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独りがいい鈴木大拙館 みんなでもいい21世紀美術館
金沢でウワサの美術館を体験{;?~?;}
2018年8月の暑い夏、以前から一度は訪れたいと思っていた、ウワサの「金沢21世紀美術館」を訪ねました。
外観の第一印象は、想像していたよりも規模が小さく、どこか安っぽく、古いモダンデザイン的な建築物に見えました。
チケット売り場では、さほど人が並んでいないのに、なかなか順番が来ません。やっと自分の番が来ると、スタッフによる「xxxはしてはいけません、~~~には入場できません、」などの説明が丁寧すぎて、チケット購入までに時間がかるわけでした。やっと館内に入ると、北陸新幹線の開通効果が絶大なのでしょう、日本人だけでなく、アジア系、欧米系の観光客が大勢いました。
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相変わらずの、真面目な学習の場(かな・・)
今回の企画展は「コレクション展 見ることの冒険」で、あとは常設展示でした。展示会場に入ると、鮮やかなデザインの服を着たスタッフがいて、
オブジェ作品をよく見ようと近づくと、「この白線を越えないようにお願いします」と静かに注意されました。
壁掛けボックスには、どこの公立美術館でも必ず目にする「作品解説」が手に取れるカードタイプで置かれており、案の定、雄弁かつ丁寧に「正しい作品解釈」がしっかりと記載されており、来場者には真面目な学習姿勢の取り組みが望まれているようです・・。
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ウワサではこの美術館、「体験・体感するアート」が最大の売りだったのではと思いましたが、ここまでの印象では、他の公立美術館とさほど変わり映えしない運営方針=学習の場としての美術館、展示作品は触れないガラス張りの教材、といった感じを受けました。
やはり、エルリッヒでshow!
こうして、ちょっと期待はずれの感を抱いていた私ですが、やはり、ウワサの、あのエルリッヒ作「スイミング・プール」に潜った時は、変な現代アートやら難解な美術史的解釈など全く気にしないで済む「ワクワク感」がありました。中に入るために順番待ちが必要でしたが、訪問者の皆さんは国籍に関係なく周囲に気を使いながら記念撮影を済ませ、その空間にはひと時の幸福感があふれていたように感じました。
電源を必要とせず、自然の光と水だけで創り出す多彩な変化の波の中に我を忘れて身を浸すことが、この作品の最大の魅力だと実感しました。
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「タレルの部屋」の独自な時間
さて、いよいよ、私が最も見たかった「タレルの部屋」です。
そこへ入りました!・・頑丈な造りのかなり広いスペース、高い天井、大きく正方形に開口された先には本当の青い空、涼しい風がどこからか吹いてきます。
他の会場ではしきりに人の往来がありましたが、ここにいる人間は、壁石の縁に座ってスマホ画面をいじくる若者一人だけ。シンプルそうで実はとても贅沢な空間設計による全く独自の時間の流れの演出。エルリッヒの人気度には負けていますが、私にはこのタレルの部屋のほうに居心地の良さを感じました。私が自分の絵で演出したいことがこの部屋には物理的にも実現されているのです、それは、「すべてが静かに一体となる」、という演出なのです。
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しかしながら、もう一度この金沢21世紀美術館を訪れたいかと問われれば、「いいえ」でしょう。
それよりも、この美術館より徒歩5~6分ほどの位置にあったので、思いつきで行ってみた「ある場所」こそ、私には「大きな出会いと発見」の場所と
なったのであります。
コトバの肉声を実体化したような鈴木大拙館
21世紀美術館でやや肩透かしを食らったあと、大手旅行代理店JTB発行のガイドブックに紹介されていた施設に気まぐれで行くことにしました。
そこは、「鈴木大拙館」。豊富な写真で4ページにわたる大特集が組まれている金沢21世紀美術館とは扱いが大きく異なって、わずかなスペースに小さな写真一枚だけの紹介記事でしたが、私の心にちょっと興味を引き起こす「何か」がありました。
鈴木大拙(1870年~1966年)という人物について
ウィキペディアから抜粋要約:
禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。1950年より1958年にかけ、アメリカ各地で
仏教思想の講義を行った。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。
鈴木大拙館の建築について
公式パンフより抜粋要約:
斜面緑地を背景に、石垣や水景などによって金沢を象徴する景観を創造し、その中で鈴木大拙の世界を展開していくことを設計の基本方針としました。
建築は、「玄関棟」「展示棟」「思索空間棟」を回廊で結ぶとともに、「玄関の庭」「水鏡の庭」「露地の庭」によって構成されています。・・これら空間を回遊することによって、来館者それぞれが鈴木大拙について知り、学び、そして考えることが意図されています。
*設計をした建築家は金沢市にゆかりの深い谷口吉生氏
深く厳かな薄闇の中で自己省察を
25度以上の暑さの中、21世紀美術館前の大通りをしばらく歩いて脇道に入ると、静かな住宅街がしばらく続きます。やがて、周囲とは全く異質でありながら静かに溶け込んでいるような佇まいのコンクリート平屋建築物が見えてきます。中に入るとすぐ受付があり、おだやかな気品のある女性からチケット(300円)を購入して入室。
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エアコンの心地よい涼しさを感じながら静まり返った長い廊下を進んでゆくと、最初の展示室へと誘われます。すでに数人の外国人がいます。かなり照度を落として落ち着いた空間の中で、鈴木大拙の歩みと言葉を記したパネルやカードを参照して、彼の思索の核心部へと手探りで掘り進みながら、いつのまにか瞑想気分に浸ってゆくのです。
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次の部屋に移ると、そこは学習空間。彼の著作や関連文献等が棚に置かれていて、図書館の自習室のような雰囲気です。もう片面の壁には床の間と花台があり、日本間としての演出がなされています。
威容、華美、あるいは慢心、虚栄などの「虚飾」を一切排したようなこの空間演出は、まさに「禅の精神」の具現化と感じます。
あふれる光と水に身をゆだねて無へ
この学習空間から外部へ通じるドアを開けると、意外な光景が眼前に広がっており、ハッと思わず驚くと同時にあまりの美しさに心は陶然となってしまいます。
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目の前にある「水鏡の庭」と称されているのは、満面に水が湛えられてる池であり、周囲は低い白壁と植林で囲まれています。快晴ゆえに水面に反映する光と緑と白壁の対比が幽かに揺れる波紋とともに見事な美しさです。
その池の外周である回廊を進むと、別邸のような「思索空間」にたどり着きます。光の調整ができる大きな格子戸や、高い天井の正方形構造の中には
畳敷きの台座があり、おそらくここで座禅などもしながら、来訪者はそれぞれの時間を過ごすのでしょう、もちろん、こういう場にきても、ずっとスマホをいじくっては大声で通話する日本人男性もいました、・・・無心も邪心も、その人の望むままにということです。
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鈴木カードと21世紀美術館カード ~その違い
各部屋の出入り口付近には、ハガキの2倍の大きさのカードがいくつか無料配布用に置かれています。通し番号をふってあるので順次に刷新されるのでしょう。鈴木大拙の著作の中から引用された言葉カードが英訳カードとともにあり、今回の訪問だけで、6種類のカードを取りました。
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このコトバは、旅の良き記念品となり、時おり読んではその意味を考え、氏を偲ぶよすがともなるでしょう。
それに比べ、金沢21世紀美術館で目にした作品解説カードに記された、毒にも薬にもならない教育指導書のような「作品トリセツ」は、「差別なき社会!」を月間取り組みに掲げる行政のお馴染み標語の空疎さとさほど変わらない印象なのです。
もっとアーティスト自身のコトバを聞きたい!
要するに私は、鈴木大拙自身のコトバだからこそ耳を傾けようと思えたのです。ですから、他人の解釈ではなく、アーティスト自身のコトバをもっと聞きたいのです。
美術館においても、スタッフ(おそらく学芸員さん)の仕事力の表れであろう「作品トリセツ」ばかりでなく、創作者本人のコトバこそもっと取り上げてほしいのです。他人の1,000文字解釈よりも、本人の語る一言に「知るべき真実」があるはずなのです。
当然ながら作品は本人から離れて自由解釈されるべきものではありますが、まずは、本人の「肉声」に耳を傾けるべきなのではないでしょうか?
大講義室より自習室でまず学びたい人へ
人の気配をほとんど気にしないでいい、自然以外に耳や心を煩わせる音はほとんど聞こえてこない。何よりも、「鈴木大拙」のための施設なのだから、
彼本人のコトバの肉声つまり精神部分を実体化させるように企画設計されたこの建物のコンセプトは極めて潔いです。
世俗的流行を追いかけて集客ノルマなどに無駄な労力を使わずに済むので、結果としてこの「鈴木大拙館」は、末永く愛され語り継がれる施設になっていく、と私は信じます。
教授力に左右される大講義室での一斉授業ではなく、自分が知りたいことを自分で学ぶ自習室のほうがいいという人には、この鈴木大拙館が絶対にお薦めです。