みきひでき

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田中頼三再考 第三回 海外の田中への評価について ボールドウィンの場合

 田中頼三は、大東亜戦争中の厳しい評価から一転、戦後になって「名将」として評価をされるようになった。そのきっかけとなったのが、アメリカ人2人による田中に対しての称賛からであった。  その2人のアメリカ人とは、1人はハンソン・W・ボールドウィン、もう1人は日本でも有名なサミュエル・E・モリソンである。この両者は、ともに戦後、米軍に対する第二次世界大戦での戦訓・教訓を伝えようとして、書籍や投稿記事内で田中への称賛を記述したのである。日本側はそれを受けて、戦後の多くの書籍や記事等

    • 田中頼三再考 第二回 田中頼三の序列の変遷

       前回は田中頼三の経歴を、他の水雷戦隊司令官となった同期と比較をした。  今回は、田中の海軍兵学校卒業後以降の海軍内部での序列の変遷を見ていく。  海軍では「ハンモックナンバー」いう序列があった。これは海軍兵学校卒業時の成績に基づく席次のことを指すもので、卒業後は海兵同期間の先任順位の目安とされていた。  この「ハンモックナンバー」は、海軍兵学校卒業後の海軍将校たちの将来を確定してしまうものと思われがちである。確かに、海軍兵学校を優秀な成績で卒業し、卒業証書授与式時に短剣一

      • 田中頼三再考 第一回 田中頼三と他の海兵同期水雷戦隊司令官との経歴比較

             田中頼三は巷間「生粋の駆逐艦乗り」「生粋の水雷屋」と言われている。また戦後は日本国内だけでなく、敵対したアメリカからも高く評価されている。しかし戦時中は中央から消極的だと批判されており、このことから、ガダルカナル攻防戦最終盤に水雷戦隊司令官を更迭され、それ以後ついに終戦まで海上に出る事はなかった。     戦後、田中への再評価が敵対したアメリカ側で行われ、それをきっかけに日本国内でも同様に再評価がされるようになり、一躍名提督として様々な書籍や雑誌記事で取り上げられた