いくつになっても自分を過大評価して”背伸び”しながら挑戦し続けるのはかっこいい
「いつも頑張って背伸びしてるよね。」って同級生の友達から言われた。
なんだか責められている気分になってしました。皮肉を言われている気分になってしまった。
でも彼女は続けて言ってた。
「それって本当に才能だと思うよ。」って。
大人が背伸びしているとなんだかみっともなく見える。って以前聞いたことがある。でも本当に背伸びするってダサいことなんだろうか。
どんだけ大きくなったとしても私はまだ背伸びをしていたい。それに大人になっても背伸びをしていてたいと思うのはマジの才能だよ
小さいころはみんな背伸びをしてたのに、大きくなったらみんな背伸びをしなくなったね
「大人の真似っこをしたい。」
「おねえちゃんがやっている習い事に私も行きたい。」
「お母さんがしてるお化粧を私もしたい。」
小さい頃は、何でもおませさんになりたかった。
この世に背伸びをしたことがない人なんていない。みんな一度はしたことがある背伸び。
昔は、背伸びすることがあたり前だったのに。
だんだん大人に近づいていけばいくほど背伸びする機会が減っている。
わざと自分を過大評価して「どうしても手に入れてくて涙が出てしまう」みたいな熱くなる感情を持つことがなくなってしまった。
自分の欲しいものはすぐお金で手に入る。小さいころでは懇願してもできなかったやりたいことが大人になると出来るようになる。
気付くとわたしの身の回りには見知ったものごとばかりが転がるようになっていた。
知識も、言葉も、洋服も、コスメも。人も。
ふと気付くと、見える景色が変わらなくなっている。新しいものや人に出会う時間がいつのまにか、本当に少なくなっている。
わたしはいつからこの同じ景色を見つめているんだろう。
だんだん大人に近づいていくと、目的への近道が理解できるようになってきた。だから、身の回りの大抵のものはちょっと手を伸ばせば手がとどくようになってくる。
それは人生を生きやすくするためのテクニックだ。自分の能力を社会の中で最強の武器に仕立てあげそれを上手に使うのも、居心地のいい世界にずっとることも大事。
でも、安心してたままでいいんだろうか。
あれ、いつの間にか自分は今の自分満足できるような理由を上手に言えるようになってる。
あれ、昔はどんな状況にも満足できなかったのに。まだ望むところにまで来ていないはずなのに、いつしか自分のことを過大評価してまでも挑戦し続ける人になることをやめちゃったんだろうか。
今まだまだできていない、足りないところがたくさんある人間なんだから、それがいざ「おとな」という看板を背負ったところで、いきなり素敵な人間になれるわけじゃない。
大人になったからって、いきなり卓越した人になれるわけじゃない。
背伸びをすれば、身の丈がその分”伸びる”よね
「背伸びは長続きしない」と言われるけど、一つも「冒険」しない人生を送る人なんているのだろうか。
反対に「身の丈に合ったこと人生」を送っている人や、「等身大だけで生きている人生」を送っている人は人生を本当にたのしんでいるのだろうか。
人は新しいことに挑戦してみたり、勇気をもって行動することで、ドキドキ感やワクワク感を得ることができる。
だから、そのワクワク感を得るために、最初にすこし背伸びは必要だよね。
私は、恋愛でもたくさん背伸びしたい。
たとえば、魅力的な異性がいる時。
その異性に自分のことを魅力的に見てもらうために”背伸びして”いつもとは違ったおしゃれした服装でデートに行く。
もしかしたら、その背伸びしたおしゃれは最初は自分に似合っていないのかもしれない。でも一度背伸びしてその服を着てみなかったら、その服がに合わないことでさえ気が付くことができない。
その背伸びしたおしゃれを続けていけば、きっと、自分を最大限魅力的に見せることができる洋服に出会える時がきっとくる。
背伸びしないと失敗にも出会えない。
神様みたいにみんな人生においての正解なんてわかる人なんていない。だから失敗をたくさん積まなきゃいけない。
最初は、何もわからないままなりたい自分を演じていた自分なのかもしれない。でも、いつも背伸びをすううちに、いつの間にか背伸びが背伸びではなくなってくるときがくる。
だから、背伸びをしていたい。
自分の弱さを受け入れていないわけじゃない。自分で目的地を決めるのが楽しいだけなんだ
「背伸びしてるね。」と人に言われてると、なんだかもやっとした気持ちになる。
いまの私には「背伸びしているね」っていう言葉が皮肉に聞こえる。
”今の私が目の前にあることを理解せず、スキップして自分のしたいことばかり優先している姿が、がむしゃら人生を生きているように見えて、なんだかほほえましいわ。”
って言われている風に私は聞こえてしまう。
私が未熟なせいなんだろうか。
他人から「背伸びしているね」と言われるとなんだか皮肉にしか聞こえない。
今、自分の力だけで得てる成果に満足できていない自分がいるからかもしれない。「背伸びしているね」と言ってくれた人は皮肉ではなく単純に今の私の様子を表す言葉として使っているのかもしれない。
そんなことは分かってる。
でも、世の中では「背伸びしている人」は叩かれやすい。出る杭は打たれるってやつだと思う。そうやって背伸びしている人を小馬鹿にする文化があるのは、みんな心の底ではその背伸びが魅力的でうらやましいって見えるから。負け惜しみを正当化してるだけなんだ。
背伸びをしている人は新しい世界に挑戦し始めた人。だから、まだ結果が出ていないことが多い。結果が出るのはそうとう後になってしまうのかもしれない。
今の社会は、どんな過程を得たかなんて関係ない結果が全て。
だから結果主義の中では、そういう挑戦しはじめた人を悪く言いたがりなんだ。
だからみんな言う。
「人生、焦る必要なんてないんだよ。」
「まずは今の自分ともう少し向き合ってみたら?」
「もう少し等身大で考えてみたら楽なんじゃない?」って。
今の自分のがんばろうとしてがむしゃらに生きていることがさも間違っている方向であるかのように、大きな滝のようなアドバイスを食らう。
そうやって、大人になっていくうちにリスクをとらない方法を学んだ人達にとって、がむしゃらに生きている私は大きなリスクの海に1人で突き進もうとしているように見えるらしい。
だから心配してみんな言ってくれる。
でも、私は背伸びしない安定した人生より、毎日背伸びしてどきどきワクワクした人生の方がよっぽど幸せなの。
だって楽しいんだもん。
ちょっと背伸びをして知らないところへ行く。知らない人に会う。知らないことを知る。難しい本を読んでみる。
自分で向かう先を常につくっている方がよっぽど楽しい。
大人に近づいてしまえばしまうほど、背伸びしようと思わないともう背は伸びない
小さい頃は何もしなくても環境がころころ変わった。私が買えようとしなくても社会が私の環境を変えてくれた。
でも、もう普通に過ごしているだけで背が伸びたあのころはもうすぎちゃった。今は大人に近づいてしまったから、背伸びしようと思わないともう背は伸びない。
自分を過大評価して行動していると、時々おぼれそうになる。でもね。頑張ってそのおぼれそうな海で必死に泳いでいるといつか陸にたどりつける。
辛くなったら一旦おぼれてもいい。普段から背伸びして頑張っているあなたをきっと助けてくれる人が周りに絶対いる。
時には、背伸びをしてる自分に向かって誰かは嫌なことを言ってくるのかもしれない。
「大人なのに背伸びしててみっともないね。」って。
「痛い大人だね。」って。
みんなが知ってる孫さんのことだって、
ある人は「何も分かっていないはげくそじじい」という。
本当の自分のことを知らない人なんて気にしなくていい。そう思うのは少し難しいかもしれないけど、嫌な意見かもしれないけど私に興味を持ってくれているってこと。
背伸びしていればいつしかそんな私の意志と強さを受け入れてくれる人が広がっていく。
私はいつまでも「背伸びしている人」でありたい。
そして私は、いくつになっても背伸びをしてる私を応援したい。
P.S.
最後まで読んでくれてありがとうございました。感情で書いてしまった部分が多いのですが、私のような人はすくなくてもいるのではないのでしょうか。そんな人のことをいろんな人にもっと知ってほしい。そんな思いで書きました。この記事を読んだ人に少しでも救われる人がいますように。読んだ感想をコメントで聞けると嬉しいです。
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