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こころのゆくえ。

「でさ、"こころ"って結局何がいいたいの?」

私が気だるげにそういうと、彼は急に息を巻いて早口になった。しまった。どうやらスイッチを入れてしまったようだ。


「夏目漱石の”こころ”がいいたいことは3つある。

ひとつは、

人間は自分のエゴのために、他人さえ簡単に犠牲にする、ということ」



「あ、わかった!それってKっていう友達を裏切ったやつだよね」

彼はこくりと頷いた。

「先生は、生粋の明治人間だったから、我を通すことが苦手だった。でも恋をした時だけは積極的だった。友達を出し抜いて、好きな娘を先に手に入れちゃったんだ。

どれだけ丁寧に生きようと思っても、本気で恋をしたら人は変わる。相手の一挙一動が気になる。何をしてても相手のことを考えてしまう。その結果、第三者の気持ちを考えずに自分を押し通してしまうこともある」


「でもさ、あれって、友達くる前にコクっちゃえば良かったよねー」

「だから、コクるとかしないだって。そもそも恋愛っていう概念がない。結婚も好き同士じゃできないし、親が決めるもんだから。それに先生、友達が来る前はコクる気なかったでしょ。Kに取られそうになって、急に火がついた」

「あるある!ドラマとかでも、気になる子を好きな別な男が出てくると急に盛り上がるもんね」


といってて、自分でも思い出した。
最近友達が、今目の前にいる彼のことが気になると言い出してたことを。

私たちは別につきあってるわけじゃない。大学に入ってゼミで意気投合した私たちは、親友のようにいつも一緒にいた。何かというと所構わず議論をかました。「彼とつきあってるの?」そう聞かれて「そんなわけないじゃん!」と返したときは、そうでもなかったのに。

私は目の前のジンジャーエールを一気に飲み干した。コップに付いた水滴が、音もなく垂れていく。

「で、2つめは?」

「2つめは、精神的に向上心のないものは、馬鹿だ。」

「あー、それ意味わかんなかった」

「Kは、家が寺で仏教徒だった。仏教の道に進みたかったんじゃないかな。で、自分の道のために一切の煩悩を捨てる決意をしていた。恋愛とか賭け事とか一切遊びをしない、ってこと。」

「そんな人生、楽しくなくない?」

「うん、まあ、ね。だけどKも、先生と同じ娘を好きになってしまった。そんなKに嫉妬する先生。ここで、先生のエゴ発動。オマエやること他にあるだろ?恋愛にうつつ抜かしてる場合か、と叱咤する。その言葉が、精神的向上のないものは、馬鹿だ。」

「なにそれ、けん制?」

私は空っぽのコップの中で、ストローをくるくる回した。


「道から外れた、つまりうつつを抜かして恋に落ちた自分はなんて馬鹿なんだ、僕はなんてダメなやつなんだ。もう生きてる価値なんてない。そして追い討ちをかけるように恋に敗れ、先生にも裏切られた。もうこれはウツになるしかない」


「恋にやぶれ、親友に裏切られ。それはつらいよね」

と何気なく言った後、ドキッとした。ちょうどスマホが鳴り、ラインがきたことを教えた。しかも例の彼女から。「今何してるー?」ごくありきたりな問いなのに、どう返答して良いのか迷った。構わず彼は続ける。

「自殺って、したいと思っててもなかなか行動に移せるもんじゃない。実際行動するときは、たいてい衝動的なもんさ。

だからKは、もっと前から自殺を考えていたことになるよ。もともと精神弱ってたのに、恋をしたことでさらに自分を追い詰めて、進むべき将来への道が見えなくなってきてたからね。ウツなのに誰も助けてくれる人がいなかった。家にも学校にも下宿にも、居場所がなくて。絶望した人間が行き着く場所は、果たしてどこだろうか?」

その時、彼の肩越しに彼女の顔が見えた。

私は思わず顔を店内に向けて気づいてないフリをした。テラス席だから、大学内を移動する学生とどうしたってすれ違う。だからそこに彼女が現れたとしても、何の不自然もない。だけど、さっき返事を返さなかったことが少し後ろめたかった。

彼女が近くまできたとき、私はそこでようやく気づいたフリをして手を上げた。

「あれ、こんなとこにいたんだねー」

彼女は私と彼の顔を見比べて微笑んだ。少し頬が赤く見えるのは、日差しの中歩いてきたせいなのか。

「あ、ゴメン、さっきライン返せなくて」

「いいのいいの。話し中だったもんね。あー暑かった。私も何か飲もうかな」

というと、空いてる席に腰をおろした。遠くに見えるメニューを眺めながら、「何の話してたの?」と彼女は言った。

「あれだよ、夏目先生の"こころ"。ゼミのテーマ研究」

「テーマの話かぁ。邪魔しちゃってごめんね。続けて、続けて」

といわれたものの、どこまで話したかもう忘れてしまった。どうしようかと彼に視線を送ると、席を立つ準備をしていた。

「あ、ゴメン。俺もういくわ。次バイト入ってるから」

と行ってしまった。

「お邪魔だったかなぁ」

「いやほんとにバイトでしょ」

「でさ、どう?彼に聞いてくれた?」

とたん彼女の目が輝いた。彼に好きな子がいるか聞いてくれ、と頼まれていた。「こころ」議論になっちゃったから全然聞けてない、というと、ちょっと残念そうにしたものの、あまり気にしていないようだ。


で、結局、私の心はどこにあるんだろう?

彼が好きなのか。好きといわれれば好きだけど、恋愛なのかどうかよくわからない。だけど、彼女と彼が二人で話してるのを見るとなんだかつまらなくなる。そこ、私の場所なのに。そう思う気持ちは、恋なのだろうか。そしていつか夢中になって、自分勝手なエゴを通してしまうようになるのだろうか。


ーそしたら私も、先生と何ら変わらないではないか。

先生の気持ちがじれったくて、コクっちゃえばいいじゃん、とか。自殺したことそんなに気にすることないのに、とか思ってたけど。いったん恋に落ちれば、私も無力なのかもしれない。

どうあがらっても避けることのできない何か。

そこには暗く深い穴が開いていて、私の心もやっぱり落とされてしまうのではないか。


と思うととたん、自分が醜いもののように感じた。自分の気持ち次第で誰かを傷つけるなんてゾッとする。ドラマで見る三角関係は好きだけど、実際に巻き込まれるのはごめんだ。私はもう、考えることをやめた。思うままに。これが一番いい。

空っぽのグラスには、落ちて溶けかけた氷が2つ。私はグラスをゆすってカラン、と音を立てさせる。思いがけず軽やかな音が空を切った。

「あのさ・・・」










( *´꒳`*)っ読書感想文にしようとしたらなぜかショートになってしまって、下書きのままだったやつ。


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