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【短編集】月曜日はウォーキング・デッド -音楽にまつわる創作ショートストーリー (2)

episode2.Africa

Monday

 早起きした。身支度も鞄の中身も準備は万端。今日こそ学校へ行くんだ。
 ひなたは持てる勇気を全部振り絞って玄関に立った。あとは靴を履いてドアを開けるだけ、それだけだ。白い靴ひもを、何度も結び直す。だんだんと手に汗がにじみ、口の中が冷たくなる。立ち上がってドアに手を掛けたその瞬間、胃がせりあがりのど元がざわつき、ひなたは慌てて靴を脱ぎ捨てトイレに駆け込む。

「大丈夫?もうバスが来る時間だけど、行けそう?」
トイレのドアの向こうで母さんの声がする。
「焦らなくていいんだよ、ひな」
うん、わかってる、でも行きたいんだ、本当は、私だって。
返事の代わりに嘔吐してしまった。苦しくて涙がにじむ。
「…もしもし、1年5組の田中ひなたの保護者です、お世話になります……はい…ええ、そんな感じで…もうちょっとなんですけどね…」声が小さくなっていく。悔しいな。情けないな。二学期は頑張るって決めたのに。
 ふらふらした足取りで部屋にもどるとそのまま布団に潜り込む。丸まって目を閉じると、目の前に暗くて深い穴が見える。その穴はじわじわと大きく深くなってひなたを呑み込んでしまいそうだ。いっそ砂漠の穴に落ちて化石になって埋もれて眠ってしまえたらいいのに。

Tuesday

 「ひーなーたーおーきーろー」
父さんの声だ。
「あーさーめーしーくーうーぞー」
え、もう朝なんだ。時計を見る。9時。ああ、また休んだんだっけ。
「なんで父さんがいるの」
「有給休暇でーす。溜まってるから消化しようと思ってね」
「母さんは?」
「今日はお仕事」
ああ、そうか。父さん、私のために休んだのか。
「はやく食えよ。やることいっぱいあるんだからな」
これだこれ、と、父さんが広げた紙には、母さんからの家事指令が箇条書きにしてあった。
「平等に分担するからな」
「いいけど、料理苦手だよ私」
「俺は得意だぞ。湯をわかすのと、レンジでチン」
「わかった、じゃんけんで決めよう。勝った方がやる」
じゃんけんで負けてしまったので、昼ごはんは冷凍ピザとカップ焼きそばに決まった。

 「え、なんでラジオ?」
父さんが居間のテレビを消して、ラジオのチューニングを合わせている。ラジオがお目見えするのは台風以来だった。
「平日の昼間のテレビほどつまんねえもんはないだろう。俺はラジオ派だ。ラジオは聞きながら仕事ができる」
週刊なんちゃらで買ったらしい模型の部品をテーブルに広げながら言う。
「仕事、たのしそうだね」
「いいだろう?やらせねえぞ」
父さんといると、なんだか気が抜けちゃう。
ラジオからは「懐かしのビルボードチャート」が流れはじめ、聞いたこともない外国の音楽がかかる。一曲ごとに「うわーこれ超なつかしー」って、鼻唄を歌う父さん。そういえば家にギターもあったっけ。
「父さんて、昔、バンドやってたんだよね?」
「ちょこっとだけな。あ、今流れているこれ、このグループの曲をコピーしてたんだ」
「ふうん」
それは、他のと違ってあまり騒々しくなくて、なんとなく心地のいいリズムの歌だった。
「洋楽、って言うんだっけ。なに言ってるのかわかんないけど、嫌いじゃないかも」
「だろだろ?言葉がわからないとかえって丸ごと音楽として感じられるんだよ。詞の内容に邪魔されないから自分のなかで自由にイメージできるんだ」
「ふーん。つまり、英語がわかんないんだね、父さんも」
いやなこと言うねおまえ、そういいながらテキトーな英語で口ずさむ父さんは、なんかかわいい。
「あ、今ちょっと聞き取れた。アフリカ、って言ってる?」
「言ってる言ってる。この歌のタイトル、アフリカだから。さすが中学生」

I bless the rains down in Africa.

「レイン」「アフリカ」が何度も繰り返し聞こえる。英語が聞き取れたことが嬉しかった。英語の歌が歌えたらかっこいいな。

「ひなた、明日学校送ってやろうか?車で」
「…うん」
「明日も休みとってあるから、いやなら途中からドライブデートでもいいんだぜ」
「絶対学校いく」


Wednesday

   早起きした。身支度も鞄の中身も準備は万端。そして運転手は早々とエンジンをかけて待っている。
「じゃじゃーん、懐かしのMD」
「なにそれ、初めてみるんだけど」

助手席に乗り込みながら聞く。あ、玄関から出られた。
「母さんに捨てられてなくてよかったなぁおまえ。奇跡的にこのカーステ、まだMDが聴けるんだよね」
ほれ、この曲、知ってるだろ。
車は走りだし、音楽も流れはじめた。昨日聴いた「アフリカ」だ。
打楽器が軽快なリズムを刻み、この音はキーボードだろうか?泉からこんこんと水がわき出すような音が続く。柔らかい優しい歌声が車の中を満たす。さざ波のように繰り返すメロディ。なんだろう、不思議と心地いい。
  ひなたは目を閉じてみた。
荒れた大地を走るヌーやシマウマたち。追いかけていくとそこににぽっかりと現れたオアシス。
ライオン、ゾウ、キリン、シマウマ、キツネ、ウサギ、そして黒人の少年…これは…。これは、絵本の1ページだ。
「ねえ、父さん。うちにアフリカの絵本ってなかった?」
「ああ、あった。『あふりかのたいこ』だな。ひなた、好きだったからなあ、あの本」
「それだ、それ!男の子がたいこを叩いてたよね」
スピーカーから太鼓の音が微かに流れてくる。リコーダーのような笛の音も混ざる。
「飽きるほど毎日毎日読まされたよ」
そうだ、大好きだったんだ。
「最後の見開きのページ、大きな池の回りにいろんな動物が集まって水を飲むシーンがひなたは大好きでさ、毎日、全部の動物の名前を言わされたよ」
「あのなかに、悪いおじさんもいたんだよね」
ライオンのような肉食動物も、インパラのような草食動物も、略奪者であるハンターさえも、ただ無心に水を飲んでいた。大好きな絵だった。

「1曲リピートしていい?学校に着くまで」

アフリカの風景を引きずったまま学校についたひなたは、無防備に教室に入った。草食動物の群れが一斉にこっちを向いた気がした。大丈夫、怖くない。頭のなかで父さんの「だろだろ?お前はネコ科だから強いんだぜ」という声が聞こえた気がした。


Thursday

 急展開だ。バス登校もできてしまった。吐き気を催さなかったの、いつぶりだろうか。

  入学するはずだった近所の中学校が廃校となり、町の中学に入学してすぐ、ひなたは体調を崩した。それまで同級生が数人しかいないような環境だったから、1学年5クラスもあるような大人数に圧倒されたのだ。友だちを作ろう、仲よくしよう、と頑張ってはみたものの、似た顔が多いし、話すペースが速いし、話の輪に入れそうにない。同じ小学校出身の生徒は皆、別々のクラスに振り分けられた。行きかえりのバスでしか会えないし、部活動のある友達とは時間帯が合わず、顔を合わせることもなくなった。隣のクラスに幼馴染の男子がいるが、中学生になると急に不愛想になってしまった。

  登校できるようになったことで、担任の先生は安心したようだ。いない間に打合せ済みなのか、人のよさそうな女子のグループが「ひなたちゃん、一緒に理科室行こう」などと声を掛けてくれるようになった。あたり障りのない話題で、何かと気を使ってくれるおとなしいシマウマみたいな人達だ。私もシマウマに見えてるのかな。

「そういえば、隣のクラスの小林くんって、ひなたちゃんのお友達なの?毎日プリント取りに来てくれてたけど」「そうそう、私も気になってた」

ああ、そうだったんだ。「その…家が近いだけだよ」

「ふうん。ひなた、って呼び捨てにしてたから仲いいのかと思ってた」

「彼氏なのかな、って」ねー、って目配せしながら笑う感じ、いやだな。

「…うちの小学校人数少ないし保育園からずっと一緒だから…」

「えっ、じゃあ、ひなたちゃんは何て呼んでるの、小林君のこと」「聞きたい聞きたーい」もう。キャッキャッうるさいな、この人達。サルだったのか。

「ねえ、じゃまなんだけど!」

同じクラスの女子が後ろに立っていた。「広がって歩かないでよね」

さらりとした空気を纏って通り過ぎていく。ひとりで颯爽と。

「こわ。さすが、ヤマネコの山根」だれかが小声で呟いた。

ヤマネコの山根さん、名前、覚えた。そして、なんだかかっこいい。

Friday

  登校三日目の朝は、ちょっと辛い。「いっぺんに頑張らなくてもいいよ」と母さんは言うけど、今休むとまた行けなくなりそう。あの子たちが、小声でひそひそ私のことを話す様子が想像できてしまって、胃がむかむかする。

「ひなた、大丈夫なんか」

バスを待っていたら"小林君"が心配そうに声を掛けてきた。

「まあまあ。ていうか、ケンちゃんは平気なんだね」

「俺はまあ、嫌いな奴に好かれたいと思ってないからな」

飄々としているケンちゃんは、高い木の上で昼寝しているヒョウかな。いや、動物園のライオンだな。ちょっとだらしなく、いいかげんな。

いちいち動物に喩えると、なんだか面白くなる。

昨日のあの子、ヤマネコみたいな山根さん。一匹狼みたいにかっこよかった。友だちになりたいけど、なれるだろうか。

車窓に水滴がついた。瞬く間に、大粒の雨がバスを包む。スコールみたいだ。雨は好きだ。

I bless the rains down in Africa.

あの歌がまた聞こえた。

アフリカの乾いた大地に雨が降る。

動物たちが集まるあの水場に、行くんだ、私も。

                                                     end

くりたゆき様作 Africa

なんと!くりたゆき様(https://twitter.com/yuki_kurita)が素敵なイラストを描いてくださいました!

柔らかいタッチと色、躍動感のある「ひなた」とフラミンゴさんたち、無機質な学校と美しく広がるアフリカの大地の対比(というか融合)、物語に寄り添う表現力に深く感銘を受けております。ありがとうございます!

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インスピレーションをいただいた音楽はこちら。Toto  ‟ Africa”

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📖絵本は絶版になりましたがこの本です。読んだことがある方、ぜひお話をお聞かせください。

『あふりかのたいこ 』(こどものとも傑作集 31) (日本語) 単行本 – 1966/12/25
瀬田 貞二 (著), 寺島 龍一 (イラスト)

https://www.amazon.co.jp/%E3%81%82%E3%81%B5%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93-%E3%81%93%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A8%E3%82%82%E5%82%91%E4%BD%9C%E9%9B%86-31-%E7%80%AC%E7%94%B0-%E8%B2%9E%E4%BA%8C/dp/483400080X/ref=sr_1_1?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E3%81%82%E3%81%B5%E3%82%8A%E3%81%8B%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%81%84%E3%81%93&qid=1599208857&sr=8-1




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