シェルターに行き着くまで -1-
lilyです。
さっそくですが前置きから
書いていこうかなと思います。
(投稿後に少し詳しく上書きしてます)
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
なぜ私がシェルターの存在を知り、
”私も利用することが出来るのかな?”
など考えることになったかというと、、
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
だいぶ戻ってしまいますが、
私は物心ついた幼少期から、
”高校を卒業したらすぐに結婚したい!”
”若いママになって毎日楽しく
可愛く綺麗な女性になるんだ!”
と、夢見ながらも
小学校低学年の頃から
部活動に打ち込んでいた青春時代。
ありがたいことに好きな事を
なんでもさせてくれる両親のもとで
『人に迷惑をかけなければ何をやってもいい』
『好きな事を思う存分やりなさい』
という環境に育ち大人になっていきました。
学生の頃は結構一匹狼みたいなとこは
あったのかなと今振り返ると思います。
世間の大人というのか
『前にならえ。』
みたいな、なんでも同じように
乱す事なく従わなければならない。
みんなと同じ事をしなければいけない。
みたいな所に違和感を感じていて
教育現場での縛りと言うのか、
そういうのは好きじゃなかったです。
(もちろん大事な教育だということは重々分かります)
ちょっと性格の曲がった生徒だったのかも。
それでも両親に対しての
反抗期などは一切なかったですね。
不思議なもんです。
ろくに勉強はしてこなかったのは
母になった今、少しだけ後悔してるかな。
高校卒業後は自分のやりたい事、
美容系の専門学校や語学の勉強、
それからアパレル業や飲食業、
夜の少し華やか?な仕事をしてみたり。
いろんな事を学びました。
それなりに恋愛もしてきたかなと思います。
色々な方達と出会い
沢山の付き合いがありましたが
恋愛に少し冷めているというのか、、
『人を好きになる』
『人を想う』
『愛おしい』
という感情がよく解らないまま
気づいたら大人になっていましたね。
とにかく仕事が好き、稼ぐのが好き。
若かったので貯金もせず遊ぶために
働いていたようなもので、
それはそれで充実した生活だったのかな。
そして、結構あるあるかなぁ?
と私は思いますが、
出会ってすぐに
『ビビっときた!』
『これが運命なんだ!』
みたいな出会いだったのが
元夫でした。
すごく失礼な事を言うようですが、
タイプだったわけじゃないんですよね。
ただ、
『あ、この人と結婚するのかも』
と、出会ってすぐの直感です。
なので、最初から
”結婚する相手”
として見ていたので
どこを好きになったとか
そういうのは解らなかったです。
考えることもしなかったです。
(ええ、若かりし頃のありえない私です)
出会ってからはすごく早かったですね。
その人自身を知ろうともせずに
結婚相手として見てた私がいましたから。
年齢もひと回りほど上でしたし
つるむ周りの人間も知らないわけです。
とまぁ、目の前で見ていた彼自身が
”私が知っている全て”でしたし、
何ひとつ疑うことをしなかったです。
ほんの数ヶ月で入籍し、
お腹の子供が安定期に入ったあたりから
色々と夫婦関係がうまくいかなくなったんですよね。
様々な問題が発覚したのです。
多額の借金、DV歴、犯罪歴、
女性関連の問題、隠し子、酒癖、、etc
長くなってしまいましたが、
ざっくりこんな感じです。
元夫との問題の詳しい内容については、
今のところあまり触れようと
思ってないのでまた機会があれば。
実際にあった大まかな内容ですが、
身体的、精神的、経済的、そして性的DV
モラハラ、虐待にあたる様々な事がありました。
夫婦間では一般的な考えかなと思うのですが、
”結婚した以上しっかりこの人を
受け入れてどうにかやっていくしかない”
どんな夫婦や人間関係でも片側どちらかが
『100』悪いなんてないと思ってます。
私も相当メンタルやられましたし
色々ありましたから。
そんなこんなで結婚してからの
”DV被害者のシェルター”に
避難するまでに
5〜6年かかりました。
洗脳されていたんだと思います。
その生活、環境が当たり前だと。
周りから見れば普通に幸せな
”家族”に見えてたんじゃないかな。
それでも、
身体は正直でその当時すでに拒絶反応もあり、
自律神経失調症と思われる様々な症状から
原因不明のストレス性の全身蕁麻疹。
それが呼吸器にも現れ始め、
救急でアナフィラキシーショックと
診断も受け処置が行われました。
4〜5ヶ所病院を回され検査を繰り返し、
辿り着いた大学病院では、
結局のところ、
『ご主人様に対しての拒絶反応と言いますか、、
アレルギー反応として過剰に身体に症状が出ているかと。』
そんなことあるのかと始めは苦笑いでしたが
本当にそうだったんだと今では思いますね。
なぜなら、離れてみたらその当時の症状が
出なくなっていた事実がありますから。
(その後も身体の様々なところで離脱症状として
出てしまい現在も治療中です。)
そんなことは置いといて、、
とにかく、
当時の私は、家族や周りにもちゃんと
”HELP”を出すことができなかったです。
『信じてもらえないだろう。』
『どうにもならないだろう。
ずっと私の心と脳と、
身体の全てを支配していたんですね。
まず『逃げられない』と。
2022.08.23 lily