40半ばにして、子供の頃から長年思い焦がれていた金髪にした話
今回は、40半ばの中年女性(ワタクシ)が初めて金髪にチャレンジした話です。
遅すぎる反抗期?
いえいえ、ずっとずっと憧れていたんです。
どうして自分は金髪じゃないのか疑問だった
あれは何歳の頃だっただろうか。
唐突に、どうして私は金髪じゃないの?!と疑問を持った。
親が観ているハリウッド映画の地上波放送に興味を持ち始め、隣でちょこんと座って少し観るようになった頃。
私の当時の生活圏内にはブロンドの人間なんていなかった。テレビの画面を通してそんな色の髪を持つ人間がいるんだと知った。
ハーフのお友達も何人かいたが、その子たちもその親もブロンドの髪の持ち主ではなかった。
一応、日本人は金髪じゃないということは当時から充分に理解していた。それに加えて、自分の両親は日本人で、その子供である自分も日本人だということも。
それなのにある日突然、おかしい!!私は金髪のはず!!と強く思ったのだ。
それからというもの、必死で自分の髪を掻き分け、どこかに金髪が紛れているはずだ!と毎日のように探しだした。そして、たまに金色に輝く髪の毛1本を見つけ出してはホッと安心していた。
何故、当時私の髪の中に金髪が紛れ込んでいたのかは分からない。まだ未成熟な子供だったし、元から色素は薄い方なのでその影響なのか。
たまに見つけ出す金色の髪の毛を陽の光にあててうっとりと眺めながら、私は完全な日本人ではないはずという思想になっていった。
一時は確信とも言えるほどのものに膨れ上がっていたのだが、ウチの両親をマジマジと観察してみても外国人という要素は欠片も見当たらない。髪の毛も真っ黒だ。
ならば、と、養女として育てられたと聞く祖母に可能性があるのではと考えた。
ちなみに、祖母の容姿も日本人。でも、たまに黒髪の中に金髪が混ざっているのを目にすることがあった。
養女で本当の両親の情報は詳細不明ということと無理やり掛け合わせ、そこに賭けたのだ。祖母に外国人の血が流れているかも!と。
そして、夏休みに遠方の祖母のもとで過ごした時、思い切って祖母本人に尋ねてみた。
「ねぇ、ばーちゃんって本当に日本人?ハーフとかじゃない?」
祖母からの回答は、当然、大爆笑とともに私の期待を吹き飛ばすものだった。
抱き続けていた憧れ
それからは、自分にブロンドの血が流れていることは諦めたものの、金髪に憧れを持ち続けていた。
しかしその夢を叶えることはなかった。
高校までは校則でNG、大学ではバイト先でNG、就活&就職先はもちろんNG。
なぜこの国は、自由に髪の色を楽しむことをNGとするのだろう?
風紀を乱すって、一体何なんだろう?
そんな疑問を持ちながらも、優等生気質だった私は、とはいえそういうものだと割り切って従って生きてきた。
金髪に憧れを抱いていることも日常の忙しさですっかり忘れ去られ、40代も半ばとなった頃、いきなり退職してみた。もう誰かに雇われて働くつもりはない。
退職の意思を上司に告げた日、友人からこう聞かれた。
「退職したら、まず、何したい?」
その時私は、即答で「金髪にする」と答えていた。
すっかり忘れていたので、自分の口からその言葉が出てきて驚いた。驚いたけど、あ~、やっと金髪にできるんだ~と胸が高鳴った。
実際に金髪にしてみた結果
いざ美容院で「金髪にして」とオーダーしたら、美容師さんにたいそう驚かれた。そんなことをする人間に見えなかったらしい。私のことを保守的な人、冒険しない人と思っていたよう。まあ、それも仕方ない。
鏡に映る仕上がった金髪の自分を見て、ものの数秒で見慣れた。違和感がまるでない。
長年思い焦がれてきたため自分の中でイメージが浸透していたのだろうか。
自分じゃない感覚など微塵も生まれなかった。
肌のトーンが2ランクくらい上がった。髪の色でこんなに変わるんだな。
念願かなってウキウキなのだが、私はどうして幼い頃からこんなにも金髪というものに憧れを持っていたのだろうか?
金髪だった過去生の記憶だろうか?
幼い頃から”今の自分”から抜け出したかったのだろうか?
どちらの可能性もあるな、というのが自分の中での結論。
金髪効果としてひとつ言えるのが、金髪にして私は自由を味わえたということ。
なりたい自分になっていい、自分のやりたいことをしてもいい、という自由。
そしてそれは、何歳になってもチャレンジしていいという自分への許可だった。
にしても、ブリーチの頭皮への刺激・負担が大きそうなのでいつまで続けるかは要検討ではあるな…。