それは壺か? あるいは人か?
『ルビンの壺が割れた』 宿野かほる 読了レビューです。
ネタバレ:一部あり 文字数:約1,300文字
・あらすじ
結城未帆子様
突然のメッセージで驚かれたことと思います。失礼をお許しください。
そんな書き出しで水谷一馬とのメッセージのやり取りが始まった。
最初から最後まで2人は対面することなく、webの中だけで完結する。
その理由がわかったとき、あなたが見ている現実さえも割れてしまうかもしれない──。
・レビュー
ネタバレ厳禁
版元に掲載された書影にも「ネタバレ厳禁」とあり、そのとおりだと自信を持って言えます。
串カツはソースの二度漬けが禁止されていますけれど、むしろ本作は揚げたままを食べろということらしく。
それなのにレビューを書くか、正直に言って迷いました。
書店などで偶然に見かけ、手に取って読むか判断するのが正しいと考えたからです。
単行本のサイズがおよそ縦20の横14センチで、表紙をふくめて約160ページだという情報ならネタバレしていませんが、そんなものが面白いはずもなく。
そういえば前に書店で、表紙を隠した本が売られていました。
書店員の方が書いたと思われる手書きの紹介文が添えられ、前情報なしで読んで欲しいとのことでしたけれど、あまり私には響きませんでした。
ルビンの壺とは?
いわゆる「だまし絵」などと呼ばれるもので、1つの絵が白地と黒地のどちらを中心とするかで、まったく別のものに見えます。
本作のタイトルは壺を主題としているかに思えますが、表紙の黒地に注目すると向き合う2人が見えるのではないでしょうか。
その2人とはメッセージのやり取りをする未帆子と一馬であり、壺の上部が割れた表紙は、あたかもwebによって連絡がついた状況を表しているようにも捉えられます。
最後まで未帆子と一馬は対面することがなく、2人の間で交わされるメッセージのみで物語が描かれます。
こうして「何かを書く」という行為は、同時に「何かを書かない」ことでもあり、光と影の作る文字でのだまし絵と呼ぶべきもの。それが本作です。
そもそも2人は何者か?
始めにメッセージを送ったのは一馬の側で、偶然にも未帆子のフェイスブックを見かけたらしく。
疎遠になってしまった過去の同級生と、フェイスブックなどのSNSを介して再会するという話は聞いたことがあります。
SNSに何かを書いたり写真を掲載するのは、大なり小なり個人情報を提示するのと同じです。
例えば「今はアウトドアが趣味だけど、昔はインドアだった」と書くだけで、現在と過去から個人へと行き当たる手がかりが生まれます。
「〇〇に行った」を集めれば未来の行動を推測するのに役立ちますし、「××を買った」は趣味嗜好だけでなく、個人の資産状況を暗に示します。
そうしたSNSがもつ負の側面、言い換えるなら影の代役として本作の2人は描かれているように思います。
残念なことに現実では、しばしば意識的あるいは無意識に、光と影の両方を人間は演じてしまうのですが。