【連載小説】小五郎は逃げない 第22話
坂本龍馬 2/5
幾松を奪還すべく京に残りたい桂と、夜のうちにでも京を脱出したい以蔵の意見が別れた。以蔵は桂を置き去りにして行く決心がつかず、桂が制止するのも聞かず、追手の様子を見てくると言って、寅之助を桂の護衛に付けて一人町へ出て行った。桂も寅之助の頭を撫でながら思案した。以蔵も命を狙われている。やはり自分一人で幾松を奪還しなければならない。意を決した桂が立ち上がった時、以蔵が血相をかいて戻ってきた。
「小五郎、おおごとになっちゅうがぜよ」
「何だ、そんなに慌てて」
「おまさんのおなごの名前は、幾松って言うとったがやなぁ。三日後に鴨川の河川敷で処刑されるがぜよ」
「何だとっ!」
桂は自分が置かれている状況も顧みず、大声で叫んだ。
「小五郎、声がでかいぜよ。落ち着くぜよ」
「今、何と言った。だから、すぐにでも救出に行くと言うのをあなたが止めるからこんなことになったのだぁ!」
「落ち着きーや、まだ殺されちゃーせんきに。処刑は三日後って言うとるがぜよ」
桂は狼狽したが、以蔵の一言で正気を取り戻した。
「それならば三日のうちに救出しなければならない。悠長なことは言っていられない」
「こりゃ、新選組のやつらの罠ぜよ。おまんを焙り出すつもりやきに。と言うことは、あいつらはおまさんが生きちょると思っちゅうってことぜよ。何でわかったがわからんけんど、まぁ、この際、ほがなことはどうでもええきに。とにかく、迂闊に動いたらあいつらの思うつぼぜよ」
「しかし、それでは・・・」
「やかましいぜよ!」
今度は以蔵の方が大声で叫んだ。
「おまさんは、まだわからんのかえ。二人とも殺されてそれで本望かえ。ええ加減に頭を冷やさんかえ。ほがな単細胞なことで、さらの日本ってもんが作れるとでも思っちゅうがかえ、こん馬鹿もんがぁ」
「何とでも言え、私は行く」
以蔵が怒って見せたところで、桂に聞き入れる様子はない。
「おまんはまっこといごっそうぜよ。わしに一つ考えがあるがぜよ」
以蔵の言葉を聞いて、桂は再び腰を降ろした。そしてしばらく沈黙が続いた。
「さっきは以蔵殿も声が大き過ぎたのではないか」
桂が怪訝そうにそう言うと、二人は顔を見合わせ大声で笑った。
以蔵が考えた作戦とは次のようなことだった。以蔵の収集してきた情報によると、幾松の斬首が、三日後の午後、鴨川沿いの三条河原で行われるとのことだった。処刑が行われるまで、新選組は桂の襲撃に対して警戒を強めてくるはずである。幾松の奪還を狙うのであれば、処刑が行われる直前である。もはや桂の襲撃がないと思わせておいて、新選組の気が緩んだところに斬り込んで、幾松を奪還するという作戦である。新選組はおそらく数十人の隊士を配備して待ち受けている。桂がいくら剣の達人と言っても、以蔵とたった二人で斬り込んだところで、暗殺者集団全員を倒すことは絶望的に不可能である。仮に幾松を救出できたとしても、足の遅い女性を連れて敵陣を突破し、逃走することもまた不可能に近い。相手の不意を突くと言っても、大きな問題がいくつもある。
「あいつらも思い切ったことをやりよるきに。小五郎が屯所を単身で襲撃してくるとでも思ったがかえのぉ。こちらにしてみれば、おまさんのおなごが生きて屯所におることが分かっただけやのうて、三日も時間の猶予を与えてくれるって、返って好都合ぜよ」
「それで、どのような策があると言うのだ」
桂は短刀直入に聞いた。
「おまさんのおなごが首を切り落とされる寸前を狙うきに、やつらが油断しちゅうところをわしが襲撃して、あいつらを混乱させるぜよ」
「たった一人でか」
「そうじゃき」
「どうやって」
「まぁ、人の話は最後まで聞くぜよ。あいつらが混乱している隙に、おまさんどないかしておなごを助け出すきに。剣豪と暗殺剣の共同作戦やき。前代未聞の戦ぜよ」
「いやいや、作戦に具体性がないし、全く話が読めないのだが・・・」
「具体的なことは後ぜよ。まずは作戦の全容を知ることが先ぜよ」
以蔵は桂の言う事など意に介さず一方的に話しをした。
「問題はおまさんのおなごを取り戻してから、新選組の包囲網を突破して、どうやって逃げるかぜよ」
「確かに幾松を背負って逃げる訳にはいかない」
「あいつら目の前でおまんに逃げられちゅうきに、二回目も逃げられゆうなら切腹どころで済まんぜよ。自分の命が懸かっちゅうきに、地獄の果てまで追って来るきに。かと言うて、全員が殺しの手練れやきに、弱いやつが一人もおらんぜよ。ほがなやつらを何十人も斬り倒すことなんかできゆう訳がないぜよ。そやけんど、やはり逃げ切るにゃ追手を全て動けんようにせなあかんきに。前にも言うたが、あいつらは猟犬みたいに群れをなして、集団で襲ってくるぜよ。そやきに全員をいっぺんに相手をすれば、わしらに勝ち目はないっちゅうことぜよ」
「しかし、彼らが列を作って順番に戦ってくれることなど、頼んでもやってくれる訳がない。敵を分散させる方策でもあるのか、以蔵殿」
「以蔵でええきに。小五郎はまっことええこと言うがぜよ。あいつらをどうにかして分散させればええんぜよ。わしらなら、二、三人くらいなら、一度に相手したところで十分勝ち目はあるきに」
「しかし、私には刀がない。どうやって戦えばいいのだ」
桂は刀を投げ捨てたことを、今さらながら悔やみ、意気消沈した表情を浮かべた。
「まあ、話を最後まで聞きくぜよ、小五郎。おまさんは新選組から逃げた時に、なんで刀を放り投げたきに」
以蔵からの意外な質問だった。
「刀が重過ぎて、走るのに邪魔だった。とにかく身を軽くするためだった」
桂は以蔵の問いに少し間をおいて、永倉隊に追跡された時の記憶を辿りながら答えた。
「そうじゃき、逃げる時に刀はいらんぜよ」
「馬鹿なことを言うな。刀なくしてどうやって暗殺者の集団と戦うのだ」
以蔵の言っていることが、桂には理解できなかった。
「木刀じゃき。あれなら軽うて走りやすいし、体力も減らさんで済むし、真剣と渡り合えるぜよ」
以蔵が得意気な顔で言った。
「何を言っている。一人や二人なら何とかなるが、それ以上になると、簡単にへし折られてしまうぞ」
桂は以蔵の作戦がただの思い付きではないのかと疑心暗鬼になり、怪訝そうに答えた。
「いやいや、だれが木刀一本で戦うと言うたがや。一本で三人を倒せるとしたら、少なくてもわしら一人当たり十本近くあれば何とかなるって言うことぜよ」
桂は以蔵の言っていることが、まだ理解できない。
「敵を分散させて、木刀で二、三人ずつ倒していくと言うことか。どうやって敵を分散させるのだ。しかも木刀を何本かついで走るなど、あなたの作戦が全く理解できない」
「そうじゃき、順を追って説明せんといかんぜよ」
<続く……>
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