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コアラのマーチが疲れた大人に教えてくれたこと

コアラのマーチが好きだ。

軽い歯ざわり、粉っぽい香りに、チョコレートの主張しすぎない甘さ。サクサク無限に食べてしまう。

いつものように、コンビニで見慣れた六角柱のパッケージを買う。家に帰ったらYouTubeを開き、緑のフタを剥がし、銀色の袋をキュイっと割いて、指を突っ込む。

好きな曲のPVが一本終わると同時に、指が空を切る。あ、ぜんぶ食べちゃった。

開封してからここまで、コアラの絵を目にした回数は、ゼロだ。

とたんに罪悪感に襲われた。

パッケージには、様々な表情で購入者を楽しませようとするコアラたちの絵が踊っている。私はそんなコアラたちの努力を無駄にして、ただ無心でお菓子を消費してしまったのだ。

悪人ここに極まれり。日の目を見ないまま胃酸に溶けていくコアラたちに恨まれても文句は言えない。


時間に追われ、人に縛られ、残高を気にして、僕らはいつしか大人になった(平成のJ‐POP風)。

気づけば、お菓子を砂糖の塊として体内に放り込んでいる。あの頃のように、ワクワクしながら1つずつコアラの表情を見るなんて非効率なことはもうしない。

でも、コアラたちは今日もそこにいる。

小さなビスケットのキャンバスの上で、ある時はひょっとこ踊り、ある時は少女漫画風のコスプレをしながら、食べる人が「あっ」と驚き笑顔になってくれるのを、きっとドキドキしながら待っているのだ。

大人だからこそ、コアラとのささやかな時間を楽しむべきなのではないか?

遊び心を忘れた自分が、とても寂しい人間に思えてきた。


反省した私は、翌日またコンビニでコアラのマーチを買った。今度はちゃんと1個1個、見つめあってから食べた。

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(上図: 筆者と熱視線を交わすコアラ氏)

改めて見ると、最近の柄は工夫に富んでいて面白い。せっかくコアラの形に焼き上げたクッキーの枠にとらわれず、しっぽり二匹で収まっていたり、天気予報図を描いたものまである。

それでも、久しぶりに表情豊かなコアラたちとお菓子を通して戯れる行為は、単に「食べる」という行為を超越した安心感さえ感じた。これがノスタルジーというものなのだろうか。

雨の日も風の日も、病める時も健やかなる時も、コアラはいつもそこにいてくれる。

私が理不尽なクレームを処理している間も、あのコアラたちは健気にがんばっているのだと思うと、少し救われる気がする。

ありがとう、令和も変わらずマーチするコアラたち。
ありがとう、ロッテさん。

コアラ、フォーエバー!


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