あなたへ
日常を無為に生きていることに気付かされる。
生きてきたことに気付かされた、というべきだろうか。
私が無為に生きているこの日常をあなたは諦めてしまった。同じ無為でも、あなたが居るのと居ないのでは大きく変わってしまっていて、実際に会うことすら叶わなかったこの人生は更なる無為に突き進む。
かさぶたのように剥がしては固まり剥がしては固まる、そんな心をなんとか保ちながら、生きているとは恥ずかしくて言えない怠惰を片手にただ過ごしている。
あなたは私を導いた。その意思が無くても、私は導かれてしまった。井の中の蛙であればどれほどに楽だったのか。空を眺めて生きているだけで良かったのに、あなたは井戸釣瓶に浸かっていた私を引き揚げてしまった。空だけを知っていれば良かったのに、あなたは大地の広さを私に教えてしまった。
恨んでいる訳では無く、むしろそのことによって私の世界には色がついた。グレーな景色に、単一色の空しか見えていなかった私の視界は広がりを見せて、そしてその他の色が私に突きつけられた。
赤、橙、黄、緑、青、藍、紫の違いを認識できるようになってしまった。そのことに私は喜んだ。踵を上げて立たなくても外が伺えるようになった。
あなたがまず、電子の世界から旅立ったこと。それを思い出す。忘我の淵で薄く彩られていたあなたの色が途端に消えたことを思い出す。
憧れ。あなたにはその気持ちを抱いていた。あなたのようになれないことは分かっていたけれど、あなたの様になりたかった。人気者で、それを鼻にかけず、自由気ままに現実と電子の海を行き来するあなたに憧れた。
あなたを名乗る。姿形は違えども、それでもあなたを名乗ることで私はいくらでも耐え忍ぶことができる。後ろに私を隠して、あなたになることができた。
ただ、もうあなたを名乗ることは私はしない、
少しでもあなたを忘れないように、私はあなたをモデルにした小説を書いた。『瞼の裏』という小説を書いた。あなたの存在を世界に繋ぎとめておきたかったから、あなたと私についてを書いた。あなたを想いながら書いた。
逃げるようにあなたを書いた。何から逃げたかったのかは分からない。喪失からの逃避だったのかもしれない。
昨日、つけようと思っていたリップがやっと見つかった。あなたに会いに行くときにつけようと思っていたあのリップだ。
だから、私はあなたについて書きたくなった。久々にあなたを想って書きたくなった。
実際に会うことが叶わなかったあなたは、美しさが滲み出ていた。ツイッターというコンテンツの中でも際立っていた。多少なりとも暴力的で粗雑だったあなたは、その右手で私を井戸から引き上げた。強引に、慣性で外に飛び出してしまいそうになるほど力強く。
多種多様な色を知って昔の私はさぞかし驚いたのだろう。もっとたくさんの色を知りたくなってあなたに憧れたのだ。
だから、その多種多様な色を表現したくて私は文章を書いている。書き続けていきたいと考えている。強くて美しい女性はあなたがモデルになっている。その人たちの何処かにあなたは潜んでいるし、それは決して強さや美しさだけではない。
現実では会うことすらできなかったあなたを、想像する。想像して創造する。
井戸の中から見上げる空。その空が広がる世界を知ってしまったから、私は創り上げた世界であなたを生かし続ける。
無為に過ごすことをやめようと思う。
ばいばい、またね。
『瞼の裏』