アラフィフ保育士が子どもと離れて暮らして想う事
私は子どもが二人いますが、二人とも大学進学先が他県だったので、高校卒業後、進学と共に家を出ました。
生まれてからの18年、あっという間に過ぎ去りました。今後はどうなるかわかりませんが、時々帰省することはあっても、おそらくもう長期に一緒に暮らすことはないでしょう。
こうして文字にすると、あらためて寂しさがこみ上げてきましたが、日頃はあまり意識することもなく…たぶん無意識に意識しないようにしているのか、久しぶりの自由な時間をわりと気楽に過ごして1年が過ぎました。
地方在住なので、高校卒業までが子どもと一緒に過ごす期限だということは、もうずっと前から考えていました。なので、18年間は全力投球で子どもを最優先にしようと決めて暮らしていました。子どものことは、もうこれ以上できないというくらいさせてもらいました。逆にこれ以上一緒に過ごす時間が長かったら、私はここまでやりきることが出来なかったと思います。夫にも子どもたちにも感謝しかありません。
こんな風に書くと、さぞかし立派な親だったように想像される方がいらっしゃるかもしれませんが、私は家事は適当で性格的にもうっかりしているので、世間的にはダメな親だったと思います。
ただ、私はとにかく子どものそばにいたいと思っていました。子どもと一緒にいたいと思いました。
だから、子どもが話したいと思った時にすぐに聴けるようにそばにいる事だけに専念しました。大事なことからどうでも良いことまで、子どもとたくさん話をしました。そんなことを言っても、私は都合の良い人間なので、自分に余裕がない時には自分が望んでいたにもかかわらず、子どもの声に耳を傾けられない時もありました。だから私は、私のことを子どもがもう必要ないと思う時が来るまで、なるべく暇になろうと決めました。そうじゃないと一番したい子どもの話を聞くことが、私にはできなかったからです。残念ながら、あれもこれもできるほど、私の能力は高くありませんでした。
ずっとそばにいたら良い時ばかりではありませんでした。そんなときはさらに自分に都合よく、良い時ばかりではなく悪い時も一緒にいるのが大事だと思うようにしました。お互い嫌な姿も見せあってきました。一緒に笑ったり泣いたり怒ったりしました。私はよく間違えました。自分で決めたこともできないときがたくさんありました。そんな自分にいつもがっかりしましたが、とにかく間違いに気づいたら謝りました。それでなかったことにはならないけれど、それしかできることはありませんでした。とにかく逃げることだけはしたくなかったのです。最後の責任を自分が取りたかったのです。良かったのか悪かったのかはわかりません。
子どもが困ったときに、私に助けてと言った時にすぐに飛んでいけるように、なるべく子どもより大事な用事をつくらないようにしていました。子の年齢と共に私の出番は少なくなっていきましたが、ここぞという時はいつも何の前触れもなくやってきました。子の年齢と共に私が駆り出される回数は減りましたが、その問題は複雑さを帯びていったように思います。だから、私はいつも待機していました。誰に頼まれたのでもなく、私がそうしたかったからしました。これをしなかったら自分が後悔すると思ったから。私が子どもにしたのは、それだけだった気がします。そしてそれは人によって違うものだと思います。
一緒に暮らしているときは、我が子のことが、小さなことから大きなことまで毎日気がかりでしたが、離れてみると驚くほど気にならなくなりました。子どもが生まれてからずっと、脳の一部が常に待機モードで電力消費していたのが、今本当に何十年ぶりに休めている感じです。目の前にいないというのはこういうことなのかと。もちろんその存在を忘れる瞬間はありませんが、今は、自分の日々の暮らしのことを考えている時間の方が、圧倒的に長いです。
子どもの成長する姿を間近に見せてもらって、あぁもう大丈夫だなと思うところまで一緒にいられたので、あとは彼らのためには私がそばにいない方が良いと思っています。これもいろいろな考え方があるでしょう。
今は便利なツールが山ほどあり、娘も息子も連絡を取ろうと思えばすぐに取れるし、声だってすぐに聴けることも寂しさを感じない理由かもしれません。実際は、ほとんど電話しませんが。
ただ子どもの幸せはいつも願っています。
私の知らない所で二人が幸せに生きていってくれたら、二人がこの世に存在している、それだけで私は幸せです。
意識的にしつこく連絡しないようにしている…と考えるとそんなところもあるかもしれません。親のことは忘れてくれていい。親元から離れて、彼ら自身の世界をどんどん広げていってほしいと願っているからです。私はもう十分に楽しませてもらいました。これからは私の知らない場所で知らない人に出会い関わって、願わくばお互いに大事に思える人と一緒に生きて行ってほしい…そんな気持ちでいます。
きっとこの世の親は、このようにそれぞれの形で子どものことを想っている生き物なんだと思います。
今私は保育士として、そんな誰かの大事なお子さんと一緒に過ごす仕事をしているのだな。
なんと責任の重い仕事だろうか。
私で良いのかな…。
考えてもわからないし、自信もないけど、できることを精一杯やるしかない。たいそうなことはできないけれど、大事な親子の時間をわけてもらっていることを忘れないようにしたい。子どもたちは、いつもどんな時も、親と一緒にいたいと願っていることを私に教えてくれています。それを親御さんに伝え、親御さんも子どもと過ごす時間が何より幸せだと思ってもらえるような関わりをしていきたいです。
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