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永遠の夜の中で
『夜行』 森見登美彦 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,500文字
・あらすじ
とある英会話スクールに縁のある5人がいた。
彼らは京都で行われる「鞍馬の火祭」を見物するべく、10年ぶりに集まろうという話になった。
そのうちの1人である大橋は、一緒に火祭を見物していて10年前に失踪した女性、長谷川らしき人影を見る。
大橋が後を追って入った画廊では、岸田道生による銅版画の連作、「夜行」が展示されていた。
これは過去に火祭を見物した6人と「夜行」とが作り出す、終わりのない夜の物語だ。
・レビュー
6人の不可解な人間たち
本作は主人公となる大橋が、10年ぶりに集まった中井、武田、藤村、田辺の4人から順に話を聞いていくという流れで進みます。
彼らの話は連作「夜行」の尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡と題された作品と、それぞれ不思議な関連があります。
話を聞き終えた大橋は、次のように振り返るのです。
中井さんが尾道のビジネスホテルで岸田道生の絵を見たという話をきっかけに、それぞれが旅の思い出を語ったのだった。尾道、奥飛騨、津軽、天竜峡。それらはとくに何ということもない平凡な旅の思い出だった。ただし、岸田道生の銅版画「夜行」にまつわる旅だった、という奇妙な共通項をのぞくなら。
彼は「夜行」という共通項をのぞいて、4人の話を「平凡な旅の思い出」としています。
しかし先の頁まで読み進めた読者であれば、大橋の感想こそが奇妙だと感じるはずです。
そもそも一緒に火祭を見物していた長谷川が、10年前に失踪したところから異常は始まっており、「夜行」の落とす影がそれを色濃いものにしています。
「夜行」と「曙光」
本作の鍵となる銅版画の連作「夜行」には、対となる連作「曙光」が存在すると噂されています。
とくに岸田道生と生前に親交のあった田辺は、アトリエを兼ねた岸田の自宅を何度も訪ねており、6人の中で一番作品の近くにいた人物です。
そんな彼ですら「曙光」を見たことがなく、次のように回想します。
岸田がその作品について話すのを聞いたことはあった。「曙光」は「夜行」と対をなす連作らしかった。「夜行」が永遠の夜を描いた作品であるとすれば、「曙光」はただ一度きりの朝を描いた作品だ──岸田はそんなことを語った。しかし画廊主の柳さんでさえ見せてもらったことはないという。おそらくそれは岸田の想像の中にあるだけだった、と俺は考えていた。
まるで都市伝説のように語られる「曙光」は、存在が不確かだからこそ光を放ち、10年前に失踪した長谷川ですら、他の5人が集まる拠り所となりました。
やがて6人が作る影は1つの場所に浮かび上がります。それこそが「鞍馬の火祭」でした。
光あるところに闇がある?
私たちが何かを見るためには、物体から反射してくる光が必要です。
つまり光源となるものがなければ常に世界は闇であって、光の満ちる日中こそが異常事態なのです。
4人の話を聞いた大橋が奇妙な感想を持つのも、おそらく彼にとってそれが「普通」ということなのでしょう。
2つが対をなす構図は「夜行」と「曙光」においても同じで、併存するのではなく鏡合わせだからこそ、それらは存在することができるのです。
完全には交わることがないはずの世界は、「鞍馬の火祭」によって境界が曖昧になることで、希望あるいは絶望を生みだします。
はたして大橋は、どちらを得ることができるのか?
あなたは1つしか選べないのかと、悲観したくなるかもしれません。
けれども光と闇は対となる存在です。
試しに両目を閉じてみてください。
そこには必ず、闇があるはずですから。
こちら↓の読書感想文から本作に興味を持ちました。もしよければ合わせてどうぞ。
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