03:2024年ってか主に12月の振り返り 〜ご縁の多い一年でした〜
原宿のキャットストリートから優雅にこんにちは、灰崎凛音です。あ、ごめん、優雅って言ったけどテラス席(喫煙可)だから足が寒ぃわ。
さて、noteでは何やら画期的な新機能で一年を振り返ることができるらしいのですが、僕はよく分からないので手動で行います。特に今月、つか今日まで激動っぷりが幕末ばりだったので、写真も添えて、そして超重要ニュースもあるので、それについてもバッチリちゃっかり書いていきますね。
では目次!
●まずは激動の12月
いきなり申し訳ないんですけど、もうね、今月だけで一年分のボリュームあったんです、出来事的にもメンタル面でも。
でもまあ、順序立てて書きます。
◎いきなり風邪で一週間寝込むというタイムロス
いや、これ……マジ……キツかったッス……。多分地元の病院の定期検診でもらったと思うんですけど、内科が二軒隣になければ俺と相棒はどうなっていたか分かりません。
——相棒。
そうです。
俺、嫁に風邪うつした挙げ句、アイツの方が高熱出しやがった!!!
「一緒に生活してるんだからしょうがないよ」と奴は言いましたが、別々に寝たり自宅内でもマスクをして生活したりと細心の注意を払っていたにもかかわらず……遺憾の意(あと罪悪感)。
しかもですよ? 後述しますが僕には一刻も早く片付けたい「責務」があったのです。だのに丸々一週間寝込んでMacBookを開くことすらできなかったのは手痛かったです、マジで。
◎「治った!」と思って目覚めた日に岡山に飛ぶ羽目に
寝込んでから8日目の朝、僕は確信していました。
「治った! 一週間ぶりにシャワー入ろう!!」
しかし、俺が着替えていると実母から着信。
何事だ? 最近はLINEの文字のやりとりが主なのに、と思ったら。
「もしもし、凛? 姉ちゃん死んだんじゃけど私ひとりで岡山まで帰れへんけん、アンタついて来てぇな」
……マジで?
(※編集部注:灰崎はリアルに親に「凛」と呼ばれています)
これには了承しました。何故なら、僕は母方の実家が大好きだからです。
正確には、母の一番上の兄の所有する山の集落ですが。そもそもあの人(実母)は五人兄弟の末っ子なので僕は従兄弟がやたら多い上に叔父叔母も癖の強いのが勢揃いしてて、しかしそれを以てしても僕は母の生家がある集落が大好き・愛してる・なんならあの辺一帯買い取りたい、そういった熱情を抱いているのであります。
しかしながら、今回亡くなったのは、鳥取に住む母の唯一の姉で、宿は二番目の兄の家だと聞きました。母は、
「あの集落に上がる時間はない思うで。ええんか?」
と何度も念を押してきましたが、僕は相棒の体調だけ確認し、彼女も良いと言ってくれたので快諾しました。親族騒動で、岡山方面に何年も帰れてなかったからです。
(※編集部注:件の集落は標高が600とか700m地点なので、皆「行く」ではなく「上がる」と言います)
◎敵はJRにあり!!!
秒速で3泊4日の荷造りをし、一週間ぶりのシャワーをカラスも純白になる勢いで済ませて僕は母と東京駅で待ち合わせ、新幹線乗り場で驚愕しました。
喫煙所ねーじゃねえかぁぁぁあああ!!!
今回の帰省は親父が音速で新幹線のぞみの往復チケットを購入したとは聞いていました。そして、新幹線のぞみには喫煙できる席やブースがないことも知っていました。
「でもホームで吸いだめくらいはできんだろ、フヘヘ」
——僕が馬鹿でした。
結局僕は、「食後に吸いたくなるから晩メシはいらん!」と水分補給だけで岡山駅まで忍耐で乗り切り、さて、と思ったら県北の実家に行く電車の乗り換え時間が7分くらいしかなくて泣く泣く乗車、津山(B’zの稲葉さんの出身地)でなら吸えるだろうと思ったらそこもすっかり全禁煙になっとって、結局津山駅から更に一時間、一両しかないキュートな鈍行に揺られ、叔父(母の二番目の兄)宅の最寄り駅に到着したのは夜10時過ぎだったでしょうか、もはや自分が何時間喫煙していないのか計算するのも恐ろしいほどで、無人駅にて母が吸っていいと言ったのでひとくちだけ摂取したらヤニクラぱねぇ、死ねる、ニコチンらぶ(※「ヤニカス乙」というツッコミは現在受け付けておりません)。
●母親の計らいで「原点」に帰れたこと
お通夜の前夜に前乗りした僕と母ですが、親族の都合で、なんと僕の「原点」である場所、母の生家がある集落に上がる機会に恵まれました。
あえて説明や解説を付けませんでしたが、もう通じるでしょう、この大自然の美しさ。
僕はこの集落、とりわけこの川が幼い頃から大好きで、ひとりで帰省して川遊びをしていたこともあります。それくらい思い入れの深い場所なので「原点」なのです。
そして、最後の写真、「伏線」ですので皆さまよくよく眼に焼き付けておいてくださいまし。
●ただいま東京、こんにちは鵞足炎
叔母の見送りを滞りなく済ませ、僕は東京に戻りました。
しかし、岡山に向かっている間から左膝が強烈に痛んでいたのです。風邪で一週間歩けなかったので、「筋肉が落ちてしまったに違いない!」と考えた僕は、三日ほど一日平均4000−6000歩ほど歩きました。
……行きつけの図書館からの帰路、涙目になりました。
仕方なく整形外科行くと、「鵞足炎」という筋肉の炎症だと言われ、俺が急激に歩いた約三日がバッチリ裏目に出ていたことが発覚いたしました。ドクターはひとこと、
「安静にしてください」
と冷徹に告げました。
自宅で原稿書けってかぁぁぁああああ集中できねえから図書館やらカフェやらまでウォーキング兼ねて行っとるんじゃこちとらぁぁあああ!!!
——と胸中で小声で呟きましたが、僕は良い子なので、頑張って出かけないようにして、集中しにくい自宅のあらゆる場所で執筆に取り組みました。
「執筆? 原稿? 小説の?」
ええ、そうです。しかし、普段書くものではございません。
では何か?
それは次のチャプターで。
◎「おまえそれもうZINEとか小冊子じゃねえよ」
皆さん、「シェア型書店」ってご存知ですか? 新しいタイプの書店で、棚をオーナーが色んな人に貸し出すんですね。その人々は「棚主」と呼ばれます。
実は、今年の8月に、とある棚主さんから、
「アマチュア作家の本を置く棚を持っています。灰崎さんの作品が好きなので、小冊子を出しておいてみませんか?」
という何とも有り難いお声掛けをいただいていたのです。
しかし。
8月は体調がアレ、9月−11月はメンタル・フィジカル共にアレ、辛うじて11月末から本篇の執筆に着手しており、何を隠そう「風邪を引いて一週間のタイムロス」と書いたのも、この本のための時間を削られたのが痛手だったという意味でした。
で。
メインの作品となる「ヤミかわいいだろ?」という21000字超えの作品の初稿を二段組みにして、あ、今回僕はDTP(ざっくり言うとレイアウトとか)もMacBookでできるように某高額アプリを購入して臨んだのですが、それを同人誌刊行経験者の友人に見せるとこのチャプタータイトルの台詞を吐かれたわけです。
……まあ、「ヤミかわ」だけで30ページあったし、完成形は原稿部分だけで50ページ超えたしね……。
だからもう「小冊子」とは呼ばずに「本」、「短篇集」、「冊子」と呼んでいます。
◎デビュー短篇集「昏睡状態」完成
上記「短篇集」の製本方法は、当初ホチキスを考えていました。ですが、とても良きご縁に恵まれ、世界で活躍される芸術家さんと知り合いになり、「金が無いことを言い訳にするな!」と活を入れられまして、だからといって印刷所に持ち込むお金は用意できない僕がどうしたかというと、
いっそ製本機を買いました。
つっても安いやつです。その代わり、背表紙に接着剤が付いていて、製本カバーの種類が豊富、しかも製本できるサイズも様々、さらに製本できる厚みもかなりフレキシブルな優れものです。
ここで思い出していただきたいのが、僕の「原点」の「伏線」写真です。
実は、この「昏睡状態」という名前の本の表紙デザインは岡山に帰る前に一度完成していたんです。しかし、「原点」地点に帰ったら、もうダメでした。
「灰崎凛音の原点は絶対にここだ!」
そう痛烈に感じ、涙すら流した僕は、表紙を再デザインし、あとがきやら奥付やらも作成、完成したのが以下です。
◎完成、からの献本&納品
何しろ多くの人に支えていただいてできあがった本だったので、献本分がどえらい多くてですね(苦笑)。もちろん自宅製本なので、表紙&原稿の印刷、印刷ミスがないかの確認、そして製本、という過程を一冊一冊愛情を込めて行っていますが、数が多くなるとちと参りますな。嬉しい悲鳴というやつです。
置いていただく東京の高円寺にある「本店・本屋の実験室」には、12月25日の夜に伺いました。鵞足炎のまま。結果、こんな風にディスプレイしていただけましたよ。
●もうこれ一年分じゃね?
そんな感じでですね、2024年9月に誕生した灰崎凛音の12月はこれほどまでに激烈爆裂にご多忙極まりないものでございましたよ、というお話しでございました。
繰り返しになりますが、「昏睡状態」を今年中(投稿は2025年になっているでしょうが……)に出せたのは大きかったですね。
お声掛けくださった棚主の仁矢田美弥さまにも感謝の念が尽きません。
では内容チラ見せ。
なお、「昏睡状態」は、東京の高円寺「本店・本屋の実験室」さまと、オンラインでは「日本の古本屋」にて購入可能です。
ここに載せている断片など三篇、書き下ろし三篇からなる本です。
まだまだ拙いものですが、精一杯書きました。興味のある方、是非お買い求めくださいませ。
それでは、2025年も何卒よろしくお願い申し上げます。
灰崎凛音でした。