【連載小説】小五郎は逃げない 第46話
武士たちの選択 3/5
「犬は命乞いするもんじゃと思っていたが、わしらにしっぽを振らんのか。犬はそこで遠吠えでもしていろ」
近藤は以蔵を見下すように言った。
「えらい上からものを言うやつやき。新選組がどれほど偉いんかえ。おまんらこそ、幕府にしっぽを振り倒してんのじゃないかえ。」
「何だとぉ、もう一回言ってみろっ」
以蔵の挑発に乗って、何人かの隊士が鯉口を切った。
「何回でも言うちゃるぜよ。おまんらこそ何の大義名分も持っちょらん、幕府に言われるまま人を殺すしか能がない、あほの暗殺集団ぜよ」
「きさまぁ、言わせておけば調子に乗りやがってぇ。叩き斬ってやる!」
溜まりかねた隊士たちが、抜刀して以蔵に襲い掛かろうとした。
「おまえら、やめんか!」
近藤が一喝した。
「おまえとわしらが同じ穴の狢とでも言いたいのか」
「そうぜよ。幕府の警護とか京の守備とか、きれいごと言うちょるが、やってることはわしと何ら変わらんぜよ」
「馬鹿なことを・・・。わしらは日本という国を守っておるのじゃ。おまえらのように目先のことに捉われているわけではない」
「目先のこと、まぁ、そうかもしれんきに。けんど、ここにおるこの男は、さらの、新しい日本を作ろうとしちょる。おまんらが守っちょる日本は、何でこないに人が殺されなあかんぜよ。何人死ねばええ世の中になるぜよ。所詮おまんらが一生懸命やっちょることで、世の中はなーんも変わらんきに。おまんらが人を殺しまくって、皆がうまいもん食えるようになるかえ。絶対にならんぜよ。けんど、この桂小五郎が生きながらえれば、ええ世の中ができる可能性が残されちょるきに。おまんらはその可能性ってもんを、見す見す自分らの手で潰してしまうことになるぜよ。おまんら、争いのない平和な日本を、見てみたいとは思わんかえ」
「ごちゃごちゃとうるさいのぉ。おまえの取引とは何だ。聞くだけ聞いてやる」
近藤と以蔵の問答の後、近藤が堰を切ったように言った。
「わしと一対一で勝負せんかえ。わしが負けたらここにいる全員を殺しぁええ。わしが勝ったら、小五郎と女だけは逃げしてやっとおせ。その代わりわしを捕まえりゃええぜよ。人斬りを捕まえたとなれば、おまんらもそれなりに手柄になるぜよ」
「ほー、わしに勝てると思っているのか。えらく舐められたもんじゃ」
近藤は静かに抜刀した。以蔵もそれに呼応する。二人はそれぞれに刀を構えた。
以蔵の目が、瞬時に獲物を狙う狼の目に変わった。しかし、近藤はそれに全く動じない。凄まじい覇気を発し、斬り込む隙がない。以蔵を狼に例えるなら、さしずめ近藤はライオンのようである。以蔵は思い切って斬り込んだ。近藤はそれをまともに受け止めたが、微動だにしない。
「こいつは何者なんぜよ。まるで岩みたいに重いぜよ」
以蔵は近藤の異常なまでの体幹の強さに驚愕した。そして、鍔迫り合いに持ち込む暇もなく、以蔵は押し返された。しかも、かなりの距離を飛ばされた。体勢を崩すことなく着地したが、以蔵が顔を上げたときには、目の前に近藤が迫っていた。さらに後方に飛びのいて、近藤の上段からの一刀を回避した。
「重い上に早いきに」
以蔵は近藤の動きの早さに驚愕した。
「ほー、身のこなしだけは一端だな。しかし、それだけでは、わしには勝てんぞ」
近藤は不敵な笑みを浮かべた。以蔵はなおも踏み込んでいった。しかし、再び押し返された。近藤が追撃を仕掛けてくる。まともに受け止めれば、それを押し戻す腕力は以蔵にはない。また、後方に飛びのいて回避する。とにもかくにも、相手は速くて重い。それを上回るスピードがあったとしても、回避するには有効だが、相手に決定打を与える攻撃を繰り出すことができない。このままでは逃げ回るしか術がない。しかし、以蔵は何度も踏み込んでいっては、跳ね返され、決して効果的とは思えない同じような攻撃パターンを繰り返した。
「なぜこいつは何度も同じことを繰り返す。もう少し利口なやつだと思ったが・・・」
近藤は人斬り以蔵なれば、まともな攻撃を仕掛けてくると思っていたが、あまりに期待を裏切られ、戦闘意欲を失っていった。それでも以蔵が、飽きもせず同じように斬り込んできた。近藤に油断があったわけではない。しかし、人間は同じ行動を繰り返していると、その動きに慣れてしまう。慣れてしまうと身体が無意識に同じような動作をするように反応してしまう。以蔵はその瞬間を待っていた。以蔵の剣と近藤の剣が交わる瞬間に、近藤の視界から以蔵が消えた。近藤が気付いた時には、以蔵は自分の足元に伏せて地面に両手を突いていた。そして、以蔵は右足を蹴り上げた。
「決まった!」
桂が叫ぶ。
「もろたぜよ」
以蔵も叫ぶ。以蔵は渾身の力を込めた蹴りを繰り出した。自分の右足の裏が近藤の顎を適確に捉えている。近藤を仕留めたかと思った。しかし、近藤の顔が、身体が、何もなかったように動かない。
「嘘ぜよ」
以蔵は思わずつぶやいた。ゆっくりと視線を下に向けた近藤は、地面に伏せている以蔵にめがけて上段から刀を振り降ろした。
「以蔵殿!」
桂が再び叫んだ。しかし、以蔵の回避行動が間に合いそうにない。
近藤に一刀は虚しく地面を叩いた。以蔵がギリギリのところで飛びのいて、近藤の一撃をかわしたのだが、左肩から胸にかけて羽織が切り裂かれ、うっすらと血が滲んでいた。以蔵の俊敏さがなければ、避けられなかったはずである。
桂は以蔵を救援するべく、抜刀して近藤に向かって走り出そうとした。
「小五郎、わしに恥をかかしたらいかんぜよ」
桂は立ち止まり、刀を鞘に納めた。
「あれは犬死だな。どのみちきさまも人斬りも、ここで死ぬか牢獄で死ぬか、それだけの違いだがな。桂、あの人斬りに何を吹き込んだ。闇夜に紛れて人を斬っていれば、もう少し生き長らえたものを」
土方が傍らにいる桂に言った。桂は無言のままだった。
「おまえらが何をやろうと、この結末が現実だ。おまえほどの男が、なぜこんな無駄なことに命を懸ける。桂、教えろ」
土方がさらに言った。
「時代が変わろうとしているのだ。あなたたちだけでは、この時代の大きな流れを食い止めることはできない。幕府もあなたたちも、いずれ時代の波に飲み込まれる。覚えておくがいい」
桂が重い口を開いた。
「それで、おまえらが時代を切り開くって言うのか。おまえらにこそ、何ができるというのだ」
土方が馬鹿にしたように言った。
「何ができるのか最初からわかっているなら、命など賭けんよ」
桂が一言そう答えた。
<続く……>
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