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note連続小説『むかしむかしの宇宙人』第32話

前回までのあらすじ
時は昭和31年。家事に仕事に大忙しの水谷幸子は、宇宙人を自称する奇妙な青年・バシャリとひょんなことから同居するはめに。幸子は子供時代の頃を回想する。

→前回の話(第31話)

→第1話

6

ようやく昼休憩の時間になった。ソロバンを弾く手を止め、ぐっと背筋を伸ばす。

お昼をすませるため買いものかごを掴んで立ち上がると、西園さんが弁当を片手に持ちながらやって来た。

「水谷さん、行きましょうか」

はいと答えて、二人で別棟にある会議室に向かった。ここは、他の行員が寄らない穴場だ。西園さんと昼休憩が重なるときは、毎回ここで一緒にお昼を食べるのだ。

買いものかごを机に置くと、取っ手に結んだ白地に花柄のはぎれに西園さんが手を伸ばし「今日のも綺麗なはぎれね」と、褒めてくれた。

「近所のおばさんにもらいました。わたしもこれ気に入ってるんです」

「へえ、いいわね」

西園さんは感心したように言い、笑顔をこちらに向ける。

「いつも水谷さんがつけてるはぎれを見るのが楽しみなのよ」

その言葉が、妙にくすぐったい。買いものかごでの通勤はあまりにみじめだ。

だから少しでも気分が晴れるように、毎日着物のはぎれを取っ手に結んでいる。それを選んでいるひと時だけは、会社に行く憂鬱も忘れてしまう。

機嫌よく弁当箱を開けると、思いもよらぬ光景に体が固まった。

何なの、これっ……

ご飯の上に

『幸子、のこさずたべて』


と、海苔で上手く文字が書かれている。

間違いなく、バシャリの仕業だ。すぐさま箸で海苔をほぐしていると、西園さんが怪訝そうに訊いた。

「どうかしたの?」

「いいえ、なんでもありません!」

大あわてでごまかした。帰ったら説教だわ。そう心に決めながら、煮物を口に運んだ。

むうっ、おいしい。思わず心の中でうなるほどの出来映えだ。悔しいけれど海苔のいたずらもこれでは帳消しだ。

わたしが弁当を食べ終えると、西園さんがおもむろに切り出した。

「水谷さん、私、報告があるのよ」

どこか弾むようなその声色にぴんときた。

「妊娠されたんですか?」

「どうしてわかったの?」

と、西園さんは唖然とした。そのぽかんとした表情に、ついふきだしてしまう。本当に素直な人だ。

お祝いの言葉を継ごうとしたが、西園さんの浮かない顔が目に飛び込み、とっさに押し止めた。

「……どうかされましたか?」

「ええ……銀行辞めないとと思って……」

そのことをすっかり忘れていた。この銀行の女性行員は、ほぼ未婚者だ。

結婚した女性は軒並み退職に追いこまれる……それが常識だった。通常ならば、既婚者の西園さんが働き続けることは難しかったのだが、彼女は関根課長に直訴した。

駆け落ち同然だったため、西園さんはかなり金銭的に苦労しているらしく、結婚しても仕事は続けたかったそうだ。

西園さんが優秀な行員だというのとあまりの熱心さに根負けしたのか、課長は不本意ながらもそれを了承した。

でも、妊娠したとわかれば話は別だ。即刻、辞めさせられるに決まっている。

「ねえ……」

西園さんが意を決したように顔を上げた。

「水谷さん、私が妊娠したこと誰にも言わないでもらえるかしら。私、何とかぎりぎりまで働きたいの」

「わかりました」と、神妙に頷いた。

子供が生まれることを喜べないなんて……何だかやり切れない気持ちになった。

仕事を終え銀行を出ると、とぼとぼと歩きはじめた。同じお金の苦労を味わっている者同士、西園さんのこれからのことを考えると暗澹たる気持ちになる。

ダルマ船が目黒川を流れていく。それを見るともなく眺めていると、

「幸子、幸子」

遠くから声が聞こえた。その方角に目を向けると、道の向こうで誰かが手をふっていた。バシャリだ。

弾むような足どりでこちらに駆け寄ってくる。

「そろそろ幸子の仕事が終了する時間かと思い、迎えに来ました」

バシャリは無邪気にわらった。

「そうなの……ありがとう……」

端整な笑顔に照れくささを覚えた直後に嬉しさがこみ上げてきた。

→第33話に続く

作者から一言
バシャリのお弁当の腕はかなり上がっています。海苔で文字を作ることをマルおばさんに教えてもらい、そのアイデアに感激しました。
西園さんの実家は裕福なんですが、旦那さんは工業の作業員です。それで親から反対されて駆け落ち同然で結婚したんですね。

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