強い風が吹いた日の帰り道、サツキはいそいで寄り道をしました。 公園の桜の花が全部散ってしまっていないか、心配だったのです。 「よかった、まだ全部散ってない」 足元に落ちているたくさんの花びらの中から、きれいな淡いピンクのハート型を、そっと拾ってハンカチにのせます。 サツキのおじいちゃんはこの公園の、古い桜の木が大好きでした。 幹がねじれ、あちこちを添え木で支えられた、ごつごつした桜の木です。春は毎年、この木の下でお花見をしたものです。 この冬も、散歩の途
「ない、ない、探して」 母さんが、また叫んでいる。 「今度は何なの~」 父さんと姉さんが、あきれ顔で立ち上がる。母さんは毎日のように何かをなくしては、ぼくたちに探させるんだ。 「決めたところにちゃんと戻さないからだ」 父さんに叱られると、きまって 「ミーコが隠したのかなあ」 なんてわけのわからない言い訳をするのも、母さんの悪い癖だ。 ミーコは、四か月ほど前に死んでしまった、母さんのねこだ。母さんの、というのは、ミーコが他の誰にも懐かなかったからだ。結婚する前から飼っていた母
金木犀父の句集に恋の文字 着ぶくれて街の景色となる気楽 缶ふたつ抱いて心療内科前 泡消える程の沈黙ラテふたつ 浅蜊開き悪口小さくひとりごつ 煙茸不満は小出しにするが良し 初雪のことなど老父との電話 今起きたやうな返信蜥蜴出づ 便箋の母の字細し吾亦紅 空蝉や焼き付けられし無言の生 (2019~2020) 父の句集を編集したことがきっかけとなり、見様見真似で俳句をはじめ、 「海原ひろしま」の句会に誘っていただき、1年間学ばせていただいた。 句会の面白さ、
episode3. Raindrops Keep Fallin' on My Head ー雨にぬれてもー「だって、雨に濡れたら歌いたくなるじゃないですか」 はしゃぐ子犬みたいに無邪気に、そのひとは笑った。 Monday 「ごめん!急用入ったから、モーニング代わって」 マスターからの電話でたたき起こされた。 ただでさえ朝は苦手で、ただでさえ無愛想な私は、思いきり不機嫌なため息で答えた。 「…モーニングなんて、やったことないです、無理」 「ほとんど客来ないから大丈夫!
“Buena Vista(いい眺め)!” なぜだかその言葉が浮かんだ。 ゆっくりと遠ざかる、青く美しい惑星は 新しい一日の始まりを示す白い光に縁どられ、輝いていた。 「おはよう、地球。今日もきれいだね」 いつも通りの挨拶を、思わず口にする。 宇宙ステーションでの船外ミッションの途中、事故に遭った私は 糸の切れた凧のように宇宙に放り出されてしまった。 その絶望的な状況にも拘らず、「まあ、家族のいる他のクルーでなくてよかったよな」と他人事のように落ち着いていた。 そして、初めて
2021年3月から、twitterで書き始めたマイクロノベル。7月までで35編となりました。そのなかで思い入れのあるものや残していきたいものをこちらにまとめたいと思います。 じんわり編 No.26 春告鳥 鶯に憑依して孫たちを待って丸二年。 現世は何やら悪い病が流行っているらしく、婆さんは寂しそうに山の向こうを眺めている。 鯉のぼり不在の竿にとまり鳴いてみる。元気だせやい、儂がおるでの。 婆さんがこっちを見てニッと笑う。 「へたくそじゃね」 なんじゃ気づいとったんか。
(素敵な写真をタイトル代わりに使わせていただきました) まあ、良しとしよう!」 そう言い聞かせる年の瀬です。ここ(note)で創作を始めて、半年になります。作品数はわずかで、不甲斐ない。でも、良い意味で開き直り、前に進み始めることのできた年でした。生きていられただけで感謝しなくてはならない年でしたね。創作に時間を使うなんて贅沢し過ぎだ、とは思いますが。 優しい物語を綴りたい。 来年は今年よりたくさん。 今年出会うことのできた表現者の方々から分けていただいた感性
駅のホームから線路に目を落とす秋の午後 君たちが、そこにいた そうやって鉄のレールをガッシと掴み、歯をくいしばって頑張っていたんだね 片目を四角く歪ませて 君たちはかすかに笑った
episode2.AfricaMonday 早起きした。身支度も鞄の中身も準備は万端。今日こそ学校へ行くんだ。 ひなたは持てる勇気を全部振り絞って玄関に立った。あとは靴を履いてドアを開けるだけ、それだけだ。白い靴ひもを、何度も結び直す。だんだんと手に汗がにじみ、口の中が冷たくなる。立ち上がってドアに手を掛けたその瞬間、胃がせりあがりのど元がざわつき、ひなたは慌てて靴を脱ぎ捨てトイレに駆け込む。 「大丈夫?もうバスが来る時間だけど、行けそう?」 トイレのドアの向こうで母さん
#こんな学校あったらいいな 「今日から校長先生は、先生をやめて児童になります」 月曜日の朝の会のスピーカーから、校長先生の大きな声が響きました。 「ええっ、どういうこと?」 「校長先生、どうしたの?」 こどもたちは大騒ぎです。くんちゃんは、「騒いだら先生に怒られる」と思っているので、口をぎゅっと閉じています。 校内放送はそれっきりで黒板の上のスピーカーは黙ったまま。 くんちゃんは、担任の大岩先生の「こらぁ!」「うるさいぞ!」を耳を押さえて待っていました。大岩先生
episode1.Funny Bunny Monday朝日が、眩しい。 正確には、川面に反射する朝の光が眩しい。 目を開けていることがつらい。そして眠い。 長身やせ型の背中を丸め、つり革に全力で寄りかかる。 路面電車の座席に並ぶ人々の、俯いた無防備な頭頂部を朝の光が照らしている。 田中はそれをぼんやりと、見るともなく眺めていた。 郊外からビジネス街へと走る電車の中は、勤め人と学生でひしめき合っていて、地方都市とはいえ中々の混み具合だ。 車窓から見えるのは、澄み