読書日記:天秤の針が振り切れないように
幸せとは何か、と聞かれたら、好きな作家の新刊が読めることだと答える。
世界をその目と心で捉えながら筆を通して語り継ぐ、作家という増幅器を通して新たに描かれ直した世界に浸るのは、私にとって最高の娯楽だ。
忙しなく過ごす中で記憶や感情から溢れ、有意識の彼方へ曖昧な手触りだけを残して去ってしまったものたちに、作家によってぴしりと言葉が当て嵌められていく。あの感覚に溺れ、惑い、興奮を覚えた日からずっと今日まで、私は本を読み続けている。
いくつか、好きな世界がある。
それは独白だったり、誰にも届かない愛の話だったりするのだが、今いっとう私の心を占めているのは、生きていくことを選んだ話だ。
こんな話だ。
主人公は、殺人事件の被害者である。目の前で婚約者と幼なじみをほぼ同時に失い、本人も現場に居合わせたが運良く被害を免れた。
ただ、この殺人事件には入り組んだ事情があり、生き残った主人公は己の存在に深く罪悪感を抱くようになり、次第に心を閉ざしていく。
事件の起きた故郷を離れ、遠くの地で肉体労働に勤しみながら、時折フラッシュバッグする記憶に苦しみ続ける主人公。
そんな主人公に「百物語怪談の聞き手」という役割を与えた人物がいてーーー。
ご存知の方もいるかもしれないが、タイトル・著者は以下の通りである。
◽️宮部みゆき著 「おそろし 三島屋変調百物語事始 」角川文庫
例えばの話だが、何かにひどく傷ついた時。悲しんだ時。
暗いくらい方へ落ち込んで、もう二度と這い上がれないかもしれない、と思ったことはないだろうか。もしくは、もう二度と戻ってこなくても良いから楽になりたい、と思ったことは、ないだろうか。
私はある。もうほとんど常に、そういう思いを纏い続けている。
ならいっそ、と行動するのが、そういう思いを抱く人間のあるべき姿なのかもしれない。が、しかし、そこへ向かういくつかのハードルを前にして、私が感じたのは生への強い執着だった。情けないほど単純に、生きていたいのだ。私は。
矛盾している人間は疲弊しやすい。相反している感情をその身に抱き続けているのだから、消耗して当然だ。あっちに引っ張られながらもいや矢張りこっちだ、等と、その日その日を危なっかしく生きていく。
この小説の主人公もーーなかなか危なっかしながらも、聞き役として渡世を渡っていく。勿論苦しむことも多くあるが、渡っていく中で、自分の苦しみに目を向けない瞬間が出てくる。
目の前で吐露される他者の心情を理解しようと、己の心の隙間を譲り渡す。隙間に収まったそれは心の一部となり、不思議なことにある種の癒しとなって主人公に還っていく。
先程挙げた話ーー危なっかしい人間が「生きていこう」と思った時。
重要なのは、他者の何がしかを心に受け入れること、そして孤独ではないと思えることではないだろうか。水桶に頭を突っ込み、自ら押さえ続けているような苦しみには特に。
時々は水面に顔を上げて、こわごわとでも息をして人と話してみると良いのだろうな、と思う。案外、水から遠ざけてくれる原因になるかもしれないからだ。
私は人にはすがれない。宗教も哲学もセラピーも、今は必要ない。
助けて欲しい、と思うこともあるが、最終的には己が内によって生を選び続けていたい。
それが天秤の針が片方に振り切れないように、そろそろとした道行きであったとしても。