誰かだけがいない街:1909字
私でもない。
あの子でもない。
知らない人でもない。
誰かがこの街から消えたらしい。
生まれ育ったこの街はその話題でひっきりなしだ。
名前は人から聞くたびに違っていて、背丈も、格好も、年齢も、挙げ句の果てには性別まで異なる。
違う人の失踪かなって思って聞くけど
「一人しか居なくなってないはず」
そうみんな口を揃えて答えた。
最初の方は言い知れぬ恐怖を感じていたけど1ヶ月経つ頃には何とも思わなくなっていた。
日常になった。
学習机に突っ伏していると三上が話しかけてきた。
「結局あいつどこ行ったんだろうな」
2ヶ月過ぎたけどこの話題は絶えない。
それほどこの街は何も起きてないんだろう。
「そうだよなぁ」
面識があるかどうかすら分からない人物の所在を尋ねられるのはこれで何百回目だろうか。
もしかして凄く仲が良くて私の記憶からすっぽり抜けているだけかもしれない。
でも忘れたなら仕方ない。
覚えてない事を思い出そうとするなんて素晴らしく無駄だ。
「いつから居なかったんだろうな」
「いつからだろうなぁ」
全くもっての空返事と分かっていても三上は話し続ける。
それ以外話題がないのだからと言われればそれまでなのだが。
「もう暑いし熱中症になってないと良いけどな」
「心配だよなぁ」
ここ最近自分でも興味があるのかないのか分からなくなってきた。
ただ今そいつについては考えたくなかった。
話は答えのない泥の中へ。
下校途中の公園喉が渇いたので自販機でお茶を買った。
ふと遊具に目をやると不釣り合いな男性がブランコで項垂れていた。
こんな暑さなのに背に不釣り合いなスーツを着ている。
この辺じゃ見かけない顔だ。
もしかして
雪崩の様な期待感が私を襲う
あいつか?
私が第一発見者になったのか?
唯一性に紐付く高揚感とヒーローになれるかもという気分で体が火照る。
ペットボトルのお茶で体を冷まして歩いていく。
小走りになるのを抑えてゆっくり近づく。
「あの、大丈夫ですか」
私の声に気づいた男性はのろりと此方を向いた。
「大丈夫です…」
暑さに吸い込まれるような聞き取りづらい声。
これはまさかか。
こんだけ弱ってるって事は。
嬉しくなってきた。もちろん見つけられた嬉しさもあるけど、この話題に多少興味があった自分がいたのが。
この街の一部であれたことが分かった気がした。
「あのみんなが探しているのって貴方ですか?」
突飛な質問に呼応するかの様に男性はとんでもない速さで此方を見た。
私は驚いて少し右足が出口の方に動いた。
焦りが先行する私とは打って変わって、男性は溜息と共にまた地面に視線を落とす。
答えの出ない間。
何かされるかも知れないという緊張感が私の中に広がっていく。
背中に汗でひっついたシャツの感覚だけが私をたらしめた。
公園の静寂と私の胸騒ぎは諦めた様な顔をした男性が止めた。
この街を消す様に言う。
「その噂の発信源、多分私なんです」
「え?」
そのまま口に出てしまった。
男性は口元を動かさないで笑い、少し垂れた眉を落として続けた。
「私は出身ここなんです。少し前に帰ってきて友人と遊ぼうと連絡をとろうとしたら繋がらなかったんです。」
聞いちゃいけない気がした。
「母に、マツヒロどこいったって聞いた。それだけなんです」
話が入ってこない。
「おっせかいな母はその友人を探している事をご近所さんに伝えました。でも僕が言った、"マツヒロ"を聞き間違えて"マキヒコ"って名前になっちゃってたんです。」
髪をかき上げた手に釣られる様に男性は微笑む。
「話伝いになるにつれて、誰も聞き覚えの無い名前は記憶によって改竄され、形の変わった情報だけがこの街に溢れてしまった様なんです。」
存在してなかったんだ。
予想のハードルの遥か下を行く結果に肩を落とした。
誰も超えられないハードルだったのだが。
そこからは余り覚えてないがどうやらマツヒロ君は亡くなっていたらしく墓参りに来ていたそうだ。
私は男性と共にマツヒロ君の墓参りに行った。
なんとなく「ついて行って良いですか」なんて言ってしまったのだ。
もしかしたらそのマツヒロ君はとんでない怪物で…
でもそんな不謹慎なソワソワを無視して、なんて事のない普通のお墓だった。
私は心の中でごめんなさいと呟いて手を合わせた。
男性は「良かったな」と泣きながら笑っていた。
私が事の真相を知っていても街は相変わらず失踪事件の話ばかりだ。
鞄を机に置くと三上が話しかけてきた。
「おはよう、あいつ見つからないのかなぁ」
私は教科書を机にしまってから
「4mくらいの巨人になってたりして」
と答える。
街とマツヒロ君がある為に。
「そんな大きかったらすぐ見つかるだろ」
三上はそう言ってニヤニヤしている。
「そうだよなぁ」
私は空返事で返す。