「おすそわけ」をしてみたら
ちょっとだけ笑顔が生まれて、なんだかとっても良い気持ち。
ニョッキッキ
昔「わらしべ長者」の絵本を読んだ。藁が大金に変化していく様は、自分にとってはただの御伽話でしかなかった。
都内のマンションに住んでいたとき、細田守監督の「おおかみこどもの雨と雪」を観た。自分たちの食い扶持より多くジャガイモを育てる理由も、そのときはどこか他人事だった。
そんな私が、千葉の実家に住むようになってから今日初めて、お隣さんにタケノコの「おすそわけ」をした。
ちなみに小さい頃から毎年掘りに行っていたけど、未だに「筍」と「竹の子」の違いも知らない。調べたら「芽が出てからの日数の違い説」が出てきた。
ふーん。なるほどね。じゃあ今日の話は「筍」だ。
アク抜きはしてあるんで
都内に住んでいるときは、全く気にもしていなかった「お隣さん」。壁越しの生活音で、「いる」ということだけを認知する、そんな存在。(変態?)
それが、筍を掘り終わったあと、ごく自然に自分で「お隣のT田さんとT賀さんにもあげよう」と思い立ったのだった。
筍のアク抜きをしながら、この変化と、そもそもの「おすそ分けをする理由」を考えてみた。
T田さんもT賀さんも顔を見たら挨拶する程度で、私個人は正直そんなに仲が良いとは言えない。両者ともに「定年退職をして、余生を千葉の長閑な田舎で楽しむ人たち」ってくらいの印象、というか情報量。
お隣さんと良い関係を築きたいから?
たくさん収穫できて腐らせそうだから?
「筍掘り行ってきたんやで、どや」って言いたいから?
うーん、どれも違うんだよなあ。
答えが出ないまま、まずはT田さんの家へ行った。インターホンを押すとご夫婦で迎えてくれた。
「こんにちは。あの、これ、今日掘ってきたのでおすそ分けです」
「あら、たけのこ?嬉しいー!ありがとう!」
いきなり行ってモノを渡すなんて、多分営業マン時代に飲食店に飛び込み訪問でビラ配りしたとき以来じゃなかろうか。と奥さんの顔を見ながら関係ないことを思った。
「髪の毛の色、良いわね」
「あ、恐縮です」
受け答えの下手さについては、残念ながら営業マン時代の面影はどこにもないらしい。
そして次に、T賀さんのお宅へ。「こんにちはー」と声を掛けたら、畑の方から「だーれー?」とおばあちゃんがひょっこり顔を出した。
「これ、よかったらどうぞ。筍、今日の朝掘ったので。あといちおう、アク抜きはしてあるので」
「あれまあ、ありがとうございますー」
まじまじとジップロックに入った筍の水煮を見ながら、T賀さんが言う。
「あんたんとこの娘さんは、お父さんに似たんだかお母さんに似たんだか、みんな可愛らしいわねえ」
「あ、恐縮です」
気の利いた回答ができない自分に対して、バラエティで活躍するアイドルって本当すげえんだなあ、とまた関係ないことを思った。
お返し
しばらく部屋の中でパソコン仕事して、また畑の草刈りして、と色々作業していたら、夕方T田さんがやってきた。
「筍、ごちそうさま。お昼に食べてみたのよ、とっても美味しかった」
もう食べたのか。
「それでこれ、昨日焼いたやつなんだけど。よかったら食べて」
ビニール袋にはなんとドライフルーツのパウンドケーキ。売り物みたいに個包装になっている。しかもたくさん。嬉しい。
そしたら立て続けにT賀さんもやってきて、
「これうちで採れたカラシ菜。さっとゆがいてそのままでも美味しいよ」
と、どっさりした量を渡してくれた。嬉しい。
筍が、たっぷりのパウンドケーキと、たっぷりのカラシ菜になった。
両方、その日の夕食で食べてみた。うん、美味しいな。
季節と環境の共有
おすそわけをする理由は多分人それぞれだし、そのときによっても違うと思うけど、今回のは、単純に私、お隣さんの笑顔が見たかったからってだけかもしれないなあ。
シンプルに、季節モノの、旬の食材を一緒に楽しみたい。
「もうそんな時期なんだね」「美味しいね」
って言い合いたい。
それができるのも、許されている気がするのも、田舎特有の、のんびりした空気感と開けた土地をひっくるめた、この環境のおかげだったりする。
おすそわけをすることで、季節と環境を共有する。
ふーん、楽しいじゃん、田舎暮らし。