わけもわからぬ寂しさに襲われたことがある人へ
2022年の私の最大の悩みは「寂しさ」だった。
それも明確な理由がないものだから、永遠に解決せず苦しみ続けていた。
2022年の後半3ヶ月は会う人会う人に「1週間で何回寂しいって思う?」と聞いていたのだが、なんと結果100%(!)が「ほとんどない」と回答。(ちなみに私は1週間で9回くらい寂しいと思っていた)
巷では寂しい人が溢れているのに!
Twitterではメンヘラが溢れているのに!
と私はさらに寂しさを募らせたのであった。
寂しさの研究。それは身に覚えのある行為
そこから私は寂しさの研究を始めた。
この答えにさらに「なぜ?」と深掘りしていく。
正直めんどくさい。しかも寂しいという感情と向き合い続けることになるので、全然楽しくない…というか苦しい。この感覚には身に覚えがある…
そう、寂しさの研究は自己分析なのだ。
結論からいうと、私には寂しさの正体はわからなかった。でも自分が「永遠に続くものなどない」と思っていることがわかった。その理由を深掘りすると、小さい頃から転勤族で、小学校は3つ行っていること。その度に泣き疲れるほどの寂しさと、新たに友達を作らなければならないという緊張感があったことを思い出した。でも正直これが原因かはわからない。原因のひとつではあるかもね、と思ったところで一旦やめた。
そして周りの人に「私は1週間に9回ほど寂しいと思うことがある。原因がわからない。できれば寂しいと思わないようにしたい。」と話すようになった。誰かに解決できる問題でないことはわかっているので、「あなたもそういうことありますか?」という質問をするだけなんだけど。
ここで新しい発見だったのは
ことだった。
SNSを開けば「孤独」「メンヘラ」を見ない日はないのに、私の周りにはいない…それはとても驚きで、でも同時に聞く前から「この人はきっと寂しいとあまり思わないだろうな〜」と思っていたので、納得でもあった。
そして他者の自分へのイメージも想像通りだ。なぜか周りからは
というイメージを持たれている。
私からすると負け癖があって(これはまた別の記事にしたい)、会社が倒産したり解雇されたり、交通事故に遭って人生のどん底を味わった私のどこが順風満帆なんだ?!と思うのだが、基本的には人前では明るく元気なタイプなので、このイメージなのだろう。だからみんな私のことを全然わかってくれない!とわめくつもりもないし、"自分が伝えないことは、人には伝わらない" ということを改めて思った。
寂しいことはネガティブなことなのか?
2022年、年末に近づくと気づけば寂しさを感じることは減っていた。忘年会で色々な人と会う機会が増えたからかもしれないし、もうすぐ実家で家族に会える安心感かもしれないし、ひたすら寂しさを分析したからかもしれない。
でも恐らく一番は「今日も寂しいと感じています。」と気楽に周りに伝えられるようになったからだと思う。以前の私は「解決できないことを相談されたら、周りは困るのではないか」と思っていたし、寂しいとはネガティブなことだから、相手もネガティブな気持ちになってしまうのではないかと思っていた。
ところがこの件に関して相談すると、高確率で「寂しいと言ってくれて嬉しい」と言われるのだ。よく考えれば私だって誰かに頼られたら嬉しい。このことに気づいてから、寂しいと思うことが減っていった。
そして2023年、とても良い本に出会った。(後半で紹介する)その本からの気づきが誰かの寂しさを癒すかもしれない…そう思ったのが記事を書こうとしたきっかけだ。
前述の通り、私は今まで寂しいと思うことはネガティブだと思っていた。しかし実はネガティブではないのでは?ということに気づいた。どういうことかというと、
少し話が変わるが、みなさんは自分の感情を封じ込めようとしたことがあるだろうか?
私は過去に3度ほど鬱経験があるのだが、2度目は酷いパワハラと過酷な労働が原因だった。その時の私は理不尽なことで怒鳴られるたび傷つかないよう、貝のように心を閉ざしていた。自分を守るために感情をコントロールしようとした(またはしていいる)経験がある人は、結構いるのではないかと思う。
また周りにも同じように心を閉ざす人がいた。私の後に入社してきた男の子は、音楽大好きで「アーティストに話しかけてもいいんすかね?」と言っちゃうような明るく無鉄砲な子だったのに、私が辞めた後は現場で何も話さない、暗くて存在感のない人になってしまったらしい。
何が言いたいかというと、感情を感じることはネガティブなことではなく、実はとても素晴らしい、ということだ。でもそれに気づかず、無意識のうちに感情を感じないようにしている人は意外と多いのかもしれない。
「自分を愛する」はハードルが高すぎる
自己肯定感の低さに悩むことが多かった私は、これに関する文献やインタビュー記事などはかなりの数を読んだと思う。その中で必ずといっていいほど出てくるのが「自分を愛しましょう」というフレーズだ。
はて、自分を愛するって何?
試行錯誤はするものの、どこかしっくりこないままここまで来た。
そんな中、書籍を読んで出会った文章がこちら。
私が自分を愛している、と感じられるのはこれだ!!
と生まれて初めてしっくりきた。
また少し話がずれるけど、皆さん仕事のモチベーションや、仕事で幸せ〜!と感じる瞬間はどんな時だろうか?
わかりやすく数字が上がった時、昇格した時、大手企業で大プロジェクトを回している時…
色々なモチベーションがあるだろうが、私の場合大学生の時からずっと「誰かの笑顔が見られること」だ。新卒の面接でこんなふわっとしたことを言ったら落とされそうだが、事実そうなのである。
そんな私はコンサートプロデューサーになり、アーティストや観客の笑顔を見るだけで毎回号泣にしていたし、PRという仕事を通して誰かの笑顔を見るのが心から嬉しい。自分が目立ちたいとか、自分がこれを達成したい!というより、誰かが達成したことを応援するのが好きなのだ。
私のようなタイプの場合、「相手が喜んでいる=自分が喜んでいる」になる。つまり自分を愛するということが自分だけを愛することだと苦しいけど、相手も私も楽しい!だとその分幸せが倍増するわけだ。
自己肯定感ではなく、自己信頼度を上げていこう
さて、自己肯定感の話に戻そう。
自己肯定感とは?と調べると出てくるのが
と出てくる。これを読んで何の違和感もない方は、自己肯定感が高い方です。おめでとうございます。
私はというと、自分を否定するわけではないけど、好意的に受け止めているわけでもない。自分大好きでもないし、どちらかというと人に気を遣ってみんなの空気がよくなるように(そしてそれがバレないように)頑張るタイプ。やっぱり他者に矢印が向きがちな性格なのかもしれない。
そういう人にとって「自己肯定感」って結構ハードルが高い。
「相手が喜んでいる=自分が喜んでいる」なわけだから、自分を肯定するより相手を肯定したくなる。本当に自己肯定感が高い人ってマジで周りを気にしないですからね。周りに迷惑をかけても、自分のせいで飛行機が飛ばなくても、「ごめんごめ〜ん!ハッハッハッ!」みたいな知人、周りにも何人かいるのでよくわかる。迷惑をかけても自分は周りに迷惑をかけているとは思わないので、ある意味最強。(もちろん人に迷惑をかけない場面でもこの力は最大限に発揮される)
ここまで読んで「わかる…私この人の言ってることわかるわ…」という方は、自己信頼度という考え方はいかがだろうか?
自己信頼度とは文字通り自分に対する信頼なわけだけど、これをどうやって上げるか自分なりに考えてみた。
どうだろうか。これなら上げられそうな気がしてきた?
わかりにくいるかもしれないので、どういう人が信頼できるか考えてみよう。信頼というのは不思議なもので、
意外と
だったりする。
つまり信頼できる自分になるためには、仕事ができてお金も稼いでて外見も磨いているスーパーマン / スーパーウーマンになる必要はない。「今の自分最高!」と肯定する必要もない。
自分が大切だと思う価値観に沿って実直に生きることが、自己信頼度を上げることとも言える。こう考えるとできる気がしてくるのではないだろうか。
まとめ
さて、寂しさから始まり自己信頼度まで言葉の冒険をしてきたが、一応まとめてみる。
一度でも「わけもわからぬ寂しさに襲われたことがある人」はTwitterなどで感想をシェアしていただけるととても嬉しいです!
今回記事を書くに至って参考になった本はこちら。