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「フラットな関係でありたい」価値観の根が私に強く張っている。
「かわいそう」
——この言葉をかけられるたびに、なんとも言えないモヤモヤが胸に広がります。
私、本当にこの言葉を言われることが心底嫌いなんです。
なんでここまで嫌いなのかを考えてみます。
自分のことを評価されているように感じる
私は言葉をダイレクトに、そのまま受け取る癖があります。
なので、かわいそうと言われたときに
あ、自分今かわいそうな存在なんや、と思うわけです。
自分は全くそんなつもりないのに。
あ、側から見たら私そう見えてんねや。
まるで自分が「不幸な存在」として確定されてしまったような感じ。
最近は「それってあなたの感想ですよね?」と
私の脳内にひろゆきさんが現れて守ってくれるので
少し気楽になったのですが、
自分の中にひろゆきさんが現れる前はまぁ〜〜〜相当キツかったですね。
どう対処していいかわからず、ひたすらなんとも言えない気持ちが冷めるのを待ってた。
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「かわいそう」と言う人からしたら、特に悪気はないのかもしれない。
でも、その言葉は無意識のうちに、私を弱い存在にしてしまう。
誰かが発した言葉によって、自分のことを不幸と決めつけられたくないんだな。
仮に苦しいことがあったとしても、それは私なりに向き合っていくものであって、誰かに同情されるためのものではない。
総じて、他の人のものさしで自分の価値を測られていることに嫌悪感を持っているように思います。
上から目線でものを言われている感覚になる
また、「かわいそう」という言葉には、言う側が優位に立っているような響きがあるように思います。
相手のことを「助けが必要な存在」として位置づけることで、自分の方が恵まれているかのような印象を与えているのです。
そうした上から目線の態度は、受け取る側に無力感や反発心を生み出すきっかけとなります。嫌な循環ですね。
ところで、私は人間関係を築くうえで、「フラットな関係性でいる」ということをかなり重要視しています。
コーチングを提供しているので、なおさら人一倍その想いが強いのかも。
クライアントさんと対等な関係でありたい、という想い。
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自分が大切にしてるポリシーに反しているから、よりモヤモヤが強いのかもしれないな。
さいごに
改めて、発される言葉の重みを実感しました。
もし誰かが大変な状況にいたとき、私は「かわいそう」とは言わない。
ただ「大変だったね」「つらかったね」と、その気持ちをまっすぐ受け止めます。
同情ではなく、共感を。
上から目線の慰めではなく、隣に並んで歩くような言葉を。
これからも、私は大切にしていきたい。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
それでは、また。
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