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発達障害(ASD)にSi優位が多い説

「発達障害に多いMBTIタイプは?」という疑問や、それに関する議論を時々見かける。

統計上は「タイプに関係ない」とされているが、体験上・理論上は「関係ある」とも言えると私は考えている。
その理由をいくつか挙げてみる。


「感覚」に焦点を当てた視点

発達障害を持つ人がよく話題に出すテーマに共通性がある。発達障害を持つ人達の多くが同じような視点から物事を語っているということに気付いた。その視点はMBTIのSN指標の「S型」に該当する視点だと言える。

発達障害、特にASDを持つ人が、自覚として語る内容に「感覚過敏」「解離」がある。
MBTIやユングのタイプ論に基づいて考えると、「感覚過敏」や「解離」に自覚を持つということは「感覚機能」が使われていると解釈できる。なぜなら、「感覚過敏」は感覚が強まっていることを表し、「解離」は感覚が弱まっていることを表す。つまり感覚過敏や解離に関しての情報を日常的に受け取っているということは、日常的に「感覚の強弱」に焦点を置いていると言える。それはユングの言葉で言えば「感覚が分化されたタイプ(感覚タイプ)」だと言える。

この「感覚の強弱」は、実際に外のものが変化して起きたものではなく、自分自身の受け取り方が変化することによって起きている。
同じものであっても自分の感じ方が変わることにより敏感に感じたり、鈍感に感じたりするというのは「内向される感覚(Si)」だと言える。

発達障害を持つ人は「自分の感覚の変化」に敏感なので、日常的に「今は感覚が強まっている(=感覚過敏)」「今は感覚が弱まっている(=解離)」という情報を受け取り、客観的な感覚(=何も変わっていない、みんな気にならないものだ)よりも自分の感じ方(=自分は気になる)を頼りにする。

外向的感覚タイプは客観的な影響の強さによって導かれますが、内向的[感覚]タイプは客観的な刺激によって引き起こされる主観的感覚の強さによって導かれます。

ユングのタイプ論

ユングのタイプ論で言われている「客観的な刺激によって引き起こされる主観的感覚の強さ」は、日常的に用いられる語句としては「感覚過敏(主観的に感覚を強く感じる)」「解離(主観的に感覚を弱く感じる)」という言葉で言い表されている。
発達障害を持つ人は、主観的に強められたり弱められたりした感覚に基づいた情報の受け取り方をしやすいのだから、Siが過度に発達した人が多いと私は考えている。



ASDの特性とNe劣等は非常に似ている

ASDの特性として「人の気持ちを察したり空気を読むのが苦手」がある。
これをFeの著しい未発達とする考えもあるが、私はこれはNeの著しい未発達により起きる問題だと考えている。

FeとNeを比較してみる。
Feは判断機能である。取捨選択において他者に与える影響を考慮することを優先する機能である。
Neは知覚機能である。全体像に焦点を当て、文脈を読み取り根拠とする機能である。

つまり、判断機能により障害が生じているか、知覚機能により障害が生じているかの違いになってくる。
ASDは「他人に与える影響を考慮しない障害」というより「直接言われていないことが把握できない障害」であるといった方が適切であると考えている。

ASDの人は “外から見ると” 人の気持ちを気にしないように見えるが、“当事者目線では” 人の気持ちに気を配る人も多い。MBTIは「得意・不得意」ではなく「意識の向きやすい方向」であるので、「人の気持ちに配慮するのが苦手(ASD)=人の気持ちに焦点を当てない(F劣等)」ではない。
では、S/N指標はどうか? ASD当事者は「文外の意図が分からない・直接言われた事以外をどうやって認識したら良いのか分からない」という悩みを抱えがちだと思う。それはMBTIでいうと「S(実際に見聞きした情報や文字通りの意味)に焦点を置くのが当たり前として根付いているから、N(直接は見聞きしていないけど察せられるもの)に焦点を当てる方法が分からない」と言える。


これはASDの特性について書かれたものだが、太字の部分はMBTIのS型の特徴と一致する。

1.言語的コミュニケーションの障害

『一方的』『字義通り』などの特徴があり会話がかみあいません。
・おかまいなしに一方的に話す
・いくつかの意味やニュアンスが理解できない
・冗談や皮肉、慣用句、例え話が通じにくい
・相手に合わせて言葉や話し方を使い分けることができない
・必要以上に細かく、分かりにくい
・過度に厳格
・曖昧や適当な表現が苦手
・状況は伝えるが気持ちや感情を伝えるのが苦手

などのようなことが起こります。

引用元:志木こころのクリニック

また、『イマジネーションの障害』に関しては Si優位/Ne劣等 の特徴とほぼ完全に一致する。

イマジネーションの障害では、物事の流れを把握したり、これからどうなるかといったことを想像することや予測することが困難なことにより、柔軟性が損なわれます。

・こだわりが強く(生活パターン、習慣、規則)、同じものに固執し、変化を嫌います。
・あいまい、急な変更(予定や物の位置)などは苦手です。
・興味や関心の幅は狭く(有る無しが極端)、気持ちの切り替えや発想の転換は苦手です。

上記と同じ引用元


また、ASDは「他人への関心が薄い」と言われている。乳幼児期の自閉症の診断においても「他人への興味の有無」は重要な情報である。
この「他人への関心の薄さ」の原因について考えていたところ、「人に可能性を感じることが「興味」」といった内容の記事を見つけた。他人への関心を持てる人の考え方として勉強になるので貼っておく。

興味の源とされている「未知の領域の認識」「可能性を感じる」は、MBTIの心理機能で表すと Ne である。
『MBTIタイプ入門 タイプダイナミクスとタイプ発達編』にも、Neに関して同等の記述がされている。

外向直観機能を主機能に持つ人は、外界の体験を通じて精神的な創造性を発揮する。ためらわずに行動に移し、さまざまな情報を集め、体験し、変化していく状況や新しい考えに独自なやり方で対応していくことにより、自分なりの考察や洞察を確立していく。

『MBTIタイプ入門 タイプダイナミクスとタイプ発達編』

ここに説明されている内容が、まさに「可能性を見出し関わりに行く(=他人に関心を持つ)」だと考えている。

この機能が劣等機能(なおかつ過度に未発達)である場合はどうなるか?
そうした場合、その人は「他人への関心が薄く、個人の内的な感覚な世界に閉じこもる」性格となる。この「内的な感覚な世界」とは具体的には、内向感覚タイプが好むような “慣れ親しんだ枠内で慣れ親しんだものと関わる” や “繰り返しにより内面を安定させる” になってくる。
また、劣等機能は脅威となりやすい。Ne劣等のNeに対しての脅威とは、不慣れなことへの混乱を意味すると考えている。不慣れな事に対して混乱しないために内的な経験データを参照する(=経験したのだから自信がある/未経験の事には対処が難しい)というのがSi優位/Ne劣等である。
このような特徴を持つ人は、発達障害(ASD)と診断されやすいと考えている。なぜならASDの障害特性とほぼ一致した特徴を持っているからだ。



参考となるPDF

アスペルガーとユングの感覚型には関連があるという考えのPDFも見つけた。

https://yagotoekinishi.com/pdf/asperger.pdf

この疾患の最も明らかな特徴は、双方向性の社会的相互作用が欠けているということです。(Asperger氏は、「この疾患の基本的障害は外界との連携の狭窄にある。」と述べている)
これは社会的接触から引き籠っているからではなく、社会における行動を支配している規則を理解したり、使用することができないことによる。
これらの規則というのは、書かれても述べられてもいなく、複雑で常に変化し、人の話し方、身振り、姿勢、動作、眼差し、衣服の着方、人との接し方など多くの日常的振る舞いを支配している。即ち、この子達は、自然に無意識に大人の仕草をまねて身につけることができない。

彼らの社会的行動は原始的(自然)であり、かつ特異である。彼らはこれらの困難に気付いており、さらにはそれを乗り越えようと努力さえしているのかもしれない。しかし、それらは、不適切な方法であり、それ故、うまくいったというサインは得られない。
彼らは、どの様に他人の要求と人格に合わせたアプローチを展開するかという直観的な知見に欠けている。
〈ユングのタイプ論参照。「直感」が弱いことから間主観性の発達が遅れる〉

私の考えと同じく、ASDが読み取るのが苦手とされるもの(言外の意図、社会的合図 など)はユングでは直観に該当するという考えのようだ。
それらの読み取りは「全体像を見る」ということに重点が置かれていたり、一種の「パターン」であり、これらの情報を集めるために使用される機能は直観機能だと言える。



アレキシサイミア(失感情症)も内向感覚タイプに関連しているかも

発達障害(ASD)に多いとされる『アレキシサイミア/失感情症(自分の気持ちがよく分からない障害)』も、ユングの内向感覚タイプの記述に近いものがある。

思考および感情の両機能が比較的無意識であるこの型の人間は、自分が受けた印象を表現するにも、原始的な手段をある程度持っているだけであり、思考および感情が意識的である場合にも、必要最小限度のごくありふれた平凡な表現手段しか持っていない(大人しく、目立たない人)。
それゆえこの型の人間の思考と感情とは、意識的機能としては、主観的知覚をうまく再現するのにぜんぜん不適当なのである。したがってこのタイプの人間は、自分でも自分がわからずに首をかしげているのと同様、第三者としてもいちじるしく理解が困難なのがふつうである。
(末那識(七識)という自我層が薄い:すなわち自分の考え、自分の感情の経験的な厚みが薄い為、自分がないひとに感じる、更に、直感が不十分なために自分の心も他人の心も自我意識水準で獲得できないので、結局、自分自身も、自分の中に取り込んだ他者も、考え・感情・社会経験の薄い存在になる)

上記PDF参照

ASDを持っていると柔軟性を利かせたり温かみを表現するのが難しく機械的な対応になりがちだということや、自分の内面があやふやだから感想を述べるのが難しいというのもこの「平凡な表現手段」に該当するのだろうか。



ASDの内向感覚タイプ(MBTI:ISFJ)として思うこと

私自身は、発達障害(ASD)当事者であり、自身のMBTIタイプと障害特性のすり合わせに関して長い間悩んできた。
発達障害を持っている人の場合、障害特性によりタイプの判別が難しくなると思う。「障害特性と性格タイプは全くの別物」とする考えもあるが、私自身としては発達障害と性格タイプはある程度関連づけることが可能だと考えている。MBTIは「得意・不得意」とは関係がなく、「意識の向きやすい方向性」という公式の考えを念頭に置いて考察した。

ASDは誤解の多い障害だと思っている。
私も、MBTIに関して知識が浅い頃は「ASDはFeが未発達である」という俗説を支持していた頃があるが、考え直すと「障害による得意不得意とMBTIにおける意識の方向性をイコールで結びつける考えは間違っている」という結論に至った。

改めて「意識の方向性」に重点を置いて考え直した所、私はS型でありF型であることに気がついた。そして「S型っぽい所」はASDの特性にかなり近いことに気がついた。
これで「私は人の気持ちを気にしているが、人の気持ちを読み取るのが苦手」という矛盾が解けたのだ。「人の気持ちを気にする」というのはF型の特徴であり、「人の気持ちを読み取るのが苦手」というのはN未発達によるものである。感覚的に受け取らなかったものは何もかも認識の中に入っていない、つまり判断材料が足りないということだ。認識の偏りによる「判断材料不足」が他人とのすれ違いの最も大きな原因になっている事を突き止めた。


まとめると、私の意見としては「発達障害(ASD)特性はほぼS型の特徴と一致する」となり、ユングの 外向性/内向性 を考慮した結果『内向的感覚型』に特に一致する。
もちろん、発達障害だからといってこのタイプしかいないと一括りにすることはできないが、今回説明したような関連性が見出せる以上は「ある程度の関連性がある」と言えると思う。


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