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大分県立美術館で RiluskyE 個展 ~ 部屋は静か 世界はにぎやかⅡ

A3サイズ綴じ本形式の作品、2m×60cmの連作3枚、60cm×100cmの作品15枚による個展


申請から搬入までの流れ


2015年に使用申請をする

2015年に新造建築物として開館した大分県立美術館は、
英語表記:Oita Prefectural Art Museumの頭文字をとってOPAMを通称としている。

私は、その年の夏には個展開催について美術館へ電話、その後、担当者とメールで確認を行い、申請書などの必要な書類を郵送してもらった。やがて開催期日の具体案が翌年の11月と示されて、師走を迎えた。

2016年に入って、新作の構想を練り始め、展示方法で具体的な案を立てるために、かなりの頻度でさまざまな事柄に関する確認と質問のメールを担当者Mさんと交わした。その度に丁寧なご回答と親切なご助言、そして詳細な図面等も頂き、とても助かったことを感謝を込めてここに記しておく。

上空の視点から
地上の視点から



2016年10月30日、車で大分市へ向かう

10時半には出発のつもりが、2m近い長さの作品の運搬方法で試行錯誤し、お昼ごろの出発となった。高速の大分自動車道に入り、途中のSAで昼食と思ったが日曜で混んでおり、パンとコーヒーで軽く済ませた。大分市内には3時過ぎに到着、宿泊ホテルから徒歩で歩ける位置に美術館があるので、ちょっと出向いてみた。担当者Mさんがちょうど出勤されていたのでお会いすることができ、明日の件でいろいろと具体的な打ち合わせをした。

10月31日、搬入および展示準備をする

9時半に搬入用ゲートが開くと資材の運び込み開始。本来は出勤日でないのに必要な確認を行うため出勤中の担当者Mさんも、わざわざ搬入を手伝ってくださった。
実は今回、展示会場を可動壁で4分の1ほど区切りたいという要望を出していて、実際にその通りになっていた。目的は、天井照明とスポットライトで明暗をつけ、持参した暗くなると光るセンサーライトも使うことで「光と闇の空間」を演出したかったからだ。

展示会場の壁のどこに作品を吊るすか決めるのに時間がかかり、いつのまにか14時過ぎていたが、まだ半分しか完成していない。かなり疲労感がでてきたので、休憩しようと2階にあるレストランに行き、前菜大盛りでメインのハンバーグがおいしいランチで少し疲れが取れた。

とんでもないことが発覚した

再び作業開始。やがて、とんでもないことが発覚した。今回の展示の「要」である持参の電池式センサーライト(暗くなると光るタイプ)が思った通りに点灯しないのだ。自宅で試行したときには何の問題もなかったに・・・、これで、私の演出意図は実現できなくなった。

( あとですぐ分かったが、室内が明るすぎてセンサーが作動しないという、当たり前の理由であった。 )

他にも困った問題が発生した

壁が硬すぎて押しピンが貫通せず、打ち込むのに手間がかかった。

天井がかなり高く、3.6mの脚立の頂点に立って貸出スポットライトを取り付ける作業は命がけになると思い、作品に照明を当てることはあきらめた。

展示会場の天井照明は、コンピューター制御によって微妙な光量調整も可能な優れたシステムであったが、可動独立壁はその天井より低く隙間があるため、隣の会場から漏れる光を完全に遮断できない構造になっており、そのことは私の望む「闇」演出にとってはマイナスとなった。

( 天井から隣室の光がもれるから完全に暗くはならない、ということを事前に担当者Mさんから聞いてはいたが、実際に現場で見て初めてその現状が把握できたのであった。)

天井部の照明と漏れる隣室の光、 
最奥に小部屋を設置


準備時間に余裕無し、急遽、妥協策を考えた

時間はすでに午後3時過ぎ、終わりが見えない中断状態、・・そこで思いついた妥協策として、現在は全体の4分の1ほどの位置にある可動独立壁を、5分の1ぐらいにさらに狭めて設置変えするという案だった。

手渡たされていた館内連絡用の携帯で担当部署に電話をかけて事情を説明、やがて数人のスタッフが登場、さっそく壁移動が行われ、10分もしないうちに終了した。親切丁寧で迅速な応対をして下さり、とても助かったことをここで強調しておきたい。

会場の最奥に設けた小部屋であったが、
暗くできなかった
台座にはA3サイズ綴じ本と小さな照明器、
暗い中、電灯で照らして見てもらう意図であった


9割がたの作業が終わったのが午後6時過ぎ、すっかりくたびれ果てた中年男は、残りの微調整は明日早めに来て行うことにして、独りとぼとぼと帰ったのであった。

( 夕食は、帰路の途中にあった小さな中華料理屋、・・客のいない店、独りビール、きっと回鍋肉定食あたりを食べたはず)

余談:
屋久島帰りの千葉県男性 ~ 私のペンネームの由来

前日の準備開始まもない10時過ぎ、不意にひとりの男性が声をかけて来た。

「ここは写真展ですか?」
「今、準備中で、明日からです。」
「あぁ、・・明日は来れないので、何か見ることができるものはないでしょうか?」

私の作品を見ていると、「心の奥を描いたような、どこかポール・デルヴォーを想わせる」と言われ、いろいろとお話をうかがった。千葉県船橋市から来て、今夜8時の便で帰るということ、昨日まで屋久島巡りをしていたということ、見事な造形美ともいうべき屋久島の自然の諸姿をカメラ液晶画面で見せてもらった(現地ガイドであるらしい女性のスナップも何枚かあった)。

私のペンネーム「リルスキー」の由来を聞かれたので、「ドイツの詩人リルケとロシアの監督タルコフスキー」の一部を組み合わせだと伝えると、このふたりの名をご存じで、現代音楽家の武満徹の名も挙げられたので、「心の同志」に出会ったような思いがした。


個展会場での心がけ

私は、自分の個展開催中に、隣で行われている展覧会も時間を作って鑑賞するようにしている。そして、展示者の作品について当人の説明を積極的に聞くように心がけている。お互いの作品について語り合うことで得るものがとても多いと思うからである。 ご本人においても、それを拒否される方に出会ったことはまだなく、むしろ、進んで話してくださる。


広報用A1ポスター原画



以下、来場者や展覧会参加者と交わした言葉やエピソードを紹介


11月1日:初日

北の国から来た若者

11時頃、洗面室から戻ると、奥の薄暗い小部屋で展示物の「本」をめくる音が聞こえてくる。そこには、去年の福岡県立で、不具合のあった「本」の改良版を台の上に置いていたのである。

観ていた若者が退場する際に、単刀直入に聞いた:

「奥の部屋の本をめくるのは面倒だったでしょう?」
「いや、そんなことはないです、・・前の明るい部屋の絵のほうが好きでしたけど。こういうのはどうやって作るんですか、やわらかな仕上がりになっていて・・・」
「ひたすらパソコン画面を見ながら練習するんですよ。」

・・などと話しているうちに、この青年の格好がスポーツウェアなので、何かスポーツをしているのですかと聞くと、何と驚いたことに、北海道から自転車でずっと半年間かけて南下してきて、ここ大分に友人もいるので来たとのことであった。

現在26歳、公務員として就職していたのに、ある日、思うところがあって退職し、この旅を始めたとのことで、そういう旅をしている人はけっこういるとのこと。別れ際の「この美術館ではここが一番よかったですよ」という一言に、この青年の人柄の良いやさしさを感じた。


「大分の新女流書展 ~ 輝くいのちつないで」 
女性会員たちとのエピソード

隣の展示会場では、「第5回 大分の新女流書展」が開催されていた。地元のみならず全国的にも名を馳せる名人も含む、総勢20名の女性会員による「書」の世界が、2m~5m近い大作中心に圧倒的な迫力と優雅さで目の前に広がっている。講評会も行われて、時に笑いもありの盛大な「芸術の宴」といった雰囲気で、大勢のお客さんが次々に来場されていた。

受付をしている会員の女性たちは、来場者に対して終始にこやかな応対である。そのすぐ隣の会場受付で一人暗く不愛想な顔で座っている中年男の私を気の毒に思ったのか、時おり温かい言葉やアドバイスをもらったり、来場者の勧誘までも行って頂き、ひたすら感謝感激するばかりであった。

そんな会員の方々のお一人、Uさんも、御自分のお知り合いに声をかけて私の個展会場にわざわざ案内をしてくれた。それで個展閉場後に、このUさんの作品を見ようと隣の書道会場へ足を運んだ。ちょうどご本人がおられたので、いろいろとお話をうかがうことができた。

Uさんの話の要約:

この会場に展示されている作品群は、会員ひとりごとに割り当てられたスペースがあり、そこに中国や日本の経典や古文書をきちんとした字体で書き写す「書」と、自分独自のイメージを乗せた字体で近代詩や日常の思いを描く「書」があるとのこと。
この「書」というものに強い関心も興味もなかったが、「師」や「先生」の指導を受け、「伝統の流儀」を学びつつ、自分独自の「書」を切磋琢磨しながら追求してきたとのこと。

彼女のことば:

書の字体はその人そのもの、くずして書こうと思っても思った通りにはくずれない、簡単そうで実はとても難しい。

自分のからだの10倍ぐらいの大きさがある紙に、邪念を捨てて、呼吸を整え、勢いをつかんで一気に書き上げないと、納得のゆくものは書けない。

「書」を読むという鑑賞だけでなく、「自分はこの字が好き」と思える「書」に出会うことが大事。


以下は、そのUさんが私の雑記帳に書かれたことば:


他の女性会員たち

ちょっとした空き時間に私の個展を見に来てくださった他の女性会員の「書」も見せて頂き、いろいろと貴重なお話をうかがうことができた。和歌や現代口語詩などを題材にした「書」の場合、書かれた文字の意味というより、画全体を「一枚の絵」のように味わってほしい、「空白、字の強弱、流れ、かすみ」などを構成要素として全体のバランスをイメージしながら描いていると、皆さん口をそろえて言われた。


初日動員数は55名。



11月2日:2日目

10時の美術館開館とともに、15名~16名ほどの集団がわっと入場してきた。どうやら地元の高齢者の会のようである。

宮城県から来た男性にサインを求められる

背が高く風格のある男性が来場される。わりと長くご覧になられたあと、「本はもらってもいいのですか?」と受付にいる私の所に訪ねて来られたので少しお話をする。
宮城県から佐賀県の息子さんに会いに来たと聞いて、「宮城県ですか!」と思わず大声を出してしまう、・・東北地方に行ったことのない私にとっては遠く感じるエリアだったのである。

ご自身も写真を撮るが、頭の中にイメージはあっても、それを表に出して作品として描くのはなかなかできない、・・私の絵には、心の奥深いところから出てきたようなイメージにあふれていて、パッと目を見開かされる気がします、と言ってくれた。

別れ際に「あいにく私は存じませんが九州では有名な方でしょう・・記念に本にサインをしてください」と言われたので、「いやぁ、有名ではないので・・・、全く無名です」ととりあえず一度は辞退をしたが、2度言われたので喜んで書かせていただいた。

「もっと世の中の人に知ってもらわなければいけないですね・・」と言われながら、名残惜しく去って行かれた。私の「絵心」を感じ取る感性と善意あふれる人柄の方だなとしみじみ感じた。

ところがしばらくして、宮城県の男性が戻って来られ、また少し話した:

男性:
本を読みました。3つのことをお伝えしようと思って来ました。本の中に出てくる "あなた"が何なのか気になりました。
私:
キリスト教の神でも、仏教の仏さまでもない、詩人リルケが詩の中で呼びかけたような「何か」です。
男性:
んっ、Something Great ですね。2つめの伝えたいことは、リルスキーさんは詩人ですね。
私:(恐縮)そうでしょうか、?
男性:
3つめは、この本の絵よりも、展示会場の絵のほうがぐっと深化していますね。
私:
この本はもう7年前に作ったものなので、今ではもう稚拙すぎるんです。売れずに残った自費出版本ですから、もらっていただくだけで有り難いです。

こんな会話を取り交わしたあと、ほんとにお別れとなった。この広い世の中に、こんな形で、どこか共有しあえるような魂を宿した者同士が出逢うこともあるのだと、何か清々しい想いで心が満たされた。

息吹のような未来 溜息のような過去
created by RiluskyE  2014


2日目は、67名の来場。


補足:私の「個人出版本」について
2007年に自費出版した詩画本の在庫がかなりあるので、個展会場の特設台に置いて、要望があれば無料で差し上げている。
もう17年も過去のこととなったが、この本に関しては、契約した出版社側の良い面とは別に、悪い側面(いい加減な翻訳、不明瞭な見積もり、不当な買い取り価格の設定、契約書に記載無き勝手な断裁など)もあって、出資した側である著者の私は憤懣やるかたない思いにもさせられたのであった。要するに、「素人はなめられた」、のである。
いずれ、風化させぬためにも文章化するかも・・、愛憎半ばなのである。



11月3日:3日目

今日は休日なので、平日より人の流れは多く、特に子供や孫連れの家族が目立った。

元始、女性は太陽だった!

現在15時40分で、来場者数は79名という、過去5年間をさかのぼっても、一日の入場者数がこんなに多かった個展はなかった。理由は、私の個展会場前に設けている受付は、当美術館のコレクション展「フランス絵画とともに」の出口すぐ前にあり、出てきたお客の一部がこちらへと流れてくるからだと思う。
あとは、「女流書展」の会員女性方の、隣人のさびしい中年男への親切な心配りのおかけだと言うしかない。会長さんの2mx4mほどの巨大な作品には、「女性は太陽であった」と迫力ある筆跡で書かれている。女性が仲間集団として動くときの協調性と機敏な動きを、毎日、ここの受付から目撃している私としては、ため息混じりにこう言うしかない、

「女性は偉大なり、女性には勝てない」

別のスペースの光景


芸術には、いいか悪いか、それだけしかない

女性の知り合いネットワークの広がりには圧倒される。その知り合いの中で、孫を連れたご婦人が「不気味でコワイね」と言いながら、早々に私の会場から退場された。そのことをあとで、会員Uさんに話すと、

「それは反応があったってことだからよかったんじゃないの。何も反応がないというのはだめだったということだから。芸術は、いいか悪いか、それだけしかないんじゃないの。」


本日は103名で終了


11月4日:4日目

午前11時で来場者は23名。

平日の昼間に来る層は、6割は高齢者の方々、3割は中年世代であることは、どの県の美術館でも共通のことに思える。ただ、ここ大分の場合、周辺地域が市の中心部であり、地元商店街がとてもにぎやかなので、集客に有利に作用しているようで、若者層が他県と比べ多く来場していることの一因にもなっているようだ。

My nationality is English, originally South Corea.

タイ人観光客が去ってほどなく、ふたりの女性が見に来た。民族衣装的な装いの方が、「パンフレットありますか」と聞かれたが、アクセントがちょっと奇妙に聞こえた。
会場から出て来られたときに少しお話をすると、国籍はイギリス、もともとは韓国出身だと答えられた。イギリスでの生活が20年ほど続き、日本人経営の会社に勤めていたので日本語はある程度できる、そばに一緒にいるのは娘でアメリカの大学出身、日本語はほとんど話せない、とのことだった。
作品に関しては、ほぼ英語でのコメントだったが、spiritualなものを感じる、内なる世界と外の世界はつながっている、人間は誰でも心に問題を抱えている、・・のようなことを言われていたと思う。

あらためて外国語習得とは、「話し合う」「理解しあう」ためにこそ必要だと思った。


「こわいィ~」

受付前にあるポスター展示台に、目を引くようにと実際の作品を吊り下げています。ある父親がそれを見て、3~4歳ぐらいの娘に、「OOちゃん、何か見えているよ」と誘い、娘が近寄って見ると、「怖い」の一言で去っていった。

白髪の美しいご婦人

受付前の右手奥にエレベーターがある。ひとりの女性が来るのを待っていたが、こちらのほうが視野に入るとちょっと気になったようで、会場に入ってくれた。
今日は、コレクション展を見に来た、普段は短歌を作っている、あなたの絵を見ていると、夢に出てきた人物が現実にふっと現れることがたまにあるのですがどこかその感覚に似ている、と言われた。
とても落ち着いた気品ある声でお話される方で、この方の内面や歩んだ人生の年輪のようなものがまさに「女性の品格」として感じられた。

画面の左側にエレベーターがあり、右奥に見えるのが私の座る受付台


15:50現在、85名


WEBデザイナーとして起業を目指す金髪の若者

来る人もまばらになって、受付に座って本を読んでいると、ふいに誰かが声をかけた。驚いて見上げると、髪を金色に染めている、やさしい顔をした色白の若者だった。
「本を差し上げると書いてあったのですが、よろしいのでしょうか」と、静かに丁寧な話し方をする若者で、本を差し上げると、「ちょっと気になったことがあって聞きたいのですが、作品のタイトルはご自分で作っているのですか。」と問われたので、「はい、そうです」と答えた。
いったんは去って行かれたが、その後しばらく経ってから再び受付に戻って来られた若者Mさんとは、その後けっこう長い時間、いろいろと話すこととなった。

彼はまだ20才、大分県別府市にある、立命館アジア太平洋大学=APUの3年生で、将来はweb デザイナーとして起業したい夢があるとのこと。美術館に足を運んだのは、webデザイン制作に何かヒントになるようなものがないかと思ってのことで、私の個展会場に入って、どこか異質な何かを感じたとのことだった。大学キャンパスでは英語が日常化しているためか、私の作品は中央に日本語タイトル、右隅に小さく英語訳もつけているが、英語のほうがすんなり頭に入る作品もあったとのこと。

作品の発想や技巧に関しての彼の質問に対しては、私の作品は無から有を創るCGではないこと、すべて実際にある物を素材として加工していることを伝え、フォトショップも最新版でなく、CS2という初期ヴァージョンを使っていると言うと、ちょっと驚かれているようすだった。

webデザインで起業するということは、数多いライバルたちより抜きんでた、見た人がハッと注目するような「何か」をデザインとしてPC画面上に示す必要があるから、それをどうデザインするかでいろいろアイデアを練っては試行錯誤されているようで、私が本を出版した経緯も質問された。ただ私の場合、世間である程度の認知と評価があって、出版社から本を出しませんかと言われたのではなく、自費出版しただけであることを伝えた。

最後に、ぜひ見せたいものがあると彼が言うので、会場の受付業務は一時放棄して、美術館の1階へ降りて行った。そこで彼が示したのは、以下のような巨大な恐竜の卵のようなオブジェだった、

彼の見せたかった3つの巨大なオブジェ


彼はそこで話してくれた:

小さな女の子が奥からヒョコっと出てきて、何をするのかと何気なく見ていたら、その巨大なオブジェをポンッと押すのです、すると大きくユラッと揺れたのです、それを見てびっくりしたのです、・・

試しに私も押すとぐらっと揺れた。つまり彼は、このオブジェは動かない、動かすものでもない、と勝手に思い込んでいた自分にショックを受けた、という話だった。私たちは、「思い込み」というのが新しい発想の足かせになっていることが多い、ということを確認しあったのだった。

私は、彼のおかげで、少し心身ともに疲れ気味だった今日の自分をリセットすることができた。そういう意味では、「アート」の力なんて、「人間」の力に比べたらほんと微力でしかないことをあらためて実感した経験だったと思う。

「青年よ、今日はありがとう、ぜひ起業して成功してください!」

と、当時、私は心からそう願った。


今日の来場者数は101名。



11月6日:最終日

建築学科の学生

午前中、受付に背広姿の若い男性が来られ、「本をもらっていいですか」と聞かれた。ちょっとだけ話すと、大学で建築を学んでいるとのこと、設計図面や3D立体図ばかり制作しているので、フォトショップでここまで作れる驚きを語ってくれた。逆に私は、その設計技術を自分が使いこなせるなら、作品世界がもっと広がるかも、と答えた。

どこか遠い異星から「お辞儀」をしに来た使者

3日前の夕方終了ごろ、ひとりの女性が来場した。しばらくすると受付正面にきちんと立たれて、「ありがとうございました」と声も出して深々と丁寧なお辞儀をされた。突然のことにどう対応していいかわからなかったが、ふと思い当たることがあった。館内レストランの配膳スタッフの制服姿で「女流書展」の受付でも同じようにお辞儀をしている彼女を見かけていたのだ。そのことを聞くと、そのレストランで働いているとのことであった。

実は翌日も夕方終了時に見に来られて、同じような仕草をされ、・・・・私はこの「謎のお辞儀」のことがとても気になり始めた。どう形容したらいいのか、独特の雰囲気を醸し出されているので・・・そう、たとえば、どこか遥か宇宙のかなたの異星から、この地球に何かを伝えるために訪れた「使者」ではなかろうか、と思わせるくらい、ミステリアスな存在・・・・私の妄想はここまで膨らんでしまった。

そして今日、終了後に「女流書展」会場内で、会員Aさんの作品前で話していたその場に、彼女が現れた。今日はちょっと軽い仕草のお辞儀。孫のために布団を温めておくおばあちゃんを詠んだ「書」を作った会員Aさんに、彼女はすごく感動したことを伝えたかったようだ。それから彼女は、自分は母親を知らず、代わりにおばあちゃんが育ててくれた、という生い立ちも会員Aさんに語っていた。私は傍らで彼女の話に耳を傾けていただけだが、このエピソードに、彼女の「お辞儀の謎」が少し解けたような気がした。


白昼に出航する深夜便  
created by RiluskyE     2015




あと片付けの時となった

16時になると、「女流書展」は後片付けが始まった。専門業者が行うので、またたくまに撤去されていく。

私の方は17時までだが、奥の小部屋の展示物から少しづつ撤去し始めた。

そうして17時40分頃には資材をすべて自家用車に積み込み、お世話になった担当者Mさんに挨拶をして外に出ると、寒くて強い夜風が吹いていた。

最終的な6日間の入場者数は510名となり、無事に終わった安堵感と、じわっと寄せてくる疲労感にまとわれながら、エンジンをスタートさせた。



今回の新作「天と地の騒乱」

作品には、題名と詩を添えています:

四つ切サイズのパネル
新作を使った広報用B2ポスター原画A


個展での使用情報

良い点には+ 改善点には?

使用料:1日9,250円はやや高め 

展示会場:
250平方mほどの広さで、天井はかなり高い。ただ、ピンを手で押すには壁が硬すぎ、境界の可動壁の天井部分が少し開いているので隣室から漏れる光を完全に遮断できず、暗闇を演出したかった私の個展会場としては大きな弱点となった。 ??

展示方法:
いろいろなやり方が可能。ただ、天井が高すぎるので、脚立に昇って自分でスポットライトを取り付けることは危険 ?

広報活動:
HPでの画像付き情報公開はとても助かったし、会期中facebookにもアップするというサービスは新鮮であった。 +++

宣伝用掲示:
会期中はポスターとA4チラシ掲示場所を3箇所用意してくれて助かった +

入場者数:510名

感 想

率直、この新しいコンセプトによる建物自体は素晴らしいし、意心地もよかった。とはいえ、実際には、日々その現場で働く人々の「気持ち」次第でどうにでもなるということを、お金をかけて完成した立派な「箱もの」を、時おり視察するだけの立場の方々は謙虚に学ぶべきだとも思う。

併設レストランも多方面の人材を活用しようと心がけていたようだし、管理課スタッフの方、特に担当のMさんには大変お世話になったことをここであらためて記しておきたい。やはり、現場ではまず、「人ありき」。

また利用できる機会があるならぜひ使いたいと思う。ただ、すでに指摘したように、設備の構造上の難点をどう克服するかが必要となるだろう。

総合評:B ( あくまで会場使用者の目線で・・)