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病気という贈り物を得て生きる
『さよならタマちゃん』 武田 一義 読了レビューです。
ネタバレ:あり 文字数:約2,400文字
・あらすじ
武田 一義 35歳 職業:マンガ家のアシスタント
将来はマンガ家になりたいと願いながら、気づけば35歳になっていた彼を癌が襲う。
この物語は1人のガン患者となった作者の闘病と絶望、そして再生の記録だ。
・レビュー
こんにちはタマちゃん
ほのぼのとした絵柄と題名に惹かれ、さしたる警戒心もなく本書を手に取りました。
そしてすぐに悟ります。
ガン治療の壮絶さと同じ患者たちとの出会いと別れが、この絵柄だからこそ読み進められるのだと。
もしも同じ内容が写実的な絵柄によって提示されたら、きっと多くの人が正視することができず、ページを閉じてしまうことでしょう。
本作は体験談を元にしたエッセイマンガに分類されますが、作中の人物は表紙と同じようでありながら、病室の間取りなどの背景は緻密に描かれており、その対比も読み進めやすさに貢献しています。
『さよならタマちゃん』という題名も手術と治療により無精子症になることを表しており、これは患者だったからこそのブラックユーモアといえます。
死なないために死にそうな治療を受ける
ガンになったら問題のある臓器や部位を切除したり、抗がん剤による治療をすることは、健康な人でも何となく知っているのではないでしょうか。
作者のガンは精巣腫瘍で、肺への転移が認められたために切除から抗がん剤治療へと移りました。
これが非常に大変らしく、味覚異常で食事もままならないのに吐き気が強く、過敏になった嗅覚がそれを助長します。やがて肉体と精神の疲労から、「治療うつ」と呼ばれる状態になってしまいます。
しんどいときに人の話し声が騒音に聞こえたりしますが、作者のいる大部屋で完全に音を消すことはできず、かといって逃げることもできなくて苦しみ続けます。
ある日、そのストレスをお見舞いに来てくれていたパートナー、早苗にぶつけてしまいます。
分かってるよ早苗だって大変なのは…
え!?
ため息つかないでよ……
た ため息なんてついてないよ
ウソつけっ
こんなにきついのに なんでとなりでため息聞かされなきゃならないんだ‼
そんなことするなら見舞いになんか来んなっ‼
な 何? どーしたの? 突然…
来んなっ 来んなっ もう来んなっ‼
ひどい言葉をぶつけてしまったと後悔し、変わらず後日お見舞いに来てくれたパートナーに謝り、胸の内にある弱音を吐き出します。
俺… き きつくて… なにも… かにも… きつい きついよおぉ
完治を目指して副作用の強い治療を選んだとはいえ、何日も責め苦が続けば始めの覚悟も弱っていくものです。
どうにか死なないための死にそうな治療を耐え抜き、回復に向かう作者をさらなる試練が襲います。
副作用の発症
抗がん剤治療による副作用が弱くなり、病室での絵描きを再開しようとした作者は異常に気づきます。
な なんだ!?
指がうまく動ないぞっ
手袋してるみたいに感覚が鈍い
力も入らないし
そーいやなんだか──
手足がしびれてる?
担当医師に相談すると、しばしの間を置いてから次のような言葉を返されます。
『末梢神経障害』
手足に痛み しびれ 感覚の鈍麻を起こす
永続性の強い副作用です
作者の職業はマンガ家のアシスタントで、それは細かな指先の動きが欠かせません。
繊細な演奏をするピアニストのように、作者の指は様々なものを生み出してきましたが、抗がん剤治療は命の代わりに命の次に大事なものを奪っていきました。
しかし作者は諦めず、ペンの持ち方や休憩を多く取るなどして、描くことを続けようと心に決めるのです。
命の代わりに失くしたものは たいして重要なものじゃない
僕は生きてる 何度でも どこからでも やり直せる
出会いと別れ
患者は作者1人だけではないので、病室では新たな患者の入院や退院その他があり、副作用で苦しむ作者を励ましたり、逆に話し声で作者を苦しめたりします。
その中には1年に渡って治療を続けている、桜木さんという患者がいます。
他の患者に声をかけ、暗くなりがちな病棟を明るくしていた彼は、病気になってからこんなに娘と話すのは初めてだと作者に打ち明け、次のように続けます。
「なぁ武田さん」
「考えようによっちゃーよ」
「病気も贈り物だよな」
その言葉を裏づけるように、作者は本作でマンガ家としてデビューを果たし、続く太平洋戦争を題材にした『ペリリュー 楽園のゲルニカ』では日本漫画家協会賞、優秀賞に輝きました。
生きてる限りやり直せる
人によって短いか長いかの違いはあれど、いつか人生は終わります。
長く生きれば多くの出会いと別れを経験し、精神は強く、しなやかなものになるでしょう。
けれど肉体は年齢と共に衰えて様々な病気を患い、多くの人が生まれ落ちた場所へと戻るように、病院で死を迎えます。
たかだか数十年の余命が伸びたところで結果は同じなのですが、その間に何かが起こる可能性があります。
作者の場合は悲願としていたマンガ家デビューでしたけれど、私たちもまた病気という贈り物を得て人生を見つめ直し、社会に大きな足跡を残すかもしれません。
すべては未来の話ですから、たいしたことのない人生を終える場合もあるでしょう。
それでも本書は生きること、生き続けることの大切さを教えてくれます。
「あのとき死ななくてよかった」
いつかそのように思いたいと願いながら、心やすらかに眠ることが私の夢です。
下記は作者と同じように、若くしてガンを患った方の記録です。もし興味があれば目を通してみては如何でしょう。
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