note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第71話
「星野、早く読ませてください!」
しばらく目に迷いの色を浮かべたあと、ようやくふんぎりがついたのか、星野さんはかばんから原稿をとりだした。
バシャリはその場であぐらをかき、かぶりつくように読みはじめた。星野さんは、そわそわと落ちつきがない。
まるで合格発表を待つ受験生みたいだ。あの星野さんがこんな表情を浮かべるなんて。
薄明かりの下、原稿用紙をめくる音だけが響く。緊張が夜のしじまと混じり合い、誰も一言ももらすことなく、食い入るようにその様子を眺めていた。
やがて、バシャリが顔を上げた。原稿用紙をとんとんと床でそろえ、陶器でも扱うようにそろりと置いた。「星野ーー」と、透明な息を吐き、おもむろに言った。
「素晴らしい。あなたの魂はこれを求めていました」
途端に星野さんの目が輝いた。
「そうかい。気に入ってもらえたかい」
「気に入ったどころではありません。傑作ですよ。これは」
と、バシャリが原稿に目を落とす。わたしは前のめりに申し出た。
「星野さん、わたしも読ませていただいていいかしら?」
「かまわないよ」
星野さんが上機嫌でそう答えると、わたしは飛びつくように原稿を読みだした。
『セキセトラ』という題名が飛び込んできた。
まず、一風変わった小説だという感想を抱いた。小説なのに、新聞や雑誌の記事を集めて構成されている。その突拍子もない形式に、心をぐっとひかれた。
内容は『セキセトラ』と呼ばれる不思議な性欲処理機が世界平和をもたらすというものだ。一瞬、性欲処理機という単語に尻ごみしたけれど、すぐに気にならなくなった。
卑猥な感じが一切なかったからだ。文字を追うごとに物語の世界にのめり込み、体中の感覚がすべて作品にすいよせられる。
今までに読んだことのない小説だった。性欲処理機というアイデアが秀逸で、読み進めるうちにたしかに世界を救えるかもという気分にさせられる。
セキセトラの登場で世界がどう一変したのかも、新聞や記事の切りぬきという表現で記したことで、より客観的で説得力が増している。
そして最後のオチまで行きつくと、この物語の持つ深みに圧倒された。
星野さんをまじまじと見つめた。まさかこんなとてつもない小説を書くとは思いもよらなかった。
ただの変な人じゃなかったんだ。その視線に気づいたのか、星野さんが感想を求めた。
「幸子ちゃん、どうだった」
「面白かったですわ」と感激の声をあげてから、つい本音をもらした。「これ、本当に星野さんが書かれたの?」
星野さんはわらいながら抗議した。
「ひどいな。盗作だって言うのかい」
「だって、はじめてでこんなに素晴らしい小説が書けるなんて……」
言い訳がましく言うと、星野さんがほっと肩の力をぬいた。
「でも何よりの褒め言葉だよ。散々けなされるんじゃないかとひやひやしていたからね」
「星野、これは傑作ですよ。もっと自信を持ちなさい」
バシャリがばしばしと星野さんの背中を叩いた。わたしたちがあまりに褒めそやすので、健吉も原稿を覗き込んでいた。
星野さんとバシャリが、小説の設定に関して話しはじめた。わたしは健吉を二階で寝かせると、二人に悟られないように勝手口から外に出た。
向かった先は、酒屋だ。そこでビールを買った。それにしてもビールってどうしてこんなに高いのだろう、と財布を開けるときに躊躇したけれど、どうにか心を決めて購入した。
帰宅すると台所に入り、ビールとコップをおぼんに載せ、そろそろと縁側に運んでいく。
二人は、まだ談笑している。そっとおぼんを置き、星野さんにコップをさし出した。
「星野さん、どうぞ」
振り向いた星野さんが目を丸くしながらコップをうけとる。
「ビールなんて贅沢だなあ。今日はどうしたんだい?」
「お祝いですから」
と、ビールをつぐ。バシャリがはしゃいだ。
「幸子、私にもビールとやらをお願いします」
わたしは黙ってビールをついだ。すると星野さんが台所に行き、コップを持ってきた。
それをわたしに手渡し、「さあ、返杯だ」とビール瓶を持ち上げる。
わたしは、あわててかぶりをふる。
「未成年ですもの」
「大丈夫だよ。宇宙では未成年がビールを飲んだらダメなのか? なあ、バシャリ?」
「いいえ、そんな規則はありません」
「なら、決まりだ。宇宙人といるなら地球の規則に従う必要はないからな」
星野さんが強引にビールをついだので、わたしはしぶしぶうけとった。バシャリがコップをかかげた。
「では、星野の小説の完成に乾杯」
「乾杯」と、三人でコップを合わせる。ちょっとだけ口をつけると、苦味で舌がしびれた。
バシャリは一息で飲みほし、満足げにぷはあと息を吐いた。
「これは実に旨い飲料ですね。幸子、なぜ今までこの存在をかくしていたのですか」
「幸子ちゃんはケチだからな」
星野さんがにやにやと手酌でビールをつぐ。わたしはその手元からビール瓶をうばいとり、ぷっとふくれた。
「じゃあ飲まないでください。せっかく買ってきたのに」
「嘘だよ。嘘、嘘」と、星野さんがなだめる。「ケチな幸子ちゃんがわざわざ買ってくれたビールだから感激だ、という意味だよ」
真実味に欠ける言葉だけれど、しかたなくビール瓶を返した。二杯目のビールを堪能しながら、バシャリが感慨ぶかげに言った。
「幸子もこの日の大切さをよく理解しています。今日は星野の旅立ちの日ですよ」
星野さんが苦笑いを浮かべた。
「ちょっと大げさだな。短編をたったひとつ書いただけじゃないか。小説家になったわけでもあるまいし」
バシャリは口をとがらせた。
「何を言うのですか。星野はすでに立派な小説家ですよ」
「そんなに簡単にことが運ぶのなら苦労はしないさ」と、星野さんは息を吐いた。「小説家になれる人間なんてほんの一握りだよ」
バシャリが、心底呆れ果てたように言った。
「ーー地球人というのは本当に自分のことを把握できない星人ですね……いいですか、星野。
才能というのは本人よりも他人の方が深く理解しているものです。私は、以前から星野の力を信じていましたよ」
「宇宙人に言われてもなあ」
星野さんが皮肉まじりにわらうと、バシャリは肩をすくめた。
「星野は本当に頑固な人ですね……よろしい。では地球人の意見もお聞かせしましょう。幸子はどう思いますか?」
急な問いかけにまごついた。星野さんが、ゆるりと顔を向ける。
すでに口元からは笑みが消えていた。わたしは一度目を閉じた。あの世界に再び身をゆだね、感じたままの想いを口にした。
「わたしも星野さんは小説家になれると思うわ。わたし夢中で読んじゃったもの。あんな凄い小説、誰にでも書けるものじゃないわ」
あまりに生真面目な口調だったのか、星野さんがぽかんと口を開けた。バシャリが付けくわえる。
「星野の作品は、日本中、世界中、いや宇宙中の人々に読まれますよ。しかも何億年という長きに亘ってです」
二人でじっと星野さんの反応をうかがうと、星野さんはぷっとふきだした。
「……わかったよ。わかったって。そこまで言われちゃあしかたないな。僕は、小説家になるよ」
「ようやく決心しましたか」
バシャリは弾むような声でそう言ってから、何か閃いたのか顔を輝かせた。
「では、ペンネームをつけましょう。これから星野は今までにない新しい小説ばかりを書くのですから、親一の『親』を『新』に変えてはどうですか?」
「ペンネームね……」
星野さんはしばらく考え込んだが、やがて小さな笑みを顔に浮かべた。そしてコップをかかげると、グラス越しに月を眺めた。黄金色の液体に淡い月の光がふわりと重なる。
「偉大なる作家、星野新一の誕生だ」
その確信に満ちた響きが、虫の音とともに夜の空気に吸い込まれた。わたしは星野さんから目を離せなかった。
魂が求めるものかーーわたしにもあるのかしら。
その瞬間、星野さんの体から黄色の光があふれた。
なぜか、そんな気がした。