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となりにむけて といかける
『詩はあなたの隣にいる』 井坂洋子 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,500文字
私は詩と思われるものを書いているけれど、これまで関連する本を読んで学ぶまでには至らなかった。
それでも書いているのは、本書のあとがきで著者が書いた体験と同じだ。
ある一篇の詩と出会い、好きになることが、ことばのゲイジュツとしての詩と仲良くなる最初の一歩だ。その次に好きな詩人ができればしめたもので、詩というものがぐっと身近に迫ってくる。
私も十代のころに牟札慶子と富岡多恵子の詩に出会い、みようみまねで書きだしたのが始まりだった。
私の場合は珍しくもないと思うのだけれど、金子みすゞの詩を知ってから興味が湧いた。
本書にも金子みすゞが取り上げられており、童謡として綴られているためか、触れるたび、あるいは日によって好きな詞が変わると、作者は書いている。
それが童謡という形式の為せるわざだろうかと推測し、ことばだけで自立していてもなお、満たされぬ欠落した部分を作品の内奥に抱えていて、それがこちらを飽きさせないのではと結ぶ。
私も引用された「大漁」を読んで、知っているはずなのに心が動かされる感じがして、それを的確に言語化してくれた。
意識して詩を書く前には歌詞のようなものを形にしていたから、くり返し声にすることを考える習慣は、童謡の形を取った詩にハマるのも自然な成り行きだったのかもしれない。
◇
本書は和洋ふくめた多くの詩人による作を引用しているけれど、俳句や短歌についての言及もあった。
俳句も、短歌も、ことばがイメージを形づくるというふうに働くことが多い。つまりことばがイメージに奉仕している。
また、言葉についての考察には大いに同意する。
ことばとは不思議なものだ。同じことを言うにしても、人に通じやすく、ありきたりな言い方にしてしまうと途端につまらなくなる。
趣味で小説を書いていると、〇〇が××をする、という主語と動詞のみで作られた、もっとも基本の文章にすら頭を悩まされる。
言葉には文字の他にも形やイメージなどが付いてくるので、それらを無視して思いつくまま並べても、上手い表現になることは少ない。
言葉を吟味するのは詩や俳句、短歌などに通じるため、それまでの苦労が報われたような気になった。
先日、記事にした詩人の文月悠光さんについても取り上げており、詩の書き手において、持ち合わせることばの数が多いことは有利だと述べている。
ちなみに先の引用部にある、「かわひらこ」とは蝶の古名だそうな。
◇
本書はエッセイを交えながら詩についての理解を深めつつ、「言葉とは何か?」と考えさせる。
こうして文章を書くにあたって当然のように「言葉」を用いているけれど、それは説明のための道具としてであり、感情の表現については優先していない。
詩を書くときにおいても道具としての側面があるとはいえ、まだ言葉にできていない何かを導く、呼び水のようなものとして機能しているというか。
ただ、読み終えても詩が何かについては定まらなかった。
引用された詩は多様な形をしており、すぐに内容がわかるものもあれば、そうでないものもある。
写実的な表現によってイメージが容易なもの、反対に抽象さで読者をまどわすもの、その両方が組み合わされたものなど、じつに様々だ。
そうした自らの表現を突き詰められる自由さが詩の面白さであり、本書の始めに記された次の一文が答えで、同時に問いかけでもあるのだろう。
詩の定義は詩人の数だけある。
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