたり、 へたくそな字で写経してみたりしたことがあるくらいには大好きだ。 小学6年生の国語の授業で、「好きな詩を描こう」という課題がでたときには、迷わずこれを選んだ。 まわりのクラスメイトが、宮沢賢治さんの「雨ニモマケズ」や、谷川俊太郎さんの「生きる」など、メッセージ性が強
最近、面白い本を読んだ。 「断片的なものの社会学」 上手な言葉では表せないけれど、私は、この本は海の中のガラスを集めたみたいだと思った。 波に洗われて、すっかり角が丸くなってたり、まだ尖りが残っていたり、半透明だったり、くすんでいたりする、海の中のガラス。 どこにでも、たくさんあるけれど、一つ一つ、形も色も手触りも違っていて。 光に翳すと綺麗に見えたり、ザラザラと淀んでいるだけだったりする。 この本は、著者の岸さんがこれまでの人生で触れてきた<ガラス>のいくつかを、
職員室に、大きな声が轟いた。 私は、耳を塞ぎたい衝動を何とか堪えて、下を向き、首を竦め、目を瞑った。 声は真上から降り続けてくる。 「”すみません”なんて言葉はききたくない!!! 私はな、”すみません”って言葉が大っ嫌いなんだ!!! おまえの”すみません”はかるいんだ!!!」 反射的に顔をあげると、吊り上がった切れ長の眼と、いつにも増してくっきりと存在感のある眉間、興奮で震えた紅い頬がグッと眼前に迫ってきて、私は顔をあげたことを後悔した。 あまりの迫力に気圧された
ーーー文化は、氷山の一角だっていう例えがある。 食事や服装、音楽、言葉みたいな、目にみえる違いが、水面上にみえている氷。 これを受け入れるのはすごく簡単。 「美味しい」「かわいい」「おもしろい」なんて感想で片付いてしまう。 これだって立派な異文化交流だし、相手を「知る/歩み寄る」行為であることに間違いはない。 でも、「文化」っていうのは本当はもっとずーっと奥深くて、 「時間」の概念や、 パーソナルスペースの問題、 ”自己”をどうみるか、 年を、性差を、階級を、どう扱
心に「鉛」が溜まっていく。少しずつ、少しずつ。 誰に足を引っ張られた訳でもないのに、心が、身体が、沈んでいく。 海中に浮遊する見えない鉛を、気付かないうちにたくさん飲み込んでしまっていたみたいだ。 一生懸命顔をあげるのに、泳いで、息を吸おうとするのに、苦しくなるのは何故だろう…。 これが、私が「82年生まれ、キム・ジヨン」を読んで得た”感覚”。 私は、涙を流さなかった。 そうさせたのは、所々に出てくる統計を冷静な目で見つめようとした理性かもしれないし、 「女性だからこ
リマからクスコへ向かうバスで、乗り物酔いをした。 ちょっと気分悪い…なんてレベルのものではなく、 トイレへ行くことも出来ずにその場で吐き続けてしまうような 最後は胃液がでてくるような 激しい吐き気の伴う酔い。 ——-—– 防犯のためか座席付近の窓は開かず、 なんとか辿り着けたトイレの小さな窓から 外の空気を吸う。 バスはアンデス山脈まわりをすすんでいて、 涙が滲む目でも、景色がとても美しいことは捉えることができた。 透き通るような青い空に、鮮やかな緑の芝。 道は赤
という言葉が嫌いだ。 「普通、(+自分の意見)」も 「(自分の意見=)当たり前」も 好きじゃない。 「もう大人なんだから、(+個人の意見)」も 「日本人であれば、(+個人の価値観)」も 嫌い。 . “自分はこう思う” ってシンプルに言えばいいだけなのに、 “自分が多勢だ” ということを暗に強調する感じが、 たまらなくキライ。 得体の知れないたくさんの「誰か」たちをバックにつけて、 話し相手にプレッシャーを与えるそのズルさも、 自分に自信がないのを隠して、 何
映画が好き。 私の中の何かを起こしてくれるから。 見える世界が変わるから。 おなかがよじれる程笑ったり、涙が溢れて止まらなかったり、胸が張り裂けそうなくらい切なくなったり。 映画の中のだれかに本気で怒ることも、どきどきすることも、上手くいきますようにってお祈りすることもある。 感情を思い切りぶつけることのできる、不思議な時間。 . 今日とりあげる映画は、Into the Wild. Sean Penn監督、Emile Hirsch主演 裕福な家庭、優秀な成績
小さい頃、読むこと、書くこと、想像することが好きでした。 ハリー・ポッターやナルニア国の冒険に胸を躍らせ、ポワロ探偵の名推理に唸り、赤毛のアンやジェーンエアと共に育ちました。 想像の翼を思い切り広げて遊ぶのは、すごく楽しかった。 . 社会に出て、働きはじめて数年。 幸いなことに仕事は楽しい、けれど。 最近は、どうにも心を耕す機会が足りない。 何にも縛らず、誰の目も気にせず、心向くままに飛び回ることを最後にしたのはいつだろう。 会社員の「私」でも、家族の「わたし