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自分と、相手と向き合うことで人生という物語はガラッと変わる|『人魚が逃げた』

普段小説はあまり読まないが、唯一新刊が出るたびに買っている作家さんがいる。それは青山美智子さんだ。

登場人物が知らず知らずのうちに影響を与えていて、みんながいい方向に進んでいく優しいストーリーが大好きだ。

その一方で、物語が進むにつれて「あの時のあの場面がまさかここに繋がるとは!」と想像を超える伏線回収もあり、緩急のある展開に読み終わった後はいつも大きな充実感に包まれる。

そして、登場人物が何気なく発するセリフには人生の大切なエッセンスが詰め込まれていて、毎回勇気をいただいている。

何気ない日常だけど、どこか非日常感もある。青山先生の小説にはいろんな相反するものが感じられて、いつも惹き込まれる。

昨年の同じ時期に楽しんだ『リカバリー・カバヒコ』から約1年。青山先生の新刊『人魚が逃げた』が発売されたので、早速購入した。
(時の流れの早さに驚いた……!)


ある3月の週末、SNS上で「人魚が逃げた」という言葉がトレンド入りした。どうやら「王子」と名乗る謎の青年が銀座の街をさまよい歩き、「僕の人魚が、いなくなってしまって……逃げたんだ。この場所に」と語っているらしい。彼の不可解な言動に、人々はだんだん興味を持ち始め――。

 そしてその「人魚騒動」の裏では、5人の男女が「人生の節目」を迎えていた。12歳年上の女性と交際中の元タレントの会社員、娘と買い物中の主婦、絵の蒐集にのめり込みすぎるあまり妻に離婚されたコレクター、文学賞の選考結果を待つ作家、高級クラブでママとして働くホステス。

 銀座を訪れた5人を待ち受ける意外な運命とは。そして「王子」は人魚と再会できるのか。そもそも人魚はいるのか、いないのか……。

『人魚が逃げた』あらすじ/PHP研究所HPより抜粋


アンデルセンの童話『人魚姫』を軸に、5人の男女が銀座の歩行者天国で「王子」と出逢い、変わっていく姿を描いた物語だ。

***

5人の男女はそれぞれ自分や現状を悲観して、毎日を過ごしていた。

相手とは釣り合わない。私には秀でたものがない。自分よりもいい人がいるのではないか。あの時ああしていればよかった。

自己否定、過去の後悔、未来の不安。それぞれが悲劇の物語の中にいるようだった。

ただ、別の視点で見ると相手は真逆のことを思っていたり、その人はその人で違う悩みを持っていたりする。


相手がどう思っているかを勝手に解釈したり、決めつけたりするのではなく、相手と向き合うことが大切だと感じた。

自分はこう思っている、不安だった、自信がなかった。ありのまま伝えることで、自分の悲劇は一気に喜劇に変わる。

そして相手だけではなくて、これは自分自身にも当てはまる。自分はダメだ。何にもない。他の人と比べてできていない。

自分を悲観するのではなく、本当にそうなのか?と問いかける。
自分で認められないのであれば、人からの褒め言葉を素直に受け取る。

悲観する癖を手放し、相手と向き合うことで自分の歩む物語は変わっていくんだと登場人物から学んだ。

***


物語の中に「舞台がよく見えるのは観客側だ」という一説があった。

確かに、読者として『人魚が逃げた』を俯瞰して読んでいるからこそ、悩み葛藤する登場人物に「そんなに悩まなくていいよ〜!」「違うよ!むしろ逆だよ!」とツッコミを入れていた。


自分がフォーカスしていることが良くも悪くも人生に投影されるんだ。これは小説の中だけの話ではない。私もキャリアに対して自信を無くしていて、悲劇のヒロインになっていると痛感した……。


読み終わった後に「私はどんな物語の世界を信じたい?」と問いかけた。

私は自分らしさを活かして自分も大切な人も笑顔で幸せな物語を生きる。
人のお役に立つことで心が温かくなる喜びを味わう。
胸の振動がじーんと広がって、相手と共鳴する充足感を感じる。


世界は物語(フィクション)でできている。

『人魚が逃げた』の帯ラベル

エピローグで「王子」の正体を知った時に、何気ない日常の中にも物語のような奇跡は存在しているのかもしれない!と胸が躍った。

自分がどこに目を向けて、どんな物語を信じるか次第なのだ。空想の世界が自分のすぐ隣で起こっているかもしれない。自分の捉え方が一変するような素敵な出逢いがあるかもしれない。

人生に対して感じていたモヤモヤや不安がスッと軽くなった。自分も相手も信じる大切さを教えてくれた青山さんに感謝します。

さて、人生という物語を私はどう生きていこうかな^^

2024.11.23      Rina

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