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「福祉はダサい」からの就職スタート
「福祉施設というコミュニティで働く人は、ダサいけど、仕方ないから施設で働くしかないかも」
そんな思いで、就活を始めた。
当時、香川県の福祉の大学に通いながら、障害者スポーツの指導者の資格を取得したので、卒業後はその道に進もうと思っていた。
もちろん、福祉は好きだった。障害者スポーツの他にも在学中に、視覚障害者の方としまなみ海道をウォーキングしたり、障害児とのデイキャンプや電動車椅子サッカーのボランティアにも参加したりと、色んな福祉をとことんやり込み、自分自身の価値観をドンドン変えていった。
でも、働くことを考えると、施設というブランドイメージが良くなかった。というよりも、働く人の印象が良くなかった。
「施設職員は変化をしない人たち」と無意識にラベリングをしていたのだ。当時の僕の価値観は「変化しないのが嫌い」だった。
でも、我慢して施設で経験を積み、切りのよいところで、障害者スポーツの道へ行こうと考えていた。
なんだかんだで、岡山県の知的障害者の入所施設へ入社した。入社1年目、当時の僕は、超がつくほど口が悪かった。その矛先は職場で働く人たちである。
「みんな頭悪い」「みんな仕事辞めて欲しい」
「僕が5人いれば、現場はまわるし、利用者もそっちの方が良いに違いない」など。仕事終わりの愚痴や悪口は、ほぼ毎日だった。
そんな僕を指導していた当時の上司は、
「お前、同じ職場で働く人たちの悪口言って、何か利用者の為になってるのか?お前の仕事はなんか、よく考えてみろ。なんの為にカネもらってんだ」とよく言っていたが、我関せず、なおも愚痴と悪口を繰り返した。
そんな1年目の夏。
先程の上司がご飯に誘ってくれた。
近所で美味しいと評判のカレー専門店。
窓際の席に座り、恋愛の話などしただろうか。
間も無く僕が頼んだ季節の野菜カレーが運ばれてきた。
さぁ食うぞと目をやると、ん?なんか違和感。
本来入っているべき季節の野菜のうち、根菜が入ってなかったのだ。
すぐに店員さんに声をかけ、上記の内容を説明。謝罪をしながら正しいものを提供してくれた。
そして会計へ。僕は、店の不手際でサービスを提供してしまい、客に損失を与えそうになったわけなんだから、値引きして当然だと思ってた。
しかし店員さんは謝罪のみで、値引きはしてくれなかった。
ムカついた僕をよそに隣にいた上司は、
「こいつ福岡から出てきたばかりで、美味しいカレー屋を紹介してと言われ、ここに連れてきたんです。すごく喜んでくれました。ご馳走さまです」と。
意味が分からなかった。
店を出た上司は、僕にこう説明を加えた。
「いいか、たとえ違ったメニューが来てもこれを叱責せず、そのなかで、どういったいい価値を自分が感じたのか伝えることこそ、サービスを提供している人間の振る舞いだ。
お前はサービスを提供する人間だ。仕事場だけでなく、普段からそう振る舞え。」と。
雷に打たれた。
福祉の仕事をサービス業として捉えてたことはなかった。
単に金もらって、やってあげるお世話だけの仕事としか捉えてなかった。
僕は、できていないことに着目する大人になっていた。ボランティア気分が抜けきれなかった僕は、確実にダサいスタッフだった。
福祉はヒューマンサービスである。
人を通じて、生き方や生活を支え、幸せを創出するライフデザインクリエイターは、見えている価値だけを見て、判断すると、足をすくわれる。
人の見方を変え、モノの見方を変え、障害のある方たちの可能性の範囲を広げていくのが、福祉の本質なのである。
その後、僕は、障害者スポーツを始め、知的障害者の性教育の研究、採用、広報、組織マネジメント、社内評価制度の構築など、様々なプロジェクトに参画した。
今日も、福祉でワクワクする人を作るために、現場でオモシロイを探している。