ジャン=ポール・ベルモンド(「勝手にしやがれ」)
1959年のフランス映画「勝手にしやがれ」。ジャン=リュック・ゴダール監督の長編処女作。「劇映画って、こんな撮り方でいいんですか?こんな編集の仕方でいいんですか?こんな音の入れ方でいいんですか?こんな俳優の演技でいいんですか?・・・」「こんなんで、いいんじゃないの・・・。所詮、劇映画は作り物で全部嘘事ですから、観客に本当らしくリアルに見せて、感情移入して頂くのもいいけど、たまにはこんな、一見観客を突き放したような(見ようによっては観客を小バカにしたような)語り口の劇映画があっても新鮮ですよ。語り口(文体)が最初風変わりに感じられるけど、小津安二郎監督の映画だって初見の時は相当風変わりな語り口(文体)に感じられましたが、よくよく見れば、斬新かつ説得力に満ち溢れた天才的な語り口ですよね。誰も真似できません。」
というわけで、この映画は劇映画のストーリーテリング、語り口、文体の面で、それまでの概念や常識にあっさりとあっかんべーをしてしまい、しかもなおかつ観客に「あぁ、映画ってこんなんでいいんだぁ。て言うか、これこそ映画だ!」と思わせてしまった不思議な魔力を持つ映画です。
というわけで、私もこの映画の語り口(文体)は大好きですが、ただ物語的にはあまり好きではありません。「勝手にしやがれ」も「気狂いピエロ」もまさに天才的な映画表現だと感動しますが、お話しの内容が両作共、女に片恋慕した男が最後は結局女に裏切られて破滅するという、なんとも情けないお話しです。(私はハードボイルド派なので😅こういう軟弱な話しは嫌いだぁ~😅)結局ゴダール監督のテーマである〈人間同士のコミュニカシオン(フランス語😅)は困難だ〉ということを観客に感じてもらいたいのでしょうが、お金払って映画を観て、絶望感に彩られて映画館を出るというのは、ちょっとしんどいかなっ😅ちょっとだけでもいいから、希望を感じさせておくれよ、ゴダール監督ぅ~✌