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【日本酒学】第5回「微生物:麹菌」
今回はついに日本酒の原料の中核ともいえる微生物のうち「麹菌」についてまとめていきます.
日本酒検定なんて興味ないという方は「今回のコラム」だけでも読んでいただけると嬉しいです🙇🏻
<本シリーズの基本コンセプト>
・読むだけで日本酒検定1級の合格に必要な知識を得ることができる
・Why/Howに関する補足を入れることで日本酒検定に興味がない方にとっても面白いと感じてもらえる読み物にしたい
・検定対策とそれ以外を切り分けるため,記事は以下の構成とする
①トピックス ・・・ 日本酒検定に出題される内容を抽出した解説
②演習問題 ・・・ 過去の日本酒検定問題を紹介
③今回のコラム ・・・ (試験とは無関係な)補足や関連情報など
以下は前回の投稿です.
こちらも是非お読みいただけますと幸いです.
それではやっていきましょう♬
1. トピックス:微生物「麹菌」
(1) 麹菌とは
日本酒の製造は様々な微生物の力を借りて行われており,その一つが麹菌です.
麹菌はカビの一種で,麹カビ菌や"もやし"とも呼ばれます.
$${\textit{Aspergillus}}$$属に分類され,米や麦,豆などの穀物を蒸して麹菌を繁殖させたものを「麹」と呼び,昔から醤油や味噌などの様々な発酵食品の製造に活用してきました.
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主に日本で酒類製造に用いられる麹菌には黄麹菌,黒麹菌,白麹菌があります.
①黄麹菌
主に日本酒製造に用いられる麹菌で,学名はアスペルギルス・オリゼ($${\textit{Aspergillus oryzae}}$$)と呼ばれます.
胞子が黄色や黄緑色で糖化力が強いことが特徴です.
②黒麹菌
主に泡盛製造に用いられる麹菌で,学名はアスペルギルス・リュウキュウエンシス($${\textit{Aspergillus luchuensis}}$$)またはアスペルギルス・アワモリと呼ばれます.
胞子が黒色で酒蔵内の壁が黒くなること,糖化力が強く,クエン酸を大量に生成することが特徴です.
③白麹菌
主に泡盛以外の焼酎製造に用いられる麹菌で,1924年(大正13年)に発見した鹿児島県税務監督局鑑定官の河内源一郎(かわち げんいちろう)氏にちなみ,アスペルギルス・カワチ($${\textit{Aspergillus Kawachi}}$$)と名付けられました.
胞子が白色または薄茶色で,黒麹菌と同様に糖化力が強く,クエン酸を大量に生成することが特徴です.
特に気温や湿度の高い沖縄や南九州では発酵中に不要な微生物の繁殖を防止することが重要であったため,黒麹菌や白麹菌が生成するクエン酸による殺菌と蒸留精製を経る焼酎や泡盛が発達することになりました.
④その他の麹菌
(i) リゾープス
クモノスカビ属に分類され,主に中国の老酒製造に使用されます.
生の穀物でも生育し,フマル酸やリンゴ酸を大量に生成する特徴を持っています.
(ii) モナスカス
紅麹属に分類され,中国や台湾で製造される紅酒(あんちゅう)に使用されます.
生育すると紅色の色素を生成する特徴を持っています.
(2) 麹菌が産生する酵素の役割
酵素は生物の細胞内で作られる高分子化合物であり,様々な化学反応を促進する触媒として機能します.
よく勘違いされやすいですが,酵素は微生物ではなくタンパク質を主成分とした化合物ですので,しっかり押さえておきましょう.
麹菌は様々な酵素を産生し,米のデンプンを糖類に分解することで酵母の栄養源を供給したり,タンパク質を分解してアミノ酸などの呈味成分を生成したりなど,日本酒製造において非常に重要な役割を果たします.
デンプンはα-アミラーゼによって低分子状態で糊状のデキストリンに分解され,グルコアミラーゼによってグルコースまで分解され,酵母の栄養素となります.
グルコースは別名ブドウ糖とも呼ばれるため,グルコアミラーゼは糖化酵素とも呼ばれます.
また,タンパク質は酸性プロテアーゼによって低分子のペプチドに分解され,酸性カルボキシペプチターゼによってアミノ酸に分解され,日本酒を特徴付ける呈味成分や香気成分となります.
※酸性カルボキシペプチターゼは英名Acid carboxypepidaseであり「酸性カルボキシペプチダーゼ」(発音は"ペプチデイス"に近い)と表記されることが多いですが,本項では日本酒検定のテキスト(新訂 日本酒の基)に準じています.
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酵素はタンパク質を主成分としており,例えば生卵に火を通すと固まるように,約60℃になると構造が破壊されて失活します.
この性質を利用した操作が火入れ(低温加熱殺菌)です.
そのため,これらの酵素が多量に残存した状態で火入れを行うとタンパク質の変性により白ボケ(タンパク混濁)の原因になることもあります.
2. 演習問題
それでは,実際に日本酒検定に出題された過去問を見てさらに理解を深めましょう.
問5-1(準1級)
麹菌が種麹の状態で販売されるようになったのはいつからか.
1:明治時代 2:江戸時代 3:室町時代 4:奈良時代
問5-2(準1級)
アスペルギルス・カワチの説明として誤っているものを選択肢より一つ選べ.
1:酒蔵内の壁が黒くならない
2:1924年に鑑定官の河内源一郎氏が発見した
3:クエン酸を多く生成する
4:アスペルギルス・アワモリとも呼ばれ,糖化力も強い
問5-3(準1級)
日本酒製造に使用される「アスペルギルス・オリゼ」の特徴として正しいものを選択肢より一つ選べ.
1:リンゴ酸を大量に生成する 2:糖化力が強い
3:発酵力が強い 4:クエン酸を大量に生成する
問5-4(1級)
麹菌が作り出す酵素の中で酸性カルボキシペプチターゼの役割を選択肢より一つ選べ.
1:デンプンを糊状に分解すること
2:ペプチドをアミノ酸に分解すること
3:タンパク質をペプチドにまで分解すること
4:糊状になったデンプンを糖類に分解すること
問5-5(1級)
デキストリンを糖類に分解する酵素を選択肢より一つ選べ.
1:酸性プロテアーゼ 2:α-アミラーゼ
3:酸性カルボキシペプチターゼ 4:グルコアミラーゼ
過去問解答・解説
問5-1 3:室町時代
種もやしとも呼ばれる種麹が販売されるようになったのは室町時代です.
問5-2 4:アスペルギルス・アワモリとも呼ばれ,糖化力も強い
アスペルギルス・カワチは白麹菌の学名ですが,アスペルギルス・アワモリは黒麹菌の学名です.
問5-3 2:糖化力が強い
アスペルギルス・オリゼ(黄麹菌)は糖化力が強いことが特徴です.
問5-4 2:ペプチドをアミノ酸に分解すること
・デンプンを糊状(デキストリン)に分解する酵素は「α-アミラーゼ」
・デキストリンを糖類に分解する酵素は「グルコアミラーゼ」
・タンパク質をペプチドに分解する酵素は「酸性プロテアーゼ」
問5-5 4:グルコアミラーゼ
上記の通り.
3. 今回のコラム
さて,今回は日本酒製造に関わる重要な微生物のうち「麹菌」について見てきました.
麹菌は日本の食文化に欠かせない財産として2006年(平成18年)に国菌に認定されるほど私たちの食生活と密接に関わっています.
今回のコラムでは清酒用麹菌の特性,種麹,麹菌が産生する酵素について深堀りしてみようと思います.
(1) 清酒用麹菌の特性
清酒用麹菌は$${\textit{Aspergillus}}$$属に属する糸状菌(カビ)ですが,「菌」や「カビ」と聞くと何となく嫌悪感を抱く方もいると思います.
「菌類」という分類は広義には非常に多くの系統を含みますが,狭義にはキノコやカビ,酵母などの真核生物を指し,「真菌」とも呼ばれます.
一方でバクテリアなどの「細菌」は核を持たない原核生物であり,菌類とは異なります.
人体に有害な毒素を生成する菌類が存在することは事実ですが,これを踏まえて清酒用麹菌とはどういう特性を有する菌かを見ていきたいと思います.
清酒用麹菌に要求される性質には以下のようなものが挙げられます.
①人体に有害なカビ毒を生産しない
②蒸米でよく繁殖し,繁殖速度が速い
③蒸米の溶解・発酵に十分なα-アミラーゼ力,グルコアミラーゼ力などを有する
④清酒着色の原因となるデフェリフェリクロームを生成しない
⑤黒粕の原因となるチロシナーゼ活性を有しない
⑥火落菌の生育因子であるメバロン酸を生産しない
⑦胞子柄が短い
⑧香りのよい米麹を生産しやすい
⑨種麹をつくるため胞子を着生しやすく胞子収量がよい
ただし,全ての条件を満足する麹菌は今のところおらず,望みの酒質が得るためには麹菌の性質を理解した上で製麹や発酵の条件を制御することが求められます.
特に菌類が嫌悪感を抱かれる最大のポイントは衛生面と思いますが,「①人体に有害なカビ毒を生産しない」は清酒用麹菌の絶対条件です.
カビ毒(マイコトキシン:mycotoxin)は現在300種類以上の物質が確認されており,例えばアフラトキシンは肝臓を中心に強い毒性を示し,中でもアフラトキシンB1は自然界で最も強力な発がん性物質として知られています.
黄麹菌$${\textit{A.oryzae}}$$は古くから食品発酵に用いられ,長年の経験から安全な微生物として認識されていましたが,近縁種でよく似た特徴を有するアスペルギルス・フラバス($${\textit{A.flavus}}$$)がアフラトキシンを生成することがわかったことにより,$${\textit{A.oryzae}}$$もアフラトキシンを生成する可能性があるとの疑いがかかりました.
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その後,様々な研究者が黄麹菌におけるアフラトキシンの非生産証明に取り組み,最終的に黄麹菌のゲノム解析の結果,アフラトキシンの生合成に必要な酵素を生産する遺伝子クラスタが欠損しているか,強制的な発現誘導を行った場合でも転写制御遺伝子の発現が認められなかったことから,DNAレベルで黄麹菌のアフラトキシンの非生産性が示されました.
転写制御遺伝子の非発現が報告されたのは2011年のことであり,多くの研究者が黄麹菌に着せられた濡れ衣を晴らすために長期間にわたって奮闘したことが窺えます.
(2) 種麹の昔話
種麹は「麹を製造することを目的に生産された麹菌の分生子」と定義され,耐久性の高い胞子を培養して乾燥させることにより得られます.
種麹を使った日本酒造りは平安時代にまで遡り,室町時代には種麹を製造・販売する「麹座」が存在していたことがわかっています.
自然に発生する菌を育てて用いる文化は他国にもありましたが,1800年代後半にドイツのロベルト・コッホが細菌の純粋培養法を確立するより400年以上前に木灰添加によって麹菌を培養する技術を確立して商業化していたことは世界最古のバイオビジネスとも言われています.
そんな麹座は室町幕府が酒屋での麹造りを禁じたことによって麹の製造・販売を独占していましたが,延暦寺が独占権の撤廃に圧力を掛け,最終的には北野天満宮に立てこもった麹座の面々が幕府に鎮圧されたことによって独占は崩壊し,製麹は酒造りの一工程として発展していくことになりました.
(3) 麹菌の生成する酵素
麹菌は蒸米上で増殖する際,栄養源を蒸米から得るためにデンプンやタンパク質の分解酵素をはじめとしたさまざまな酵素を生産します.
いくつかの代表的な酵素を深堀りしていきます.
①デンプン分解酵素
デンプン分子のα-1,4結合をランダムに加水分解するα-アミラーゼと末端結合鎖からグルコース単位で切断するグルコアミラーゼ,グルコースを他糖に転換するトランスグルコシダーゼなどがあります.
α-アミラーゼはデンプン分子を細かく切断することで粘度が大きく下がることから液化酵素とも呼ばれ,原料米を溶かして利用効率を高めることに最も影響する酵素です.
清酒酵母は発酵にグルコースを消費するため,グルコアミラーゼによるグルコースの生成速度と酵母による消費速度のバランスは酒質に大きな影響を与えます.
そのため,グルコアミラーゼの活性は麹を評価する上で非常に重要な指標となります.
醪で蒸米が溶解するにはα-アミラーゼの働きが重要ですが,α-アミラーゼは蒸米中のタンパク質に吸着されてしまうため原料米内部のデンプン質に十分作用することが難しいという問題があります.
後述する酸性プロテアーゼなどがタンパク質を溶解することでα-アミラーゼがデンプンにアクセスしやすくなり,蒸米の溶解が促進されることがわかっています.
②タンパク質分解酵素
タンパク質のペプチド結合をランダムに加水分解する酸性プロテアーゼとカルボキシル末端のアミノ酸を切り離す酸性カルボキシペプチダーゼがあります.
酸性プロテアーゼはタンパク質を分解するだけでなく,前述の通りタンパク質と吸着してしまったα-アミラーゼを遊離することで蒸米の溶解に間接的に関与する重要な酵素です.
また,ペプチドは様々なアミノ酸から形成されていることから,それぞれのアミノ酸に応じたペプチダーゼが特異に作用することで,種々のアミノ酸が切り離されて生成します.
③酸性ホスファターゼ
第4回「水」の中でカリウム,リン,マグネシウムが麹菌や酵母の栄養分となると述べましたが,このうちリンは蒸米中に有機リン化合物として存在している一方,酵母の増殖には無機リン酸が必要となるため,リン酸モノエステルを加水分解することでリン酸を遊離させる役割を担う酵素が酸性ホスファターゼです.
麹菌はこういった様々な酵素を産生することで蒸米を溶解・糖化し,酵母の栄養素を供給すると共に呈味成分を生成することで酒質にも影響を与えるなど,日本酒の製造において欠かすことのできない極めて重要な微生物であることがわかりますね.
まだまだ書きたいことはありますが,今回はこれくらいにしておきます 笑
今回は麹菌を見てきましたが,麹菌はアルコールを生成するわけではないためこれだけでは日本酒は生まれません.
次回は日本酒の製造に関わるもう一つの重要な微生物である「酵母」についてまとめていきたいと思います.
今後の更新も是非チェックしていただければ幸いです.