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陰口を言われた時に読むエッセイ

陰口はどう言う仕組みなのかわからないが、人伝に回り回って本人の耳に入る。

全くの第三者から陰口を言われてると聞くと、心の底からえずくような不快を感じる。

いつも思うことは、"直接ぼくに言ってくれ"、だ。

その陰口を一体何人の関係ない人が聞いたのだろうか。

本人の言い分なんて一切配慮してもらえない空間で。

何も知らなかった人は、誇張された悪評だけが刷り込まれる。

全く理不尽な話だ。

陰口を言う方にも言い分はあるだろう。

ぼくに対する不満を募らせていたのだろう。

"あいつだけが楽をしている"

"あいつだけが好き勝手なことをしている"

"あんなやつは会社にいない方がいい"

陰口の中身はおおよそそんな低レベルな話だ。

その言葉の真意は何なのだろう。

裏を返せば、

"ぼくは楽をさせてもらっていない"

"ぼくは好き勝手なことをさせてもらっていない"

"ぼくこそが会社に必要な人材なのに認知されていない"

俗にいう嫉妬ってやつだ。

楽することに憧れるのだろうか、好き勝手なことに憧れるのだろうか、自分が会社に重宝される人材だと思っているのだろうか。

ぼくはどれもこれもそんな風に思ったことがないけど・・・。

それに他人を妬んだところで、何の解決にもならないのに。

若い頃はこの陰口に散々悩まされた。

聞きたくもないのにぼくの耳に入ってくる。

それも誰が言ったって犯人特定付きで。

証拠がないからこっちから反撃する術がない。

憤りだけ抱えたまま、ただのやられっぱなしだ。

少なくともそんなやつとは良好や関係は築けやしない。

でも歳を取ってから思う。

人は陰口を言う生き物なんだと・・・。

そうしていないと自分が病んでしまうから、仕方なくやっているんだと・・・。

何人もの人を批判して、ぼくはその中の一人に過ぎないんだと・・・。

SNSの話を聞いていると、批判される方は何をやっても批判される。

誰だって例外じゃない。

誰にもどうしようもない。

無くせないものならもう気にするのはやめよう、ある日そう思った。

そう思えたのは、やっとぼくにも理解者が現れたから。

数人だけど、孤独から解放された。

数人だけど理解者がいると思ったら、大多数の陰口が気にならなくなった。

陰口が聞こえてくると、相変わらず気分は良くないけど、そんなもの引きずって行こうと思えた。

永遠のせめぎ合いだけど、味方がいれば戦っていけそうだ。


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鈴々堂/rinrin_dou@昭真
小説を読んでいただきありがとうございます。鈴々堂プロジェクトに興味を持ってサポートいただけましたらうれしいです。夫婦で夢をかなえる一歩にしたいです。よろしくお願いします。