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頑張ることが全て+になるとは限らない。それも欲であることには変わりはないもの。

タイトルは、私が高2の時に書いた日記にあった言葉だ。

過度な練習の末、大好きな楽器を吹けない体になった。引退までの数か月を吹奏楽部でどう過ごせば良いものかと当時はすごく葛藤していた。

あれから5年以上の時が経ち、環境も大きく変わったけれど、現在の私にも強く刺さるものがあった。

江戸時代から見られる語で、漢字の「頑張る」は当て字である。
がんばるの語源には、二通りの説がある。

ひとつは「眼張る(がんはる)」が転じて「がんばる」になったとする説。
これは、「目をつける」や「見張る」の意味から、「一定の場所から動かない」という意味に転じ、さらに転じて、努力してやり通す意味になったというものである。

もうひとつは、自分の考えを押し通す意味の「我を張る(がをはる)」が転じ、「がんばる」になったとする説である。

語源由来辞典より

上記は「頑張る」という言葉の由来だが、ご存知だろうか。
私は、はじめて知った。

意外に自己中心的な雰囲気だから、私のような「頑張ります」という言葉が口癖の人にとっては目を疑う内容かもしれない。
「誰かのために頑張ってえらい」とか、「頑張り屋さんだもの、無理しないで」とか、誉め言葉や慰めに使われてきたイメージとは真逆じゃないか。ちょっとショックである。


頑張るより生き残ることを目指して遊ぶ


遊ぶように働けばいいんだよ。会社を良いように使えばいいんだよ。
方法はいくらでもある。

最近よく相談にのってくれている、私の尊敬する上司の言葉だ。
ふわっと私の心を軽くしてくれている。

頑張りすぎなくていい、とかいう言葉じゃないところが好きだ。
「遊ぼう」という、暴れ馬の私にも親しみのある言葉が緊張をほどいてくれたのだと思う。けれど、かなり本質的なアドバイスでもあると感じている。


頑張ることも、遊ぶことも、自分で主体的に選ぶ責任が伴うところは共通している。でも、「苦しい」と感じるか、「善いことだ」などと正当化する要素があるかの問題が異なっている気がする。
そこが遊びながら苦しむより、頑張ることに固執して苦しむことが多いと思うけれど、そこが意外に生死を分ける大事な部分なんじゃないだろうか。

頑張るより生き残ることを目指して、遊ぶように生きるぞ。

ということで、これが2024の抱負だ。

遊ぶ「ように」、という書き方に関しては、遊ぶことに少し罪悪感を感じがちな私らしく『遊んでばかりではないよ~』というところがポイントだ。要は自己満である。

頑張らずに遊ぶ感覚でいることは、誰かからの期待を捨てることやワガママを貫くことに近いから、ついつい頑張っちゃうんだと思う。

でも、人生そのものがワガママなんだから。
その本質に少しでも近づくことのできるような、1年にしよう。




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