【連載小説】小五郎は逃げない 第40話
闘走 2/5
以蔵と対峙した隊士は、以蔵が真剣ではなく木刀を持っていることにいち早く気付いた。たとえ木刀で叩かれたとしても、命を落とすことはない。安心感と共に、以蔵に反撃する余裕を与えないように、連続して打ち込んできた。以蔵は斎藤との激闘で傷んだ木刀で、何度となく敵の攻撃を受け止めているうちに、木刀が折られてしまった。隠してある木刀はまだ残っているが、それを取りに行く隙が無い。真剣を持った相手と素手で戦って勝てる確率は、万に一つもない。
「こりゃ、参ったぜよ」
以蔵が独り言ちたとき、敵の隊士が猛然と斬りかかってきた。こうなれば、相手の懐に飛び込んで刀を奪うしかない。以蔵が飛びかかろうとしたその時、以蔵の前に桂が立ち塞がった。手には真剣を持っている。桂は下段から相手の刀を跳ね除けると、一瞬の早業だった。桂は踏み込んだかと思うと、相手は肋骨を砕いて気絶させた。その速さは、以蔵の目にも見えないくらいであった。
「斬ったがかえ」
「いや、峰打ちだ。死んではいない」
以蔵が他の隊士もいたことを思い出し、辺りを見回すと、気絶して地面に伏せていた。改めて桂の剣術の凄さを思い知らされた。
「これで先程の借りは返したぞ。ところで、あの凄腕の男をどうやって倒したのだ。簡単に倒せる相手ではなかったはずだ」
「なーに、おまんにしたことと同じことをしただけぜよ。剣豪は刀に頼り過ぎるきに。勝負を焦ってきゆうと、どうしたっち刀の振りが大きくなってしまうぜよ。そうなるとほんの一瞬やけんど隙ができゆう。すかさずあいつの顎に蹴りを入れてやったぜよ。二間程後ろにすっ飛んでいって、地面に頭から落ちたら気絶しよったぜよ。ところで、小五郎、後のやつらはどうなっちゅうがかえ」
桂もその言葉を聞いて我に返った。確か寅之助が足止めしてくれているはずだが、そう長く時間を稼げるものではない。通りの向こうに目をやると、やっと追手が見え始めた。桂と以蔵が目を凝らしていると、いつの間にか寅之助が足元にいた。左の肩から前足にかけて斬られて、血だらけになっていた。
「トラ、どうしたのだ、その傷は!」
声をあげたのは以蔵ではなく桂の方だった。
「こりゃ、えらい深くやられちゅうきに。大丈夫かえ、トラ」
以蔵も心配そうに言った。
「私のために命を張ったくれたのか。すまん、トラ。もう走らなくていい。おまえは隠れていろ」
桂は悲痛な声と共に、片膝をついて寅之助の首筋をそっと抱いてやった。しかし、この犬は動じることがなかった。いつもなら嬉しそうに桂の頬を舐めてくるのだが、痛みを微塵も感じさせることなく、凛としてすでに臨戦態勢に入っていた。武士に育てられたこの犬もまた武士なのである。
<続く……>
<前回のお話はこちら>
▼こちらを読んでいただくと途中からでも楽しめます!▼