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メメント・モリ - いつか必ず死ぬことを忘れるな -

私は生々しい女優の千切れた手の写真を見ていました。
あまりにも生々しいその写真は肉片が飛び出し、不思議と私の口の中は鉄っぽさを感じ、緊張で喉が乾くのがわかります。そのグロさとは相反して色白で柔らかく美しい手が肉片から生えていました。



20代の頃、酷く心が荒れていた私は自分の中に押し込めた衝動が抑えられず自分をわざと危険に晒して心のバランスを保とうとしていました。高い場所のギリギリを歩いてみたり、そこらへんにネクタイと首をかけてみたりです。


その時に関わっていた歳上の友人と、大阪にある裏路地の小さな雑貨屋さんによく行っていました。
今もそのお店があるかはわかりませんが、知っている人じゃないとお店だとは気付かないような門構えなんです。

シルバーアクセサリーや、タロットカード、マグカップ、缶バッチ、海外の珍しいタバコ、爬虫類が解剖されたホルマリン漬けの瓶、キャンドル、試験管、サバイバルナイフ、藁人形、お札…なんだか怪しいものを揃えたお店は、現実から切り離された異空間でした。

壁にかけられたガラスケースに一枚5,000円〜20,000円で死体写真が並べられ売られていました。
悪趣味だとは思いますが、それを集めるのが好きだったんです。その写真に映る姿に自分を重ねて想像すると怒りや悲しみがすぐに収まりました。


ある日、その歳上の友人が
"死体写真の展示会がある"
と言うので連れていってもらいました。

それが写真家:釣崎清隆さんの展示会でした。


死は誰にもやってくるもの。
その意味で死は日常です。
特に子どもに死を考えさせる機会を与えないのは問題だと思いますよ。「いかがわしいもの、見てはいけないもの」で済ませていいんですかね。ホワイトウォッシュ(漂白)された社会でいいんでしょうか。僕は納得できません。

人の死についてリアルに考える。
釣崎清隆さん


↓ こちらに記事を載せておきます。



それを、美しいと思ってしまった。

一見、目を伏せたくなるような残酷な写真たちは、私の心の何かを引きずり出しました。
誰にも汚されたり利用されなくて済む。
鳥肌が立つ程の怒りや恨み。
孤独感や、悲しさや。
なんとも言えない安堵感も感じて、胸がグッと締め付けられました。


その中の一枚。
見入ってしまったんです。
千切れた女優の手に。

私は生々しい女優の千切れた手の写真を見ていました。
あまりにも生々しいその写真は肉片が飛び出し、不思議と私の口の中は鉄っぽさを感じ、緊張で喉が乾くのがわかります。そのグロさとは相反して色白で柔らかく美しい手が肉片から生えていました。

身体を失っても、その美しさは指先一つの細部にまで出ていて、目が離せなくなりました。


私が無駄に自分の体を危険に晒していたとして、例えそれで自分の命が無駄に消えたとして、きっとこれほど美しい死に方は出来ないんだなと、現実を叩きつけられたような気持ちになりました。

この写真には、

ここに飾ってある写真達には、

"温もり"があったんです。



当時の空っぽの私には到底辿り着けない温かさを感じました。こんなふうに言うのは大袈裟かもしれません。

だけど、
言葉に出来ない人間らしさ、その人の持つ魅力が、動かなくなった死体写真から伝わってくるようでした。
必死に生きていた証が、死体になっても表に出ていたんですよね。それ以来、私の危険な行為は徐々に減って行きました。

1番の理由は
醜い死に方をしたくないと思ったからです。

あの写真展は非常識な方法で私をレールに戻したように感じます。どうせなら美しく、、、
ただシンプルにそう思ったんです。


その後、私は様々な形で「死」について考えさせられる経験を重ねました。身内の自害や、大好きな人の病死、事故に居合わせたり、命を繋いだり。
倒れたまま動かない知らない人の血に触れて頭が真っ白になる感覚も、普通に生きていたらなかなか経験しないタイミングによく居合わせてしまいました。

きっとあの写真展の後に、無意識にその気配に寄せられていたのだと思います。とにかく3〜4ヶ月ごとに何かが起こるので、まるで自分が死神にでもなったような錯覚さえしていました。


人の命に触れる時、側にいた私に微かに言葉を託そうとする人が多くいました。お母さんに電話したい、携帯とってください、痛い、ごめんなさい…実に様々です。
でもその一言にその人の日常や、その人らしさが詰まっているようでした。

なぜか「痛い」という言葉で私も痛くなったし、「お母さんに電話したい」という言葉で私も母親の声を聞いて安心したい気持ちになりました。
実際にどうなのかは本人にしかわかりませんが、私にはそう感じたんですよね。


自分の危険な行動がなくなる頃には、そのような現場に居合わせる回数もかなり減っていきました。いまだにたまに起こりますが、あんなに立て続けに起こっていたのは異常だったと不思議に思います。


自ら命を終わらせることに関して、絶対にダメ!…とは残念ながら言えません。引き止めるべきなんだろうとも思うのですが、私もその苦しみと戦ったことがあるから強く否定ができません。
ただ、そこには思考の偏りがあります。
何がアナタにそうさせているのかはわかりませんが、他人の意見や目線に支配されての事なら、どうかそこから必死に逃げてください。
勇気を出して自分を幸せにする為に一歩を踏み出す事をおすすめします。


今回は「死」について
思う事を少しお話しました。
釣崎清隆さんの写真展は定期的に大阪や東京で開催されると思いますので、機会があれば一度、生々しい写真を観に行ってみてはいかがでしょうか。
私のように何かが変わるかもしれません。



今しか出来ないことが溢れています。
小さな枠の中で終わるのは勿体無い。
知らない物事がたくさんあります。
たくさんの人と出会うと驚きがあります。
可能性がまだまだ溢れているのです。

どうか人に惑わされず
自分で自分を認めてください。

やりたいことがでてきたら、
必要な事を学ぶのです。
必要な物を集めるのです。
失敗しながら進むのです。
そんな自分を自分で褒めるのです。
どんな自分も許してあげてくださいね。
あなたなら、大丈夫。

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