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「やらない」理由をすぐ用意しないこと(自戒)
息子はもうすぐ2歳です。
これからきっと保育園や幼稚園、小学校と、どんどん階段を駆けのぼる息子。
その将来について、最近よく夫と話をする。
息子はどうしたいのか、息子にどうなってほしいか、私たちは何をして、何をしないのか。
私たちの想いから、経済的なことから、学びのこと。
今は幼いゆえそういったことには何の主張もない息子。
もう少し大きくなったらきっと考えができていくのだろうけど、今は私たちが考える番。
本当に目の前には選択肢がたくさんで、とっても難しい。
そのたくさんの選択肢を、どう捉えるべきか。
大事な息子のことだからこそ、すぐセーフティーな道を選びがちな私たち。
もう大人になった私には、フラットであることがとても難しい。
私たちは、「やらない理由」を探し出すのが、あまりにうまくなりすぎた気がするのです。
少しネットを探せば、「あえて私は○○をしない」というまとめやフレーズがすぐ出てくる。
けどそれは、その人たちの答え合わせを見ているだけなことを理解しないといけないなあと。
経験したうえで「しない」選択肢を選んだのだと。その前に「やってみる」を選択していること。
最近は、自分の経験ではないことを声高に主張する人も多いけれど、そこに影響を受けてはいけないこと。
ネットニュースのコメントやSNSに、「だから○○しなかったんですよ。正解ですね。」だとかあったり。
簡単に「私はしないエピソード」に触れられるけれど、それを精査できるアンテナはもつこと。
インターネットの世界には何でもあって、自分と同じことを思っている人がほかにもいることに安心感を感じたり、
まとめになっているほどそれがスタンダードに思えてくる。
そうか、じゃあそれはしなくてもいいのかもなんて、言い訳の材料を即座に用意できる。
けれどやっぱり、やらない理由は私たちの中にしかないのだなあと。
やってみて、経験して、そのうえで「やらない理由」としなきゃいけない。
もちろんやっちゃダメなことは論外だけど。
それ以外はできるだけ一旦やってみるって、すごく大事だなと思ったのです。
息子がそこから何かを見つけてくれてもくれなくても、きっと種をまくことは大事だと信じるしかないと、自分を戒めてみる。
ちゃんとお母さんできているのかわかりませんが、
何もないまっさらな人間を育てる責任を、改めてひしひしと感じる今日この頃です。
コロナになってから、ウイルスのこと、経済のこと、政治のこと、いろいろ考えるきっかけが増えて。
本当にいち、一人の人として、一人の親として、いろいろな意見に出会って、いろいろな考え方を知ったなあ。
その中でぼんやりとしていたことをことばにしてみました。
noteの使い方、多種多様で楽しいですね。