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心を亡くさないで私 | 日記
おはおはぬーん、おはぬーん、ぬーん🥺
私は駆け引きが超苦手です~😢
どうしてだか、分かりませんが、忙しい時って、いっぱい、忙しくなります。
私は忙しいという言葉が好きになれません。
「忙しい」は「心を亡くす」と書くからです。
原因は、仕事😭
今やってる仕事は営業職なのですが、コミュニケーションを取るのは好きです。
けれど、営業は私にとっては、時間と心を疲弊していく代わりにお金を貰ってるぐらいのもので、営業は食べていくために、生きるためにやっているので、心の底から好きにはなれません。
営業をやっていていて技術は身に着きましたが、本来の私の性格では務まりそうにありませんので、仮面を被ってやっています。
これが、本来の自分とは違うので、心をどんどん亡くしていきます。
「生きるためには、みんなやってるよ」と、そういう声も聞こえてくるかもしれませんが、本当にみんななのでしょうか?とも思います。
私は、そうなりたくないので、自分の道を模索しています。
私は営業には全く向いていません🤣
ここで私の経歴をざっくり書いておきたいと思います。
私は、元々システムエンジニアでした。
あの頃は、氷河期真っ最中でしたので、不遇のシステムエンジニア時代を過ごしています。
元々、就職が出来ないため、アルバイトで入った小さな会社で契約社員となってから、正社員になりました。
そこの社長は、元々MR(病院)関係の営業職に就いておられたのですが、そこを辞めて起業した方です。
社長に良く言われた言葉をいつも思い出します。
「お前の仕事は公務員なのか?そんなチンタラした仕事してお前の給料分を稼げると思うのか?会社はボランティアではない。利益を出せ!利益を出すことだけを考えて動け!」と。
私は父が公務員でしたので、その感覚が身に染みていたのでしょう。
今の私なら、当時の社長から言われた言葉がよく分かります。
父が仕事用で買ったPC-98(当時は30万円以上しました)なのですが、全く触らないので、私が代わりに使っていました。
中学校の技術の先生が、パソコンオタクで、自作のレーシングカーなどを作っていたので、その方に教えてもらいながら、パソコンの基礎を学びました。
当時は、パソコンの授業なんてありませんでしたから、自分で聞きに行くしかなかったのです。
技術の先生は、授業よりも真剣にパソコンを教えてくださいました。目の輝きが違うかったことを今でも思い出します。
そのため、中学1年生の時には、ブラインドタッチも当たり前に出来ていましたし、GUI(グラフィカルユーザーインターフェース)ではなくコマンドプロンプトを使用してパソコンを使って、主にゲームをしていました🤣
両親にお願いして、家にネット回線を引いてもらって、インターネットをはじめて、ネットの世界でパソコンについて、もっと深く知っていきました。
当時、任天堂のスーパーファミコンから、プレイステーションが発売されたぐらいの時で、ハードウェアの転換期を迎えていましたが、私はROM容量がめちゃくちゃ少ないのに、大作を作ったドラゴンクエストを崇拝していました。
話が大きくそれましたが、きっかけは中学校の先生がパソコンオタクだったからというのもありますが、その後はほぼ独学で触っていました。
おそらく、それが私に向いていることなのだと思うのです。
しかしながら、システムエンジニアでの私のお給料は、当時、税金を引かれて月に12万円ほどしかありませんでした。
ボーナスは年1回、5万円でした。
同級生は、飛びをしたり、塗装やったり、板金やったりと、羽振りが良かったのですが、25歳になった私は車も買うことが出来ませんでした。
まわりの友達がすでに結婚していて、25歳の私はまだ結婚していないことに焦りを感じていたのが、今から思うと選択肢を間違えたかなと思います。
その時に付き合っていた人と結婚することになったのですが、さすがにそのお給料では、2人で住むことすら出来ないので、転職することに決めました。
そして、給料が高かったのが、営業職でした。
年収で250万円もなかったのですが、営業職になって26歳で450万円を超えたので、当時としては、とても高くて嬉しかったのですが、代償として心を亡くしました。
さらに心を亡くし続けて、34,5歳ぐらいで、ようやく年収1,000万円を超えました。
そして、ストレスが原因で、胃潰瘍と十二指腸潰瘍になり、どんどんと心が荒んでいきました。
ようやく40歳で精神に異常をきたして、休職となったのです。
休職明けてからの今は、20代ぐらいの年収に戻ってしまいましたが、私にとってはそれでいいのかもしれません。
たくさんお金を稼ぐことに、そもそも興味がないのですから。
無理して駆け引きして、人に偽り、さらに自分の心も偽って得たお金は、全て跡形もなく消え去りました。
気付くのが遅すぎたのですが、私は困っていることを解決して喜んでいただいたことの対価でお金を貰うほうが、生きている実感が湧きます。
四十にして惑わず。
今、ようやく自分らしく生きる道が見えてきています。
ただし、自分らしく生きるためには、背負っているものがありますので、まだ営業職を続けなければなりません。
余談ですが、営業が天職の方もいらっしゃいます。
その方々は、私から見たら、モンスターです😭
考え方や心の有様が、いっさい理解できませんし、相容れないものを感じます。
ただ、業績は素晴らしい!!
それぐらい、私は営業職には向いていないのだなって思います。
仕事で忙しくなり、心を亡くさないように。
自分の本来の心に戻れるように、ここに「今」を記しておきます。
ちなみに、今は超絶モチベーションが下がって、note書いてサボっています🤣
自分がやりたいことで、生活が出来るようになればいいですね🌈
自己満足の楽しいnote記事が書けました😌🍀笑