【連載小説】小五郎は逃げない 第41話
闘走 3/5
「以蔵殿、斬り込むか」
「いや、相手は二十人程おるきに。まともに斬り合っては、こっちに勝機はないぜよ。」
「トラはもう走れない。それでは、敵を分散させることは難しいぞ」
「わかっちゅうがぁ。こいつらの刀を奪い取って走れば、こっちの耐力が消耗しゆう。とにかく小五郎は、もう大回りをするのはやめて河原町通に出たら南に走れ。ほいで次の四条通の戦闘予定場所で待っちょれ」
「どうするつもりだ」
「うまくいくがどうかわからんけんど、これでいくしないぜよ。トラは隠れちょれ。小五郎、わしが合図をしたら走れ」
以蔵は奪い取った刀を振り上げると、気絶している隊士の背中に突き刺した。
「以蔵殿、何をやっている。殺しはやらんと誓ったはずではなかったのか」
「心配せんでええきに。刺しちょらん」
実際は刺していなかった。背中のすぐ横の地面を突き刺していた。しかし、こちらに向かってくる新選組隊士には、あたかも突き刺しているかのように見えた。隊士たちは、目の前で仲間が残忍なやり方で殺される場面を見て、一瞬立ち止まった。
「おのれー、許さん」
「叩き斬る!」
隊士たちは全員抜刀し、凄まじい怒号と共に以蔵に向かって突進してくる。なんと以蔵は、無謀にも追ってくる隊士たちに向かって、奪った刀を掲げて突進していった。
「以蔵殿、無茶だっ、引き返せ!」
桂は必死に叫んだが、以蔵の足は止まらない。
隊士たちが以蔵の目前にまで迫った。数人の隊士が斬りかかってきた。以蔵は巧みに右へ左へと、まるでラグビー選手がフェイントをかけながら敵陣を突破するように、隊士たちの隙間を縫いながら走り抜けた。そのスピードが恐ろしく速い。
「今だ、小五郎、行けっ!」
以蔵はそう叫ぶと、桂に背も向けたまま走り続けて行った。桂も慌てて以蔵と逆方向に走り出した。
以蔵への怒りに燃える隊士たちは、以蔵を追うべきか、自分たちの任務を全うするために桂を追うべきか、一瞬迷った。しかし、彼らは暗黙の了解があるかのように、半数が以蔵を、残りの半数が桂を追い始めた。以蔵の思うつぼだった。以蔵は桂とそれぞれ反対方向に逃げることによって、敵の戦力を分散させようとした。敵に顔を知られていない以蔵が逃げたところで、だれも自分を追走して来ないと考え、隊士の一人を刺し殺す演技を見せつけ、敵の注意を自分にも引き付けようとしたのである。
以蔵は駆け抜けた。隊士たちが追うがあまりにも以蔵が早過ぎる。見る間に差が開いていった。そして、元いた場所からかなり離れたところで、急に左に曲がって路地の中に入って行った。隊士たちが続いてその路地に入っていったが、すでに以蔵の姿はどこにもなかった。
桂の方は隊士たちを引き連れて、以蔵に指示された戦闘ポイントに近づいてきた。何とすでに以蔵が到着していた。以蔵の足の速さは、驚異的なスピードである。しかし、何やら様子がおかしい。木刀を杖代わりにして前のめりに立っているし、肩で息をしている。すでに隠していた木刀を全て取り出したのか、手には三本の木刀を持っていた。
「以蔵殿、どうした、具合でも悪いのか」
桂が駆け寄って、声をかけた。
「わしは足がまっこと速いが、長い距離を走れんがやき」
以蔵が全速力で一キロメートル近くを走った。桂より倍近い距離を走ったのに、桂よりいち早く到着していた。しかし、それにより体力を大きく消耗してしまっていた。
「これを持つがやき」
以蔵が桂に一本の木刀を手渡した時に、敵の隊士十人に取り囲まれた。先程の戦闘の時から桂は木刀を一本持ってきていたので、両手に一本ずつの木刀。以蔵も同じである。そして二人は背中合わせになって、木刀を構えた。
「ええかえ、こいつらは前後左右から斬りかかって来ゆうが、そいつは囮やき。鍔迫り合いに持ち込んで、がら空きになった胴を残ったやつらが狙い撃ちしてくるはずやき」
以蔵が言うことは、こう言う事である。背中合わせの桂と以蔵を円形に十人の隊士が取り囲んでいる。二人の真正面にいる隊士と左右にいる隊士の四人が斬りかかるが、それはフェイクである。上段から斬り込んで鍔迫り合いになれば、桂と以蔵の剣は奪われたのも同然である。胴だけでなく、あらゆる体の部位が、がら空きになるので、残りの六人の隊士が一斉に襲い掛かかって来れば、防御する術がない。そこで木刀を片手ずつに二本持ち、一本は鍔迫り合い用に、もう一本は防御用に使うと言うのである。
「しかし、木刀が折られたらどうする」
「そん時はそん時で考えればええぜよ」
「もう少しまともな作戦かと思ったが・・・」
桂が言い終わらないうちに、隊士たちが斬り込んできた。
「何をごちゃごちゃ言っておる。問答無用、桂っ、覚悟しろ!」
以蔵の言う通り、その隊士は上段から斬り込んできた。桂はそれを左手一本で受け止めると、すかさず右側の隊士が胴を狙って突きを繰り出してきた。それを右手で跳ね除ける。次は左側の隊士が突きを繰り出す。左手が塞がれているので、左手の脇の下から右手を伸ばして、それも跳ね除ける。木刀が二本無ければ、今頃脇腹をぐさりと刺されていたかもしれない。
以蔵の方も同じような波状攻撃を受けていた。二刀流を巧みに操って防御していたが、このような防御策がいつまで持つかわからない。木刀もかなり痛み出してきていた。
「以蔵殿、これではらちが明かないぞ」
「わかっちょるきに」
以蔵はいらついた。しかし、打開策がない。このままでは消耗戦の果てに、以蔵たちの体力が奪われていく。その前に木刀が折られてしまうかもしれない。しかし、逃げようにも取り囲まれていて、逃げ道が塞がれている。
「仕方がないぜよ」
以蔵はそう言って指笛を鳴らすと、物陰に隠れていた寅之助が、猛然と一人の隊士に襲い掛かり、足に噛みついた。さらに以蔵たちから遠ざけるように、その隊士を引きずって行った。巨大な犬に噛みつかれて、引きずり回されたその隊士は、痛さと恐怖のあまり大声で叫んだ。他の隊士たちも動揺し、敵の陣形が乱れた。二人はそれを見逃さなかった。桂は一瞬で二人の隊士の肋骨を砕き、以蔵はこめかみをついて気絶させた。残りは六人。六人の隊士たちは、また桂たちを取り囲もうとした。しかし、以蔵が自慢の俊敏な動きを駆って、あっという間に隊士たちの円の外に飛び出す。そこにまた一瞬の隙ができる。桂はまた二人の隊士を、一刀で倒した。木刀の一打で、相手が動けなくするためには、重い一撃でなければならないが、桂は的確に相手の膝を割った。
「小五郎、おまさんの剣の腕は大したもんやき」
「以蔵殿の動きの速さも、なかなかのものだ」
<続く……>
<前回のお話はこちら>
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