ひたすら食べ続けた豆からのギフト
今年は空前の豆ブームである。
但し、わたしの中だけでだが、春から飽きずに季節の豆を食べ続けている。
それは春のそら豆から始まった。
豆類は鞘で守られて育つが、中でも飛び抜けて大切に守られているのはそら豆だろう。
鞘を割ってふっかふかの綿布団の上でゆったり過ごす姿を見ると「邪魔してごめんね」と、つい思ってしまう。
『そら豆の鞘は雑巾のように両手で絞ると割りやすい』と聞き試してみたが、デストロイ感がすごすぎて一回でやめてしまった。
「茹でるより焼く方が栄養が逃げなくていいですよ」と店員さんに言われ、これも試してみたが、香ばしさが強過ぎてわたしには合わなかった。
茹でた方が軽いまろやかさが残っておいしい。
茹でたては熱々だが意外と冷めるのも早いので、ちょうどいい頃合いに食べられると格別だった。
夏のいまは枝豆だ。
ここ1カ月くらい、ほぼ毎日買って食べている。
一袋500円くらいだから今月は枝豆だけで約15,000円を使っていて、家計簿をつけている人ならば『枝豆』と独立項目を作ってもいいくらい、支出に幅を利かせている。
毎日買うのは半分はおいしいからだが、もう半分は両端をハサミで切る時間のためと言っても過言ではない。
工作のようにチョキチョキと切り続ける時間が楽しい。いかに豆ギリギリを攻めて切れるかも工夫のしどころで日々上達している。
豆類は食べるときになぜな無心になってしまう。カニの殻剥きが必須のように、豆も口に運ぶ前に皮から出す工程が含まれるためだろうか。
ある日、その無心さゆえか食べながらふと、本当にふと「これには自然のリズムが刻まれているんだな」と思った。
どういうことか考えてみると、豆類に限らず野菜や果物、ハーブなどは土に根を張り、雨に降られ、風に吹かれ、太陽の光を浴びて自然の中で育つうちに、そのリズムが刻まれてゆく、ということのようだった。
わたしたち人間も自然の一部だが、時計が刻む時間に追われたり、窓を閉め切って冷房の効いた部屋で過ごしたりするうちに、どうしても自然から遠ざかってしまう。
だから、自然の恵みである作物を体の中へ入れることで、雨・風・太陽などが持つリズムも一緒に取り込み、取り戻している。そんな風に感じた。
春からひたすら豆を食べ続けているわたしへの豆からのギフトのようなメッセージかもしれない。
ところで、秋の豆はあるのだろうか。
夏とともに空前の豆ブームも終わりを迎えてしまいそうで、なんだか淋しい。
▼こちらのエッセイを受けて執筆しました
#ハーブ #自然界 #食べたい