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久しぶりに対面での心理臨床学会に参加したのだけれど

久しぶりに対面での心理臨床学会に参加したのだけれど
「サイコロジー・メンタルヘルス&日々のあれこれ」

 月初のとある日、横浜市・パシフィコ横浜で開催された心理臨床学会(対面)に参加しました。

 コロナの規制が明けて、対面での学会にも随分と人が戻って来ました。私は、オンラインでない心理臨床学会参加は、たぶん4年ぶり?でした。

 ポスター発表など割と一生懸命(?)拝見したのだけれど、研究発表のネタが随分と微視的なんですよね。小さな研究でも、そこから人間心理の大海原が垣間見えるのなら嬉しいのだけれど、どうもそうじゃない。

 公認心理師が制度化されて、さまざまな方面から臨床心理業界に人材が流れてきたのは、とてもよいことと思っているのですが、得意な一分野には秀でていても、周辺のことはよく分からない、という底の浅さ・視野の狭さは気になるところですね。正直、ちょっともやっとしました。

写真1・この日の横浜はよい天気。帆船日本丸越しの街並み。横浜は私の生まれ故郷(一応“浜っ子”なのだ)であり、思春期を見守ってくれた街でもある。

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 大きな学会では、専門書や教科書などを出版している各社が協賛し、会場にブースを出して自社の書籍を格安(2割引きとか)で販売してくれる場合があります。心理臨床学会の会場にも、多くの出版社がブースを構えていたので、のぞいて見ました。驚いたのが、各社が軒並みトラウマ関連の専門書・教科書を多数出版していたこと。確かに、東日本大震災という大きなトラウマ的出来事を経験したこと、操作的な診断基準(ICD-11)に複雑性トラウマが収載されたことなどから、精神医学や臨床心理学界隈では、トラウマケアが注目を集めていたことは確かなのですが、まさかこれほどとは(笑)。

 しかし、専門家がいくらトラウマについて説いても、私たちの生き辛さがトラウマと名付けられるものと気づいていなければ、当事者は専門書の知見の恩恵にあずかれないのです。まずは、トラウマという言葉以前の“生き辛さ”に、しっかり光を当てる必要があるのでしょうね。

 私は“街の心理士”として、noteという場をお借りして、トラウマについて考えるメンバーシップを運営しています。そこでは、私たちの“生き辛さ”が、トラウマと名付けられる性質のものかも知れないことを、広く皆様にお伝えするパンフレットを作っています(まもなく完成予定です)。まずは、私たちの“生き辛さ“自体に丁寧に向き合おうと思っています。

写真2・クイーンズスクエアの中庭から見上げるランドマークタワー。高層ビルでは、展望フロアまでエレベータで一気に登れるが、学問や臨床では、一歩ずつ一段ずつ、たゆまぬ歩みを進めていかなくてはならない。それがまた良し。登るにつれ少しずつ変わっていく風景を眺めながら。

(おわり)

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