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【対話のパラダイムシフト〜儀礼的→討論→共感→共創造へ〜】
昨年11月からスタートした、
(※こちらのイベントページ↑は募集は終わっています。)
という講座の、第4回目に参加してきました。
校長先生から、教員の皆さん、学校をサポートする組織の方、私のような保護者の方々が参加しています。参加者の声などは書けないけれど、わたしがメモして学んだところをアウトプットしていきますね。
(第1回〜第3回までのアウトプットを、こちらのマガジンにまとめています↓)
第4回目も超大事なお話ばかり。
今までの3回と違うところは、学びの時間から実際に問いを立てて小グループに分かれて【対話】をする時間だったこと。
出てきた問い。
① 子供が主体的に行動する子になるために、どこをどう変えていったら良いか?
② 支え合う社会を作るために、どんな学校が必要か?
③ 学校における子供の評価・評定はどうあるべきか?
④ 失敗を祝福し合える学校教育になるためにはどうしたらいいか?
⑤ 教育の場に、個性を尊重する関わりを導入するにはどうしたらいいか?
⑥ 子供が学校に行くことが幸せだなぁと感じるためには、大人はどう関わればいいか?
この6つの中から、選んでブレイクアウトルームに分かれる。
私は①に参加したんだけど、
「子供が主体的に行動するには、大人が内側と向き合い主体的になってその在り方を見てもらう、感じてもらうことが大事かなぁって。子供へ働きかけても、大人がまずそう在れないと伝えることもできないし、説得力もないし… 伝えられたとしても、また大人のその姿を見て成長するわけで・・・」
と、わたしは声にしたんですね。
ただ、先生方の話を聞いていると、それはわかるんだけれど、そもそも大人が「主体的にって何?」「内側と向き合うって何?」「自分の本物さって何?」というところにいて、みんなわからなければ疑問にも感じていない状態。だからそこがとても難しいと。その状況を踏まえて何か子供たちにできることはないのかな?って。
なるほど。。。
わたしの想い、浅はかだな… なんも現場をわかっていないな…って心の中で自分にジャッジをしつつ、でも声にしたから知れたことだし、声に出すことで、視野が広がるなぁと体感。
(でもその後ビビって声が出せなくなった。笑 わたしの思考・行動パターンである。また機会を作って向き合おう。)
あともうひとつ、わたしが自分と向き合うことに慣れているため、「大人が向き合えばいいんじゃね?」って言葉がサラッと出てきたこと。
この自分に無自覚だったこと。これもランクというやつだ。それをあっさり言われた先生方は傷ついたかもしれないということ。。
(超大事な無くなることはない社会のランクについてはこちらに書いてます→★)
この無自覚っぷりにとってもガーン…となった。。。でも、今回こうして自覚的になれたので、次に生かそう。うん。
いろんな貴重な声が上がってココでも伝えたいけれど、参加者の声は出さない約束なのでもどかしさも抱えつつ、次へ。
(皆さんこの講座シーズン2も予定されているそうなので、是非参加して先生方の生の声と対話してみてください〜♡わたしも続けて参加するつもりです♡)
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ブレイクアウトルームを終えて、各グループのシェア。
その後、ファシリテーター渋谷聡子さんの言葉。
「わたしは、本当に対話にパラダイムシフトを起こしたいと思っているんです。」
(カタカナ苦手なわたし。パラダイムシフト(paradigm shift)とは、時代や社会において、常識的な考え方の枠組み(パラダイム)が、革命的、劇的に大きく転換(シフト)すること。)
対話の中で、何を話したのではなくて(そこも大事だけど)、その場に何が起きていたのか?どんな構造が起きていたのか?が大事。
大抵の日本人は「どうだった?」と聞くと「あーよかった〜」「あんまりだったー」とか良いか悪いかで応える。でも良い悪いじゃなくて、そこで起きている構造。
何が起きていたかを引いて見れるということ。職場や家族や学校の会議、PTAの場で、今こういうことが起きてるんだなって、場で起きている構造を見れるようになること、その奥のパターンやその奥にあるものを見れるようになることがすごく大事。
土壌と一緒で畑の土が固い土だと、どれだけ素晴らしいタネとかを植えても芽は出てこない。でも土が柔らかくて栄養分が溢れていたら、なんの種(なんの議題)を入れても、そこは対話的な広がりの場になっていく。
<対話の場の4つのフィールド>
【① 儀礼的な対話】
当たり障りのないこと。天気。食べ物。
★ダウンローディング・・・事前に作った資料をただ読み上げるだけの会議。
知識がある人がずっと知識をしゃべる。対話の入口としてはキッカケにはなるけれど、気づいたらその人がずっとしゃべっているというのはよくある。
★場の空気、暗黙のルール・・・いつも誰かが喋り出し、誰かが話して場を閉じるとか。いつも意見言う人は決まってるとか。
★安全だが不毛・・・安全なんだけど、そこから新しいものが生まれる感じがしない。話す方も丁寧だったり、場を警戒したり、様子を伺うと言うことが起きたりする。とりあえず頷くとか。話長いなぁーって思いながらも誰も何も言わなかったり。時計見たりしてなんとなくその空気を醸し出したり。
【② 討論】
誰かが本音を言い始める。場が一瞬ピリッとする。誰かが本音を言うと必ず対立軸が現れる。
真っ向から反対意見を言う人もいるけれども、真っ向から出さずに見えない抵抗もある。空気感で出す場合もある。
組織にもよるが特に学校では、職員会議では誰も反対意見出さないんだけど、なぜか全く進まない。それには見えない反対者がいるから。
この②の段階では、「なんかさっきの会議荒れてたよねー」ってなったりする。でもこれは、場が悪化したんじゃなくて、進化している証拠。
① にいても何も始まらないから。(誰か一人カリスマ経営者がいてそこについていくんだったらいい。)
ところが、②からどこに行ったらいいかわからず、対立ばかり起こるとみんな怖い。そうするとまた当たり障りのないところ①へ戻すエネルギーが働く。
対話っていうのは、進んだはずの②から③の世界に行けるかが鍵になる。これっていうのは③の世界に行ったことがない人はこの先に何があるかわからない。だから儀礼的と討論を言ったり来たりしてしまう。
特に家族とか、少人数のコミュニティとかは、①②を行ったり来たりしやすい。本音が出てくるんだけど、当たり障りのない会話になる。これをずーっと繰り返すと、皮肉と諦めという世界に旅立っちゃう。言ってもしょうがない…話してもしょうがない…って。
【③ 共感・内省的な対話】
②の討論は、意識の矢印が相手に向いている。自分の意見が正しいかを説得しようというエネルギー。わたしのこれは正しいってどこかで思っている。
それを自分の内側に向ける。
わたしこの意見についてこんなに熱くなっているけれど、わたしの中にどんな願いがあるのかな?どんなニーズがあるのかな?と、自分の内側に意識を向けて、自分の内側に自覚的になっていく。大事にしたいことに気づく。
そうすると、初めて相手の意見の奥にも願いがあるんだってことが見えてくる。ここがすごく大事。(自己マスタリー・・・自分をどれだけ見れるか。これがすごい鍵。)
知識をずっと出しちゃう人ってそれが悪いわけじゃない、つい伝えやすいから知識を出したくなる。だけど、大事なのはその自分の奥の内側には何があるか?どんなニーズがあるか。これを話さないと対話になっていかない。
意見そのものは対立しか起きない。
なぜなら、いろんな見方があるから。
学校の宿題は必要か?
必要という側といらないという側がいたとき、いらないかどうかという議論は終わりが見えない。対立する。だけど、宿題が絶対いるっていう人の願いは何か?いらないっていう人の願いは何か?
全く違う意見のそれぞれの奥に、
何が大事にしたいか、
そこは分かち合える、共感し合える。
まずはそこを通ることが大事。意見は違うけれども、相手の意見に同意はできないけれども、大事にしたいことに理解はできる。
相手の意見と違う時、そのどっちを取る?多数決?とかになるんだけど、どっちかが我慢するのではない。
【④ 共創造・生成的な対話】
自分と他者と両方のニーズを満たす、第3の道。新しい道を共創造していく。
自分と相手のニーズを満たすって言ってるんだけど、③の共感というフェーズを通ると、自分と相手のニーズも同じだってことが見えてくる。ニーズリストは、年齢も国籍も超えて誰もが大事にしたいもの。なので、自他の境界がなくなってくる。
(感情とニーズリストはこちら↓)
対立を超えて③へに行くことが大事で、その体験してもらおうと思って聡子さんもファシリをしている。③の経験がないと、対立した時に行き場所がわからないから、この儀礼的な会話に戻るしかない。「真実を話す=喧嘩・対立を生む」と思っているが、そうではない。
<「対話の場」で振り返るときのポイント>
① その場はどんな感じだった?何が起きていた?
② 自分はどのように振る舞っていた?
(意見あるけど、黙っていた。つい傍観者になってた。気持ちわかりますと言いながらつい自分の話をしちゃう。それが悪いじゃなくて、どう振舞っていたかパターンを知ること)
③ 満たされたニーズは?
④ 十分に満たされなかったニーズはなんですか?
(自分としてはこの場にもうちょっとこういうのがあったらよかったなぁ、とか。)
⑤ もう一度やるとしたら、自分は意識して何を大切にしたいか?
こうして振り返ることができるかが大事。
この実践者になってってほしい。対話について引いて見れるようになること。
見えない対立、言わない対立、そこを越えてお互いを理解し合う、共感し合うというところにいけるかどうか、そこにはものすごい大きな壁がある。
だけれども、私たちが「共感ができる、対立を超えた共感の世界」を一度でも体験すると、その先に希望を感じられる。
みんな対立は怖い、避けようとするけれども、対立を恐れずもっと自分を出していける自分であることから始まる。
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前半はここまで。
わたしは昔から平和主義で、争いが怖くて、対立や言い合いが怖くて、とにかく「もういいじゃん。。」「もうやめようよ。。」って、①に持っていこう持っていこうと小さい頃から生きてきた。
でも、NVCの場でも②が起きることもあり、その度にビビったりドキドキしながらも、そこを越えた③も④も体感したこともある。③と④は体験すると鳥肌が立つ。
こんな風に一人一人が対話できたら、いろんな悲しい出来事や事件がいろんなことが紐解かれていくんじゃないかって、いつも感じている。
では、今日はここまで。
みなさんハートフルな一日を♡
また明日ココで♡
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