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子育てはキャリアの中断と考えるのはなぜ?子育てってそれだけの価値しかないの?

松井博さんのnoteを読んで書いてます。

松井さんは時々子育てをテーマにしてnoteを書いていますが、そこで書かれていることが、個人的にとても共感するものが多く、今回もそうでした。

今回の松井さんのnoteは、松井さんに質問された方に答える形になっています。

質問はいくつかあるのですが、
・出産がつらいから怖くて産みたくない
・産休で1年半も休んだら、キャリアが途絶えるので産みたくない

私は質問者さんの問いは大きく分けると、この二つなんだなと思いました。
「出産が辛くなくて、産後3か月くらいで完全復帰でき、その後も時短勤務で育児と仕事がパートナーと一緒に両立できたら出産を決断できる」とまとめているので、さらに「パートナーと育児を完全分担する」というのが加わりますが、そこの部分は別の話になりそうなので、またの機会に考えたいと思います。


出産が辛い問題はかなりクリアされているのでは?

私は自然分娩で二人出産しましたが、それはもう大変でした。どう大変だったかは長くなるので割愛します💦
松井さんも書かれていますが、こんなに出産が大変な国は珍しいそうです。

さらに現在は日本でも無痛分娩が行われている病院も増えていて、出産スタイルを選ぶことができます。痛くて辛そうだから産むのをためらう…という方は、無痛分娩を選べばいいと思います。いつでもどこでも簡単にとまではいかないかもしれませんが、不可能という訳でもない程度には普及しているようです。私も今出産するなら、迷わず無痛分娩だと思います。


産休を1年半取るか、3か月取るかも、選べる時代

質問者さんは「産休を1年半取りたくない」と書かれていますが、これも「取らなければいけない」ことはなくて、無痛分娩して母体の回復が早ければ3か月で職場復帰は不可能ではないと思います。

実際、無痛分娩が主流のフィリピンやアメリカでは、産休3か月が通常であるとのことです。

「出産と子育て」をすることで、仕事を犠牲にする期間が1年半というのは長いのか

私が一番引っかかったのは、質問者さんが「(いろんなことが研究されている現代において)お産と子育ては、1年半も仕事を犠牲にして行うことが普通である、ということに疑問を感じている」と書いていた点です。

この1文は、日本が少子化が避けられない国であることを物語っているなとうなってしまいました。

残念ながら、出産には適齢期というものがあります。
質問者さんは30代ということで、まさに出産適齢期の年代です。そして、その出産適齢期の方の、もしかしてかなり多くの方が質問者さんと共通の考え方をしているのならば、それは少子化になるしかないだろうなと思いました。

現代の日本の出産適齢期年代の考えがこのようになっているということは、日本の少子化対策は失敗なのでしょう。

人生100年時代と言われている時代に、動物として人間が子を産み育てることが可能な時間の中の1年半はそんなに長い時間なのでしょうか。他のこととは替えがきかない時間です。こればかりは、出産適齢期を過ぎてからでは後悔しても遅いのです。

質問者さんが「仕事を犠牲にしたくない」と強く思っていることが伝わってきましたが、日本社会では「1年半休んだら元のポジションに復帰できない」という現状があるので、「出産・育児は仕事を犠牲にしなければならない」という表現になっているのだろうなと思いました。

では、その点が改善されたら少子化は解消されるのでしょうか

私はあまりそうは思えません。

少子化は価値観の問題。自己実現思想は人口維持と相性が悪い。


子どもは産んだら、親か子のどちらかが死ぬまで親子関係が続きます。出産方法がどうの、産後の仕事の復帰が云々といった話は、方法論であるだけなのではないかと私は思っています。

多くの人が「自分実現」を人生の最大のテーマとして生きていることを是としているのならば、それは出産・育児とは真逆なので、子どもが増えるわけがありません。

子育ては、スタートは他者のために生きることが、自分の喜びになり、長い時間をかけて自己実現にもつながっていく壮大な物語だと思う

仕事で得られる自己実現は、もしかしてわかりやすいものなのかもしれません。

それに比べて、子育ては成果が分かりにくいものです。なので、成果がはっきりしないまま、親の犠牲に目が向きやすいものであることは、私も経験があるので同意します。でも、それを犠牲と思うか喜びと思うかは、思想の問題なのかなと思うのです。

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